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心の闇には闇でしか救えない領域があるのではないか?という問いかけ

※本記事は決して犯罪行為を助長、教唆、許容するものではありません。

蠍座の新月だからこそ、書けるかなと思った真面目な記事。
鬱を患う前からずっと抱いていた疑問。

「心の奥底に深い傷を負った人は、果たして光のカウンセリングだけで
一般的な学説や社会通念、モラルの上だけで救われるのだろうか」

という問いかけ。

上手く書けるか自信がないので、今回は敢えて章立てせずにツラツラ書きます。

私自身、学生時代に心に深い傷を負いました。
あまり自分でラベリングはしたくないのですが、
平たく言ってしまえば「いじめ」になるのでしょうか。

小学校の卒業間際にクラスのリーダー格だった男の子と
とあるトラブルを起こして以来、私は中学に入ってしばらくしてから
「そこにいないもの」「邪魔な存在」として扱われていました。
まぁ最終的にはどうにかこうにかサバイブして、中三の時には復活し
晴れて卒業することができたのですが、それ以来高校に入っても
社会人になっても他人が怖く、いつも陰口を言われているような気がして
精神安定剤を手放せたことはありません。
※本当はもっと色々あるのですが、掘り下げるのは今でも苦痛です。

また、両親は多少エキセントリックな性格ではあるけれども
厳格な教師でありました。
本人にそのつもりはなくても、家の中でも教師と生活指導をしている。
そんな感じの家庭で育ちました。
幸い兄弟がいたので、そこで色々と鬱憤を解消することはできたのですが、
上記の「いじめ」と相まって、高校卒業するまでの私は休日はほぼ引きこもり。
四角い窓枠から見える外の世界が、私の世界のほぼ全てでした。

そして私は、全く別の理由で最近鬱病になり、
今ようやく寛解に向かっています。

色々な人に支えられ、協力してもらい、ここまで来れました。
大変感謝しています。
だけど、本当の本当の心の奥底の髄の部分では、
内観による暗部のえぐり出しを自分自身で行う必要がありました。
平たく言うと、少しダメになって、そんな自分を「それも自分だから」と
受け入れるプロセスとでもいえばいいでしょうか。
ここもあまり詳しくは触れたくありませんが、そんな感じです。

ぼかし過ぎて、わざわざ書くことでもなかったかな…。
本当はもっと丸裸になったほうが説得力があるのかもしれないけれど
その勇気はまだないです。
一対一の対面でならお話しできるかもしれませんが。

で、本題まで長くなってしまいましたが、
私はこの鬱が一番ひどい期間に本当に真面目にSMクラブに
行こうと思っていました。
エロチックな体験がしたいというよりは、
どちらかというとSMには「闇のカウンセリング」の要素があるのでは?
と考えたからです。
それは、YouTubeの「街録ch」というチャンネルで
アウトローな方々の経験談を見ていたせいかもしれません。
SMには加虐性や被虐性、ひっくるめて嗜虐的なところから
人の心の暗部、弱さ、狡さ、嘘を炙り出して抉り出すような
荒療治の側面がある気がしています。
また、私の歴史から振り返って考えてみても、表向きの薬物治療や
運動療法、認知療法やカウンセリングでは、
どうしても心の暗部の核に届かないなという実感があったのです。

それは結局、「この痛みと同じ痛みを味わってみなければわからない」
といった感情
「高みから何がわかるんだ?」といった卑屈な感情
心を支配していたからかもしれません。

ただ今もそれはそう思っていて、頑張って言語化するのであれば
「同じ深度で同じ痛みと暗闇を知っている人でなければ
そこに寄り添う言葉や姿勢にリアリティがない」
といったような感想になるかと思います。

だから今話題になっている
いわゆるトー横キッズの気持ちもなんとなくわかる自分がいます。
勿論社会経験の少ない若気の至りもあるでしょうが、
彼らは痛みと堕落でいまの苦痛を消化、
あるいは昇華させようとしているのかもしれません。
結局物知り顔の大人がいくら一般論で諭したところで
彼らが何を経験し、何を考えているかもわからずに
発せられた言葉では
また、彼らのまだ不安定で繊細な思春期過ぎから
人格形成ができるか否かの半熟な心には
リアリティある言葉として響かないのでしょう。

