読書記録っぽいなにか

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『徒然草』 まとめ

吉田兼好(1283〜1350) 「徒然草」(1331) ・もし、私と同じ心を持った人がいたら、互いに隔てなく話して慰められる。そんなことがあればさぞ嬉しかろうと思うものの、現実にはそんな人はいるはずもなく、目の前の人と、行き違いの無い様にしなくてはと、緊張して向かい合っているのは、まるで一人ぼっちでいるような索漠たる思いがする。 ・新たに即位された帝のご政務が繁多であることに紛れて、譲位された院の御所には参上する人もいないとのことだが、それはいかにも寂しげなことである。こ

    • 『もうワクチンはやめなさい』まとめ

      『もうワクチンはやめなさい』2014 母里啓子 1934〜2021 ・「予防する効果を期待されています」とは、効果があるかどうかまったくデータがとれていないワクチンについてしばしば使われる言葉です。 ・危険だ、危険だ、怖い、怖い、そう繰り返し紹介される病気があったら、十分に気をつけることです。その病気を予防するワクチンや薬が近く売り出されるのかもしれません。命と健康を脅されれば、人はお金を使ってしまう。なんでもしてしまうのです。 ・針を使って、体にわざと異物を入れて、病

      • 『死ぬときに後悔しない方法』 まとめ

        セネカ BC1?〜AD65 『哲人に学ぶ人類の知恵 死ぬときに後悔しない方法』2018 ジェイムズ・ロム 編 ・自由への扉は、目の前にあるのだ。我々を縛りつけている鎖は、ただ1つ、生きることへの愛着である。たとえそれを手放せないとしても、減らしていくようにすべきだ。 ・なにごとにおいても度を越さないためには、人生の短さや不確かさを、たえず意識することが、最も役に立つだろう。 ・命とは、果てることを条件に授けられており、最後にたどり着くところは、だれもが皆同じなのであ

        • 『怒りについて』 まとめ

          セネカ BC1〜AD65 『怒りについて』 AD45? 『哲人に学ぶ人類の知恵 怒りについて』2019   ジェイムズ・ロム 編 ・「怒り」は人の感情のなかでは、最も醜く、最も凶暴なものだ。怒りが私たちの中に入ってきてしまってから、うまく制御しようと努めるよりも最初から入ってこないように拒絶するほうがかんたんだ。 ・理性が人間の手綱を強力に握っていられるのは、感情から離れていられるあいだだけだ。もし、理性が感情に侵されてしまったら、制御できなくなってしまう。 ・怒りが

        『徒然草』 まとめ

          『人生の短さについて』 まとめ

          セネカ BC1〜AD65 『人生の短さについて』 AD50? ・時間をなんの役にも立てず湯水のごとく浪費した挙句、土壇場になってようやく気づくのです。いつのまにか人生は過ぎ去ってしまった、と。 ・長生きするという保証が、いったいどこにあるでしょう?そろそろ終わりという時に、ようやく取り掛かるのでは手遅れもいいところです。 ・人はいちどきに手を広げすぎれば物事を十分に成し遂げられない。あれもこれもと欲張ったところで、何ひとつ吸収できず、詰め込んだものを吐き出しておしまいで

          『人生の短さについて』 まとめ

          『牛乳のワナ』

          船瀬俊介 1950〜 『牛乳のワナ』 2019 ・自然界には、離乳期をすぎてミルクを飲む動物はいません。人間も同じです。離乳期をすぎたらミルクを飲まないことが正常なのです。 ・1歳未満の子どもは、母乳で育てるのが自然です。 ・牛乳は牛の血液である。 ・牛乳の栄養成分は人間には処理しきれない。 ・処理しきれない成分は身体に残って、様々な病気を引き起こすきっかけとなっている。

          『牛乳のワナ』

          『1984』

          ジョージ・オーウェル 1903〜1950 『1984』 1949年 ・〈2分間ヘイト〉の恐ろしいところは、役を演じなくてはいけないことではなく、周囲との同調を避けるのが不可能なことだ。 ・〈未来へ、もしくは過去へ、思想が自由な時代へ、人がそれぞれ誰とも異なり孤独に生きていない時代へ、真実が存在し、人がしたことが、なかった事にされない時代へ。個のなき時代から、孤独の時代から、ビッグ・ブラザーの時代から、二重思想の時代から挨拶を送るとしよう。〉 ・正統とは、考えないことを、

          『1984』

          『運気を磨く』

          田坂広志 1951〜 『運気を磨く』2017 ・量子物理学においては、何もない「真空」の中にも、膨大なエネルギーが潜んでいることが明らかにされている。「量子真空」と呼ばれる極微小の世界の中に、膨大なエネルギーが存在していると考えられている。 量子真空の中にゼロポイントフィールドと呼ばれる場が存在し、その場に、この宇宙の過去、現在、未来のすべての出来事が、波動としてホログラム的な構造で記録されているという仮説が、現在、注目されているのである。 ・ゼロポイントフィールドに記録

