学歴ロンダリングとは-私見

 自民党の総裁選に関わって学歴ロンダリングを語っている大学教員がいた。他にすることはないのだろうか?小泉氏を擁護しながら小林氏をダシに使っていて、果ては鳩山さんまで出していた。一度彼のPh.Dの時の論文の酷さをこのnoteで触れたことを思い出してしまった。鳩山さんのご専門領域はオペレーションリサーチの周辺だと認識しているのだが、彼の政治家時代の行状を見ていて重ね合わせると彼の論文の欠陥はやはり哲学的な視点が足りていないのかなと思う。そういう視点で見てしまった。多分そういう見方をしないんだろうけれども・・・

 ちなみに学歴ロンダリングとは学士の大学の卒業履歴を、修士や博士の大学で洗い流してしまうということです。
 今の日本の大学教員でもFラン大学からいわゆる旧帝大の修士や博士へ行って綺麗にロンダリングしている人は結構たくさんいます。言っていることがアレっと思うような大学教員は結構当てはまります。ググればわかる世の中ですが、経歴をぼやかして書いている人も同じようなもんなんだろうなぁと思います。

 私見としては、ロンダリング自体の善悪は論じてもしょうがない。そもそも諸外国では学歴を買うディプロマミル(学歴工場)や学歴のための体験を買う行為も日常的に行われているし、日本だってわりかし野放図に裏口入学やコネ入学が行われた時代もありました。今でも数として見えない程度にはあるだろうと思います。

 ちなみに教員の世界では内田康夫さんや東野圭吾さんが小説に書いているようなことが実際にあります。今でも。

 こうした前提として学歴ロンダリングをした人間が最終的に社会に役に立つのならそれも手段の一つなんだろうということです。
 ちなみに小林氏の東大→ハーバードは学歴ロンダリングとは言わないのに・・・と言われていましたが、私はロンダリングだと思いますけどね。ちなみにこの経路は一つ省かれていて、彼は財務官僚として仕事をしながら留学費用その他大部分を国費で負担されています。給与も払われながら。多分大した仕事もしていないのに。彼がやったことは自衛隊に入って各種免許を取って、取れた時点で辞めていく行為とあまり大差ないということです。わかりやすく言えば。自衛隊はその間にもさまざま命懸けの行為が起こる可能性も考慮すればかなり分が悪いと思いますが、小林氏の行為は国のためにすらならない物見有山と言われても仕方のない極めて個人的な私腹のこやし方だと思います。いわゆる上級公務員のお手盛りです。許されるわけがない。都知事と同じ構図になると思います。それが正当な経路だったとしても評価の視点によってはそうなるということです。

 つまり私の評価の視点を説明させていただくという意味での学歴ロンダリングの話になります。一般的ではないですがというお断り付きで。

 私が一番問題視するのはロンダリングに対する意志の問題です。これを論じた大学教員は最終学歴だけは評価されることが世界の常識だみたいなことを言いましたが、それは西洋社会の常識であって極めて偏狭なモノの見方です。どう見ようが構わんはずです。そしてFラン大学からコネのあるところで洗濯してしまおうとする意志の強さは表に漏れ出てしまうくらいに変なもんだということです。単純に日本と西洋の違いを言っておけば出身大学でテニュアが保障されてしまうシステムを作り上げているのは日本なんだからしょうがないでしょということです。

 外国にはセールスマンから一生懸命勉強して大学教員になったり、銀行強盗して服役してから服役中に一生懸命勉強して素晴らしい業績を残した人というのがそこそこいるわけです。

 くどい文章になってしまったのは、日本のどっかの大学の学長のように、地政学、地政学ばっかり言っている一生懸命勉強していないような人間とは経路が違うということを言いたいからです。
 本をたくさん読めばモノがわかるというのは学問の途中までのハナシです。その先には思想的にモデルを創り出す作業が必ず必要になってきます。それは自然科学はそれが実験・観察という方法論の確立によってわかりやすいけれども、人文、社会科学はそれが難しいという言い方をすれば良いのでしょうか?

 その最終的に素晴らしい業績につながる道筋に学歴ロンダリングがそうした意志を伴って存在しているのなら良いのではないかということです。それが大学でのテニュアという名誉欲か金銭欲の発露のために行われたとすればそれは容認できるモノではないということです。
 申し訳ないが鳩山さんのロンダリングは彼の家の財力にその源泉を見ることができるという意味から、そして彼の業績を見ても結果的には私にとって容認できるモノではなかったということになります。それは彼の歩んだ道が大学ほどカンタンな道ではなかったという不幸があったにせよです。

 さて小泉氏や小林氏、都知事ほど有名ではないにせよ、この日本には明確に学歴ロンダリングを行っている大学教員が多数いるということです。そもそも省庁の役人や政治家経験者にはそうしたロンダリングを経ないで同じような権力を発揮している人間も多数います。専門性が一般的とは呼べないような仕事をしておいて教育を語るのは愚の骨頂なのですが・・・
 こうした方々は素晴らしい業績を残せるかどうかは、結果論としてその学歴ロンダリングが有用であったかどうかを測るモノサシになるということです。

 それだけ優秀な頭脳と強い意志があるなら、国民の大多数が納得して社会を動かせて、何年経っても色褪せない素晴らしい研究結果を示してくださいということです。それが実現すれば凡庸な私にも毎年、年に2、3本くらいはそうした業績にお目にかかる機会が訪れるハズです。学歴ロンダリングの数から少なく見積もっても。
 完成した時点で意味のなくなる業績を、内輪でイイねしあってインパクトファクターなどとのたまうSNS気取りの業績を、無惨に積み重ねていくことを研究とは言わないからです。
 そうした数を評価する時代はそろそろ終わりです。そんなのchatGPTでもできるからです。あんなAIとも呼べない代物でもできるようなことで偉そうに収まってきた大学教員が大学とともに共倒れする時代が訪れたということです。

 学歴ロンダリングまでして社会貢献できるなら自由におやりください。今の日本ではそうでもしないとテニュアが獲得できない事情はわかります。文科省はその辺を理解して博士3倍などという夢物語を語った方がいい。まあ自分たちの天下り先の顧客を増やすための税金の無駄遣いなのでしょうが・・・今更ながら何にも増して結果重視、業績重視ということです。いつも通りのつまんない結論でした。神戸学院の准教授君どっちもどっちだよ。

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