人間は、その経験と記憶から感受性の引き出しを広げもすれば
狭めもすると思います。
そこに良いとか悪いとかはなくて、例えば子を持つ親にならなければ
その親の心情は分かりません。
と同時に、思春期の頃の記憶は健全に薄まって消えてゆきます。
つまり感受性の働くゾーンというかフォーカスポイントというか
そこにズレが生じるんでしょうね。当たり前っちゃ当たり前ですが、
それを自覚しながらコミュニケートをしようとする場面は少ない。
これが実態だと思います。

ああ、大分言いたいことから本質がそれっちゃった。
シンプルに乱暴な言い回しをすれば、キレイごとだけでは
その人の本質的な暗部という心の患部は救われないのではないか
というタイトルのなぞり返しです。

私は学生時代、一緒に堕ちてくれる恋人がほしかった。
一緒に堕落して傷を舐めあってくれるだけの。
そういう堕落願望がありました。
もしかしたら今でも少し、そういうところがあるかもしれません。
どちらかと言えば、堕落というよりは逸脱の方が近いかもしれませんが。

書いていて迷子になりました。だから何だろう…。
つまり大事なのは一時的には、その人がダメになることを許容してあげても
いいのかなって。
お酒におぼれても、薬物はダメだろうけど、リスカとか、あ、自傷って多分
心の傷の肉体への顕在化、可視化による安堵と自己顕示だと思うんですよね。まぁそこにアイデンティティを見出して、何物でもない自分に少しでも
脚色と虚飾ができるという、寂しいけど本人にとってはとっても必要な
現実逃避のための悪酔いできる美味しいお酒のような気がします。
なにせ私もリスカではないですが20代前半の頃はよく自傷行為とODをしていましたから。

こうして冷静に振り返れるようになったのは、やはり人生経験と携わってくれた人のおかげに他なりません。
そして、そこでちょっと不良の先輩などに色々と心を楽にしてもらったってのもあると思います。
私の場合は、クラブが本当に駆け込み寺で唯一居場所と言える…場所でもなかったな。クラブはクラブで縄張り意識があるし、そこで頑張ってる人は、
自分以外は全員敵だくらいに尖ってる人いっぱいいましたからね。
でもその中で色々学んだこともあります。いや健全な意味でですよ?

でも一つだけ声を大きくして言いたいのは
一時的にってことが大事なのかなと思います。
結局沼みたいにのめり込んでしまえば、
それは破滅への門を叩くも同然ですから。
ただ世間がそれらの暗部を冷笑ですますのではなく
迫害したり排斥したりするのでもなく
同じ人間として、もし自分がそうなっていたら?と想像して
どのように救済策を考え、ある種許容していくか。
また私と同じような暗闇を見てきた人間が、
同じ道を歩みかねない若者にどのような形で手を差し伸べられるか、
それが大事なのかなと思います。
ええ、まぁ今の私は私のことで精一杯ですし、
なんなら自分が一番早く助けてほしいくらいですがね…。

ごめんなさい、タイトルの割に全然言いたいことがまとまらなかった。
でも多分きれいに整理できてなくても、この気持ちをこのタイミングで
アウトプットすることが大事だったんだと思います。
ある種の膿だしと生み出しですね。

結局はなんだろう?
赦しあいたい?
そういうところに行きつくのかもしれません。

そういうこともあり、
魔術や魔女が今の私のテーマであったんですが、
ようやく今日、その走りが書けたかもしれません。

クロウリー(※)が「男女問わずそれぞれの人間がそれぞれ星である」と
いったようなことを言っていましたが、彼も実は似たようなプロセスを
辿っていたんじゃないかなと、そう思う次第です。
アレイスター・クロウリーで検索してみてください。

私はいずれ、光と闇、どちらの側面からも
なんらかヒトというものに対して変革の一助となる
そんな人間になれたらいいなと思っています。
愛とユーモアをもって。

決して怪しいけど怪しくない人間なんで
これからも仲良くしてくれると嬉しいですが、
無理はしないでくださいね。

では良い新月を。
おやすみなさい。

あ、SMについては今も今後も行く予定はないですが、
もし行くことになったら潜入ルポをば…。
いやそこ!それ一番楽しみにすな!!


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