A006_視線の有る無しで起きること【Dさんができること】
【1】あなたはどう反応しますか?
(前回のおさらい)
上のイラストをご覧ください。
4人が話をしています。
それぞれが思い思いに自分の言いたいことを言っています。
ときに笑いあり、ときに真剣な表情ありで時間が過ぎていきます。
これはその人の視線がどこに向けられているかを表しています。
よ~くご覧ください。
Aさん、Bさん、Cさん、Dさん。
一人だけ
孤立しています。
それは誰でしょう。
Dさんですね。
Dさんの視線だけが、一方通行です。
ここからがポイントです。
あなたがAさんだとしたら、あなたはDさんのために何ができるでしょう。
そして、
あなたがDさんだとしたら、どうしますか。
今回のテーマは「視線の有る無しで何が起きるか」です。
無視できない視線の影響力について書きます。
今回はDさんに焦点を当てます。
前回は、Aさんに焦点を当てました。
【2】ファシリテーターならこう反応する
私が一緒にいる3人誰に視線を送っても、相手らから視線が返ってこない。つまり、「私を見てくれない!」。疎外感が凄い…。どうして、私の方を見てくれないんだろう。・・・今、私は、すごく疎外感を感じている。そのために、なんとか相手に私の方を見てもらいたいと必死になろうとしていた。(どうして見てくれないんだろうか、私は何か失礼なことをしてしまっただろうか、先ほどの自己紹介が良くなかったのだろうか、私の身なりに問題があるのだろうか。こんな思いに襲われていた。)これらは、「人に好かれなければならない」だったり、「どのグループにおいても一目置かれなければならない」という、私の中のおかしな考えが強く発動している、ということだ。
【3】ファシリテーターならこう関わる
(視線を発言者に向け、聴き続ける)
そして
ときどき、無理せず、気になったことを、質問できそうなら質問する。
【4】ファシリテーターならこう考える
Aさん、Bさん、Cさんだけで盛り上がっていて、私は疎外感を感じ、何とか輪の中に入らなければと焦ってしまった。しかし、これは私の中にある「人に好かれなければならない」や「どのグループにおいても一目置かれなければならない」というおかしな(非論理的な)考え方に搔き立てられているからだ。べつに私は嫌がらせを受けているわけでもない。無理せず、話をこのまま聴かせてもらえば良い。何か言いたくなったら、そのときに言えば良い。
Aさん、Bさん、Cさんともお互いの話が合っている。お互いが近い立場にあるため、悩みも共有できたり、好奇心にまかせて質問し合えたりもしている。私はこの場にいるが、3人の話がよく分からないため、同じようなレベル感で話に加わることができないが、聴かせてもらいながら、私の勉強にさせてもらおう。
【5】ファシリテーターはなぜそう考えるのか
ファシリテーターには、チームビルディングや交流分析、カウンセリングやコーチングなど多岐にわたる知識と技能、経験が求められます。
これら、関連する知の中で共通している心構え・態度があります。
「自己一致」です。
自己一致とは、自分の感情を自分のものであると受け入れる行為・態度またはその状態です。
私は自己一致には、さらに重要な要素があると考えています。
それは、「論理的信念」と「自他尊重」です。
論理的信念とは、非論理的信念ではないということです。
非論理的信念とは、「その考え方、本当にそういえますか?」というものです。
たとえば、「人に好かれなければならない」という考えがあるから、Dさんは、輪に溶け込めていない自分に焦りました。
「人に好かれなければならない」は非論理的信念です。
なぜなら、全ての人から好かれるなんて無理だからです。
「私を好きになりなさい!」と強制することもできません。
論理的信念に直すと、次のようになります。
「人に好かれるに越したことはないが、全ての人から好かれるなんてことはどだい無理な話だ。」
手順は次のようになります。
まず、「焦っている自分」に気づくこと。それを受け入れること。
次に、「なぜ私は焦っているのか。」を問います。
焦っているからには、何かしらの理由(考え・信念)があります。それに気づくことが大切です。
そして、その信念が非論理的であることを疑います。
疑い、吟味した結果、それが非論理的であることに気づけたのであれば、論理的信念に書き換えて、再度自分に当てはめます。
「人に好かれるに越したことはないが、全ての人から好かれるなんてことはどだい無理な話だ。」
この言葉を自分のものにしたとき、
Dさんの焦りは減衰しているはずです。
もう一つの「自他尊重」について触れるとまた長くなってしまいそうなので、また次の機会に。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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