先手を取ることの難しさ

 学校現場において先手を打つというのは今の時代必須になっているように思う。後手を取ってしまうと後はサンドバッグのようにただただ打たれるでけになってしまう。そうなれば事態収集に時間がかかるだけでなく、それに関わる人間の精神が削られてしまうことになる。
 学校にとって百害あって一利なしである。
 しかしこれが今の学校の現実的な姿である。
 リスクマネジメントの一言で済ますことはちょっと荒っぽいのではないだろうか?
 〇〇マネジメントの話を聞いていつも思うのは、先手の話なのか、事後の話なのかが事前に考えられていないのではないかということである。

 つまり対応のタイミングとしての先か後か、それとも後の先かという・・・実は武道の話になってくるわけである。

 私は常に先手を打つことを意識している。それは子どもに対しても、保護者に対しても、教職員に対してもである。クレームやいちゃもんの類において先に断っておくというのは有効である。これはルール化するという厳格なものでなくてもふわっとした※イメージですぐらいのもんでもあるとないとではずいぶん違うということなんです。
 しかしこれにはデメリットもいくつかあります。
 まずはそんなに全てのことをカバーできるとは限りません。弾が飛んできた時にそこにいちゃもんかぁと思うこともしばしばです。まあ普段から意識していれば諦めもつくんですが・・・基本的には先手は気遣いの産物であって言い訳の材料にするつもりは毛頭ないのですがその心が相手に伝わらないこともよくあるということです。そして労力がたくさんかかります。学級通信1枚作って先手を打つことができればお得なんですが、今の状況ではそれすらままなりません。もう少し余裕が欲しいですね。
 そして普段からそんなことを考えている人間は平時には非常に周りから鬱陶しがられます。まあ簡単に言えば今そんなこと考える必要はないでしょと言われることです。明日やろうは馬鹿野郎とはよく言ったもんですが、基本子どもも保護者も教職員も今日の出来事に追われていますので先手を打つ人間のサキの部分には考えが及んでいないんですよね。つまり先手を打つ行為はクレーマーの発想を事前に出す行為なのです。クレーマーが鬱陶しいように先手を打つ計画を立てる人間も鬱陶しいということ。
 
 後手を踏むことは、先手とは逆のメリットとデメリットがあります。簡単に言えば先手のメリットがデメリットであり、先手のデメリットがメリットになるということですね。

 では後の先とは?格闘技的には達人の技で相手が動きそうな瞬間、もしくは動いた瞬間に自分が動いて先に叩き込むということです。
 そんなことできるのかと思うかもしれませんが、割とできます。
 私クラスだと動いたふりをした相手に釣られてやられてしまうというようなマヌケを晒すこともあり、振り返ってみるとあれは後の先ではなく、勝手な思い込みのもとにただただ先手を打っただけだったのはないかと思うこともしばしばです。

 現実的にはよほど学校全体に対してアンテナを張り巡らせていないと難しいやり方でしょう。しかし何かしらの不穏な空気感が学校を包み込み始める瞬間というのはあるものです。しかしそこで動いた場合、周りの感覚はただの先手の大騒ぎ野郎になってしまうというのが個人的な経験則です。ギリギリまで我慢して対応策を出した場合は後出しジャンケン感がハンパない感じです。やはり後の先というのは難しいなぁという実感です。

 今の学校現場というのは何をやっても批判の対象という状態です。となれば中の人間にできるのは諦めてしまうという自己防衛があるくらいです。でもこれは一つには見た目によくないし、そんな組織に活気が生まれるわけもありません。
 できうる限り先手を打つことで後手後手に回らないよという意識表明をするというのも現場を元気にするために必要な方策の一つなんだろうと思います。
 現場のことは現場で対応する、じゃあ教育委員会制度の意味はなんなんだと思ってしまうんですがそれが後に続く人間のためになるのなら少し踏ん張ってみる価値があるのかといういつもの結論です。
 そのための先手を打つということの言語化でした。

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