大江健三郎はスピノザがお好き
私が大江健三郎に初めて触れたのは、たしか中学生くらいの頃だった。文学を志していた父の書斎に、夏目漱石や志賀直哉、泉鏡花の全集が綺麗に並んでいて、父が不在の時、私はよくその書斎に忍び込んでは本棚を眺めるのが好きだった。その中に大江健三郎の全作品も紛れていた。新潮社が出していたやつだ。手にとって開いたものは『死者の奢り』だったと思う。
ほんの数行読んで、打ちのめされた、と言いたいところだが、私は静かに本を閉じた。私の感性はまだ、大江文学にまったく追いついていなかった。わけわからん、が最初の印象だったと思う。それくらい私には難解すぎた。しかし、なぜか大江の文章が気になって、再びページを開く。だが、それでも太刀打ちできなかった。
このおかげで、私にとって文学はとたんに高尚なものとなった。今は手に届かない。だが、自分もいつかこんな文章が書けるような人間になりたい、そう思わせてくれた最初の人だったのだ。
そこから私が文学にのめりこむまで、さらに数年を要したが、大江との再会にはもっと時間がかかった。私は先に中上健次の洗礼を受けていたからであった。その中上もまた大江の影響下にある作家であることは知っていたのだが、私の関心は大江には向かなかった。
中上とその盟友であり日本を代表する批評家でもある柄谷行人。二人がまだ若かった頃、文壇において巨星として存在し続ける大江がうっとおしくてたまらなかったのだろう。あるいは乗り越えるべき「父」への反抗、抵抗というやつだろうか。二人は対談においてよく、大江のことをさんざんにけなしていた。特に中上はかなり過激なことを口にしていたと思う。私は二人の影響をもろに受けて育った人間だったので、真に受けてしまったのである。大江の存在が、私からさらに遠のいてしまった。
彼らの大江に対しての口撃が、愛情、尊敬の裏返しであることは、そこから数年してようやく理解できるようになった。当時の文壇における立ち回りというか、ある種のパフォーマンスでもあったと思う。つい最近、中上が大江について書いていたメモが発見されニュースにもなっていた。見つかったメモ書きで、中上が準備していた講演「初期の大江健三郎―『飼育』を中心に」の中の言葉である。
私が大江健三郎をちゃんと読まなければと思ったのは、社会人になってからである。学生時代にもむろんいくつかは読んでいたが、私の中で中上健次という存在が絶対的であったので、大江を読んで衝撃を受けるということはなかった。中上を超えることはないというヴァイアスを勝手にかけていたからである。だが、ようやくというか、中上健次への特別視がなくなった社会人の頃に、改めて手に取った『芋むしり仔撃ち』『万延元年のフットボール』『同時代ゲーム』『性的人間』などの作品は、何周も遅れてやってきたディープインパクトであった。とりわけ『芋むしり仔撃ち』が描く世界観、言葉の一つ一つ、表現手法には脱帽した。こんなもの、私などは一生かけても書けないと観念した。
そんな大江に、さらなる親近感がわいたのは、彼がスピノザから影響を受けていることを知ってからである。海外では、スピノザは文学者にとっても愛されている思想家である。スピノザに言及している、あるいは影響を受けている文学者としては、ゲーテ、フローベール、エリオット、モーム、ロマン・ロラン、ノヴァーリス、ハイネ、ジュネ、ボルヘス、マラマッド・・と挙げればきりがない。しかし、日本の文学者の中で、はっきりとスピノザの名を口にしているのは、大江くらいではないだろうか。
マルクスを読んでいた、サルトルを読んでいたという戦後文学者は多かったように思うが、大江はスピノザを読んでいた。そのことを嬉しそうに、柄谷行人に話しているのが印象的であった。柄谷もまた、スピノザ、カントについて遠慮なく話せるのは大江さんくらいだと感心している(『大江健三郎 柄谷行人 全対話 世界と日本と日本人』(講談社))。
このようにして、私の中で「中上健次‐大江健三郎‐スピノザ」というトライアングルができたところなのであるが、最近になって、この三者について語られているワークショップを発見し、ひそかな興奮を覚えている。
2023年3月3日、大江健三郎が亡くなった――。
その後、東京外国語大学総合文化研究所によって「作家たちが語る大江健三郎」が組織され、ワークショップが開かれたのだ。
招かれたのは、中上健次の娘であり、作家である中上紀氏と、蜷川泰司氏という作家。蜷川泰司氏のことは知らなかったのだが、調べてみて驚いた。この方はなんと、『スピノザの秋』(河出書房)というスピノザをモチーフにした小説を書いていたのだ。そして私はその本を持っていたにも関わらず著者のことを認識していなかった。
ワークショップで報告されたレポートのそれぞれのタイトルは
・中上紀「中上健次が語った大江健三郎」
・蜷川泰司「大江健三郎はスピノザをどう読んだか」
とある。「中上健次‐大江健三郎‐スピノザ」という連環が意識されたプログラムではないだろうか。内容は以下で読むことができる。
いずれのレポートも、ファンには大変興味深い。蜷川泰司氏は、スピノザの『政治論(放題:『国家論』)』において悪名高い「女性や子供の扱い」についてもしっかり言及しており、そのことについて「戦後民主主義者」を自認していた大江はどう受け止め、どう反応していたのだろうかと想像をめぐらせている。
大江にとって、スピノザを読むことは、自分の作家生活においてのエンジンのようなものだったのかもしれない。学生時代にデビューし、23歳の時最年少で芥川賞を受賞。瞬く間に文学界におけるトップスター、新たな旗手となった大江。そこから日本を代表する作家として、ずっと最前線を張り続ける、書き続けるということには、われわれの想像を絶するプレッシャー、苦闘、葛藤などがあったと思われる。「ダ・ヴィンチ」のインタビューで大江はこう言っている。
日本文学とスピノザの本格的な研究は今のところない。今後もそのようなアングルが可能かどうかは微妙ではある。小説を書くだけではなく、世界の知そのものに挑もうとし、そのことを自覚していた日本の小説家は、大江健三郎含めて数えるくらいしか思い当たらないからだ。ましてやスピノザを思想の軸にしている作家はといえば、果たしてどうであろうか。
私自身は、スピノザを読み始めてからの大江の晩年の作品を、しっかり読んでいきたいと思っている。「中上健次‐大江健三郎‐スピノザ」について考える旅は始まったばかりだ。