スクリーンショット_2019-02-14_19

コードギアス名言Vol.4「人は、平等ではない。平等こそ悪なのだ。(シャルル皇帝)」

名言の背景

今回は、ルルーシュの父にして神聖ブリタニア帝国98代皇帝シャルルの演説からの名言です。

「人は、平等ではない。平等こそが悪なのだ。」

中略ではありますが、演説を簡単にまとめると、こんな感じです。

「人は、平等でない。生まれつき足が速い者、美しい者。人は、差別されるためにある。不平等は悪ではない。平等こそが悪なのだ。他者と争い、競うことは、進化を促すものである。戦い奪い支配する。その先に未来がある。」

このように演説し、この考え方が、神聖ブリタニア帝国の礎にあります。
では、なぜこのセリフが名言なのか、紹介していきます。

名セリフの意味

人は、平等でしょうか?平等ではないでしょうか?きっと、平等ではないですよね。一言で「平等」と言っても、色んな意味があります。「機会平等」「結果平等」「条件平等」「男女平等」などなど、色んな使い方があり、それによって意味合いも変わってきます。今はなき「ゆとり教育」は、「結果平等」を目指すものだったと思います。「男女平等」は、今尚議論され、問題とされていますね。

この名セリフで言っている「平等」とは、「条件平等」ではないかと思っています。足が速い、美しいという「条件」は、人によって見方は違います。そういった「才能」であったり、経済的に裕福や貧しいというのも、「不平等」だと言えます。

不平等であるという意味

シャルルが言いたいのは、人は平等ではないから、不平等を嘆くのではなく、それを受け入れた上で、「戦え、競え」ということだろうと考えています。奪い、支配する、というところには賛同できませんが、途中までは大いに賛成です。
平等を「皆同じ」という風に一律にしてしまうと、必ず問題が起きます。頑張るものが報われず、怠け者が得するようになるからです。それは、とても危険なもので、人類の進歩や進化を滞らせ、人類を絶滅させる方向に進むはずです。もちろんそうならない為に、どこかで平等を廃するでしょうけど、平等を謳う人は、大抵「持たざる者の不満」ではないでしょうか?シャルルの言うように、平等を強いるということは、「努力の放棄」を促すと思います。「不平等」だからこそ、宗教の教義も成り立ったりします。

不平等という「違い」を受け入れ、努力することこそ価値がある

私が考えることは、不平等だから平等を訴えたり、宗教に答えを求めるのではなく、現状を受け入れ、その中から自分がなりたいものになる為に努力することの方が、よっぽど価値があると思います。こんなに頑張ってるのに、楽して成功してる人がいる、と思えてしまう人には、大阪のおばちゃんのような、こんなセリフをプレゼントします。

「よそはよそ!うちはうち!!」

楽して成功しているように見えても、人にはわからない努力や苦悩があるものです。足が速いのだって、ある程度は才能があるかもしれませんが、決して何もせず速い訳ではありません。お金があるからって、奪われる不安や、お金目当ての人が集まって来たりして、人間不信になりかねません。

自分が見ていないものがあるのに不平等を訴えても、何の意味も何の価値もありません。嘆いている暇があるなら、口ではなく手を動かしましょう(笑)できることよりも、できるようになったことの方が、価値があるのではないでしょうか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?