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【南京事件】という【用語】について

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『南京事件』を認める、認めないという話の齟齬が生まれることについて
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ローマ法とか、自然法とか言う原始の法体系に、【戦争】を【不道徳】だからといって、戦争という人間活動を【否定】した【法】はない。
法理と道義学(道徳学)を混同してしまうような人間に、【虐殺】だの【不法殺害】など、南京事件(南京大虐殺)における日本軍の瑕疵を語る資格すらない。

肯定派学者の主張が、想像にちかい推測ばかりで、主張に瑕疵があり論として成立してないのだがね。
この人物の云う南京事件は【虐殺】という感情表記用語を使う主張だからねぇ。南京大虐殺も然り。
そんな主張は蓋然性がないのが当然。
当然ながら【believe】に過ぎないのだよ。

【南京事件】を【客観的】に考察する際は、【虐殺】という【意図的】に【悪業】という【主観的】【イメージ】を持つ【用語】をあえて使うのは【完全に誤っている】と考えるのだが、【加害史観】の方はどうしても使いたがる。何故なら【加害責任】という【贖罪意識】を日本人に擦り込みたい為である。

よく間違っている方がいるのだが、中華人民共和国に【事実】というのは存在しない、有るのは【政治】だけなのだ。ありとあらゆる事が政治的欲求から来るもので、【事実】などは存在しない。