          『運気を磨く』

          『老子道德経』

          老子 BC571?〜BC471? 『老子道徳経』  ・最上の善は、水にたとえられる。水というものは、万物に優れた恵みをもたらし、勝ちを求めて他と争おうともせず、人の嫌がる低い地位に安住している。だからこそ、道に近い存在なのだ。(上善水の如し) ・どんなに強いつむじ風でも、どんなに激しい暴雨でも、一日経てば止んでしまう。天地でさえつむじ風や暴雨を長続きさせることはできない。ましてや、人間が作為的な状況を長続きさせることなどはできない。 ・自分を外に向かって顕示し自分の功績

          『老子道德経』

          『貞観政要』

          呉兢 670〜749 『貞観政要』 710年頃 ・「身理まりて国乱るる物を聞かず」 いまだかつて、君主が立派な政治をとっているのに人民がでたらめであったという話を聞かない。 身の破滅を招くのは、その者自身の欲望が原因だ。欲望の対象は果てしなく広がり、それに要する費用も莫大になる。 ・「草創と守成といずれか難き」 一旦、天下を収めてしまえば、気持ちが緩んで、自分勝手な欲望を抑えることができなくなります。帝王の贅沢三昧のための賦役が次々に課せら、国家の衰退を招くのは、つねにこ

          『貞観政要』

          『幼年期の終り』

          アーサー・C・クラーク 1917〜2008 『幼年期の終わり』1953 ・過去にしがみつくのは無益でしかない。〈オーバーロード〉たちが地球にやってくる前から、主権国家という存在は死につつあった。 ・時間だけが解決できる物事がある。悪人を倒すことはできるが、誤った考えにとりつかれた善人は、放っておくしかないのだ。 ・今や地球は、巨大な一運動場、遊戯場と化しつつあった。とはいうものの、この娯楽、道楽がひしめきあう中で、依然として古来から存在し、いまだに解答のでない問をくり返

          『幼年期の終り』

          『自分の中に毒を持て』

          岡本太郎 1911〜1996 『自分の中に毒を持て』1993 ・人生は積み重ねだと誰でも思っているようだ。過去の蓄積にこだわると、堆積物に埋もれて身動きができなくなる。 ・人生に挑み、ほんとうに生きるには、瞬間瞬間に新しく生まれ変わって運命をひらくのだ。それには心身とも無一物、無条件でなければならない。 ・死に対面する以外の生はないのだ。 ・人間にとって成功とはいったい何だろう。結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか

          『自分の中に毒を持て』

          『超約版 貞観政要』

          『貞観政要』 (貞観年間 627〜649) ・「己の欲する所を人に施せ」 人が欲することをする者は栄え、自分が楽しむだけの者は滅ぶ。  人が望まないことをしない。それは力を持った者が、その力を保持するための絶対原則。 ・「人道は楹を憎みて謙を好む」 皆、初めは頑張るものだが、最後まで続ける人は少ない。 ・「草創と守文といずれか難き」 優れたアイデアがあれば、事業を興すことができる。しかし、本当に難しいのは、それを維持していくこと。競争に勝ち抜いたときにこそ、本当の戦いは

          『超約版 貞観政要』

          『死は存在しない』

          田坂広志 1951〜 『死は存在しない』2022 ・仏教の「唯識思想」においては、我々の意識の奥には、「真那識」と呼ばれる意識の次元がある。さらにその奥には、「阿頼耶識」と呼ばれる意識の次元があるとされており、この「阿頼耶識」には、この世界の過去の出来事のすべての結果であり、未来のすべての原因となる「種子」が眠っているとされる。 ・我々の意識は、死後、ゼロポイントフィールドにおいて、「自我意識」「超自我意識」「人類意識」「地球意識」といった意識の状態を経て、最後は「宇宙意

          『死は存在しない』

          『死を見つめる心』

          岸本英夫 1903〜1964 『死を見つめる心』1964 ・死というものは、実体ではないということである。死を実体と考えるのは人間の錯覚である。 ・死というものは、そのものが実体ではなくて、実体である生命がない場所であるというだけのことである。 ・これを裏返していえば、人間に実際与えられているものは、現実の生命だけだということである。 ・死の恐怖は、生理的である。その点でも、それを、われわれは、食欲によせて実感することができる。空腹感、飢餓感は、その当事者にとっては、

          『死を見つめる心』

          『死に至る病』

          キルケゴール 1813〜1855 『死に至る病』 1849 ・人間は、無限性と有限性の、時間的なものと永遠なものの、自由と必然性の総合である。早い話が、人間とは総合なのである。 ・総合とは、二つのもののあいだの関係のことだ。人間は、このように捉えられるかぎりでは、いまだ自己ではないわけである。 ・絶望とは、こうして死が希望となるほど危険が大きくなるときの、死ぬことすらできないという希望のなさなのである。 ・絶望とは死に至る病なのである。 ・人々は野党に所属することで

          『死に至る病』