学ぶ意図と必然性

 今研究授業を考えていて深掘りするのはなぜ子どもは学ばないのか?ということです。もちろん文科省がこれを肯定していることが良い悪いの話はなく、実際は教員がただ調整しているというだけの話に対しての異論です。と同時に方法論です。
 実は学校へ行き勉強するのが当たり前という発想は教員にとって大変ありがたいのですが、それでは役立たない、物足りないというのも事実です。というかこれからの令和の日本型学校教育が意図するところはそこではないからです。ここはココロプラン(不登校対策プラン)と明確に矛盾しているんですね。というか制度設計の過程で不登校になる人間とそうではない人間とを分けてしまったということです。絶対認めないと思うけど。それは大変危険な発想です。 
 一つは不登校は弾みで誰にでも起こりうるからです。いじめっ子が弾みでいじめられるみたいなもんです。それを分けて制度設計するということは片方で不登校を作り出して片方で対応するというマッチポンプを意図することと同義だからです。それでは残念ながらそれでは広く対応したという行政お得意のアリバイづくりにはなりません。
 もう一つには不登校は学びからの逃走を内包しているという点です。学びからの逃走の選択肢として不登校になってもいいよと宣伝してしまっているんですね。そりゃそっちにメリットがあればそれを選択するのが当然です。

 であるなら教員がまずやらねばならぬ仕事というのはクラスルームにおいて学ぶという決意表明と必然性を明示しなければならないということになります。

 これを担任がやらないといけないのが意味不明なのですが、さらに教育現場では担任以外がこれを妨害してくるという二重の意味不明が存在することが教員を労働者としてブラックにしていくことなんですよね。
 できっこないをやらなくちゃ。しかも文句しか言われないバージョンで。だれがやりたいねんこの仕事?ということです。これが担任の仕事を批判する連中の存在する意味です。それは担任ではないという論理構成では解決しません。何度も言いますが学びに意味を持たせなければ問題に向き合ったことにはならないからです。中学校と高校が学びに特化できてきたように見えるのは(体罰を含んだ)懲戒と内申書による脅しの成果が大部分を占めてきただけに過ぎません。誤解なきように言っておきますが、これは批判ではありません。程度の問題もありますが個人的にはそれで成果が上がるならOKだと思っています。昭和とバカにするなら、していただいてケッコウ。ただ小学校時代好き勝手して結果崩壊した家族、引きこもって挙げ句犯罪に手を染めたり、騙されて身ぐるみ剥がされたりした子どもの未来を山程見てきた身としては力をつけることに対して回避する教員というものを是認するわけにはいかないのです。今を見逃してもいずれ大きな障害にぶつかることは確実だからです。回避だけの人生などあり得ません。特にこれから先の未来の日本においては。

 子どもの素朴な疑問としてのなぜ学ばなければならないか?ではなく、自発的な学びの企図と必然性の醸成ということは学びの構えとして少しずつクラスルーム全員に作っていく必要があるということです。

 これが一般の公立小学校が抱える大きな課題であるということを認識しないまま新しい取り組みだけに目が奪われていくことには違和感しかありません。さほど今の学校現場というのは砂上の楼閣であるということです。
 凡事徹底、基礎基本、足場固めという地味で成果の見えにくい仕事に愚直に取り組むことのほうが後々成果が上がるということをぜひわかっていただきたいということです。

 とにかく全員を巻き込んでいく影響力と雰囲気を作る担任のクラスづくりを社会が承認してサポートしていくようにしなければ、その中で学びへの必然性を(言い方を悪くすれば)押し付けていくことで(結果的に)全員がたとえ個別的にでも学べるという前提を構築していかなければ令和の日本型学校教育どころか学び舎としてすら存続が難しくなってしまうということです。それは働き手としての教員の離脱が始まっていることが明確に示していると思います。ニワトリが先かタマゴが先かという話になりますが、私は明確に働き手が教育を見限ることが始まった要因が労働条件ではなく、社会が教育労働に意味がないというレッテルを貼ってしまった結果だと思っています。

 非常に矛盾しているのですが、そうした状況から脱却するためには現場としての学校の中で学びの必然性を意図的につくることに対する方法論を示して合意形成を図る作業をコツコツしていくしかないと思っているのです。学べた感覚、学ばせた意図を言語化することに注力してクラスルームを形成することが実はいかに難しいことなのかを、そこをシビアに問い直していくことが結果的に学ぶ意味のある集団を形成することに寄与することになると思います。

 さほど集団を混ぜながら学びの意味を問い直しアップデートしていくことはこの商売にとっては重要なことだということです。 


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