見出し画像

10年は時間をかけてつくりたい写真集

”すごい良かった。”

生きているうちに、”すごい良かった。”と話す機会が何回あるだろうか。まぁ、意外と多いかもしれない。良い映画を見た後に、”どうだった?”と聞かれたら”すごいよかった。”と答えるもんな。
でも多くの人は、よかったと話した後に具体的にどのような箇所が良かったのか、それは演出なのか、キャスティングなのか、ストーリーなのか、それとも、それらすべての要素の組み合わせ方なのか、自分の中で分析する。
それが、いわゆる「作品の感想を共有する」という行為なのだ。

でも、感想が共有できる次元の作品は「佳作止まり」な気が個人的にはする。良い作品づくりの方程式があって、その中で制作された感覚というか、自分自身がアマチュア写真家で、まだ枠組みの中でしか物事を考えることができないからか、その感覚、悲しいことによぉぉくわかるのだ。

でも写真家と名乗り、写真制作しているならば、傑作というものもつくってみたいのだ。男の意地悪いところが発揮されている。趣味の延長線上で楽しめば一番良いのに、それに満足ができない。口だけ動かして、背伸びだけ、しているから理想と現実の差異は広がるばかりだけど、それでも夢は見ていないのだ。なんというか、スラムダンクから引用すると「諦めたらそこで試合終了」的な夢見ているうちが、まだ幸せ。「男たちよ抱こうロマンを」協会があるなら、個人的には副協会長くらいにはなれる気がする。

・・・

・・

一昨日くらいから、二日くらい家にこもってひたすらフィルムの現像をした。全部で18本、全部白黒の写真。撮影した中身は主に1か月間歩き続けたCamino de Santiago スペイン巡礼路の写真だ。

(「Camino de Santiago スペイン巡礼」についての説明は以下のNoteをご覧になっていただきたいです。)



巡礼を終えて3か月ほど経ている、今でも正直に何から話せばいいのか、わからなくて何も話したくない気持ちが続いている。美しすぎるモノ、それは自然なのか、出会った人々なのか、そこであった出来事なのか、おそらくそれらすべてだろうと思うのですが、美しすぎるモノは”美しい”という言葉だけで充分であると実感した。私の下手くそでアマチュアな感覚で、その美しさをけなしたくはない。


巡礼路で 2022

たかが22年しか生きてこなかったけど、そういう実体験が初めてで、驚いているばかりです。

そこで思い浮かんだこと。
”10年は時間をかけてもいいから、巡礼を題材に作品をつくりたい。

見せたい写真はたくさんある、語りたい瞬間も数えられないほどあるものの、それらをどうつなげて、一つの体験として見せることができるのか。そこを考え抜いて、佳作止まりではない、傑作な写真集が出来上がる気がした。


巡礼者 2022 
みんな違った理由をもち、800kmの道を歩き続ける。
なぜ彼らは歩き続けられるのか。毎日考えた。

そのためなら巡礼を、今より深く理解し、体験しなければならないと思う。だから10年時間がかかってもかまわない。
巡礼写真といえば、Jongという立ち位置にまで、頑張りたいですね。
この感覚に22歳で出会えたのは、ありがたいと思う近頃です。


巡礼路で 2022
生まれてはじめて想像をはるかに超える現実の美しさに、毎日のように出会えた。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?