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【目次とまえがき】書きつづけるには、書きつづけるしかない【ユーメと命がけの夢想家】

毎週金曜日22時頃更新!

【ユーメと命がけの夢想家】
目次

000:雨の日の朝食
001:黄昏時
幕間001:加虐と被虐
002:秘密の恋
幕間002:適切な努め
003:トキメキ二重奏
幕間003:焦燥と設計
004:きらめく星空
幕間004:三幕構成と本を読むということ
005:帰宅したら、何だかものすごいことになっているのですが
幕間005:構造と理屈なき展開

↓2月4日(金)22時頃公開予定↓
006:ついつい目のいく窓際の席
幕間006:サイエンス資料

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

書きつづけるには、書きつづけるしかない。

 論理学に明るくないので、この題が「同一律」と呼ばれるものなのかは、自信をもって言い切ることはできない。

 同一律とは、「A=Aである」といったような形式のものだという。
 「もし大変なことが起きたら、大変な事態ですよ」なんて台詞を見かけたら、それは同一律である。
 新しい情報ゼロ。人に語る価値のないセリフであり、ほとんどの場合、聞く価値もないだろう。

 【書きつづけるには、書きつづけるしかない。】

 だからこんな文字の羅列を目の当たりにしても、あまりに当然すぎることだと感じるかもしれない。
 このnoteを書いている僕自身、一文節タイピングするごとに頭をひねっている。こんなもの、書いてる意味などあるのだろうか。

 それでも、いや、それゆえに、この羅列に魅了されている自分がいることも、また確かなのだ。
 「A=A」の、左辺と右辺をいつまでも反復横跳びするような、そんな気分にさせられる。
 そしておそらくこの体験をするのは、発言した当人だけが感じられるものなのかもしれない。

 つまり同一律は、自己暗示をするのに重宝する。
「やるったらやる」「僕は僕だ」
 こう自らを言い聞かせるとき、そこに自分以外の介在する者はいない。
 逆に言えば、こうして決心したことに関して、他人の顔色をうかがう必要なんてない。誰がなんと言おうが、あるいは誰からの反応がなかろうが、やればいい。

自己暗示の物語

 金曜から連載を始める『ユーメと命がけの夢想家』は、まさに究極の自己暗示の物語だ。

 この作品は、主人公の「僕」が、書きつづけるための物語だ。
 毎週、ランダムに決めたお題を元に、物語を書く。どんな内容でもいいし、凝ったものでなくてもいい。長くても短くてもいい。
 ルールはただ一点、
 金曜22時までに完成させて、noteに投稿することだけ。
 そのあとで、「僕」とユーメが、その作品に関して、あれこれと語らう。

 ……そんな作品にしようと、考えている。
 お題は『お題.com』(https://xn--t8jz542a.com/)の「ランダムお題」から拝借予定で、2021年12月29日現在、順調に書きつづけている。

 この作品を思い至ったいきさつは、今年の夏、大きな挫折を味わったことによる。それ以降書くことに関して、自分でも驚くほど怯えるようになってしまった。
 それでも無理やり書いてみても、怯えが文章に浮き出てきて、胸くそ悪くなるのだった。

 さらに苦しいことに、ストーリーと人物が、なにひとつ出てこなくなってしまった。
 つまり、全体の構成を組むことができても、その一つひとつのエピソードに、具体的なドラマでもって描写することができなくなってしまったのだ。

 そうか、もう、書けないのか。
 その事実を認識したとき、ふと、僕は以前書いた物語のセリフを思い出した。

 わたしさ、絶望ってこう、激しいものだと思ってたの。でも、(中略)『もうダメだ』『おしまいだ』って嘆くうちはさ、絶望じゃないんだよ。今までの希望を失っただけなんだよ。
 望みが絶たれちゃったら、嘆く力すら奪われちゃうんだよ。なにひとつ残んない。(中略)絶望に沈んだ人は穏やかでさ、ほほえんでて、自虐的なんだ。

『イリエの情景~被災地さんぽめぐり~2』陸前高田市篇より
https://johgasaki.booth.pm/items/1378897

 今の僕は、希望を失っただけなのか、あるいは真に絶望しているのか。
 答えは一旦保留するとして、まだできることがある気がした。

 なぜなら僕は、書きつづけることを、ずっと怠っていたからだ。
 怠っていたのなら、それをやればいい。

口先だけでなく、その様をここに示す

 今一度、初心に戻ろうと思う。
 ここでいう初心とは、僕が本格的に同人活動をすることになった『イリエの情景』のころに戻るということではない。
 もっとずっと昔の、息するようにものを書いていたころの自分だ。

 ただやみくもに戻るわけではない。あの頃書きたかったものと、今書きたいものは違うだろうし、感性も情熱の傾け方も、変わった。
 変わったと自覚する。
 そのことを言い訳にしない。
 そして、書くのだ。

 今の僕が、なにを書こうとしているのか。
 なにが書きたいのか。
 なにが書きやすくて、なにが苦手なのか。
 手癖はなにか。
 どこを伸ばせばいいのか。
 苦手は克服すべきか。
 そもそも書く必要はあるのか。
 どんなスタイルで書くのがいいのか。

 ……今までの自分が当たり前だと思っていたすべてを、見つめ直したいと考えている。

 そして、この自問自答は、「書きつづける」という文脈のうえで、初めて意味をなす。つまり、なにひとつ書かずに進める自問自答は、机上の空論でしかないということだ。
 地図アプリで現在情報を示すには、常に電波を送信する必要があるのと同じで、「僕」の現在地点を示すには、書きつづけるほか、ないのだ。

 『ユーメと命がけの夢想家』は、書きつづけるための物語だ。
 創作する術を失い、書けなくなったもの書きが、それでも書きつづけることを選択し、口先だけではなくて、実際に書きつづける物語だ。

 もし、僕の既存作品を読んでくださった方がこれを読んだら、呆気にとられるかもしれない。
 少なくとも、今まで書いてきた物語とは、まったくテイストの異なるものになっていることだろう。
 だから正直言って、公開することを今なお躊躇している。

 でも、もしこの世のどこかに、僕と同じ境遇の人間がいるとするならば、この作品は一種の「拠りどころ」になるかもしれない。
 もしくは、カンフル剤のような役割を担うかもしれない。

 いや、実のところ、そんな模範解答すら、「嘘」なのだろう。

 【書きつづけるには、書きつづけるしかない】という自明の命題を、自らに言い聞かす様を、ここに示すため。
 それ以上でも、それ以下でもない。
 『ユーメと命がけの夢想家』は、同一律的で、自己暗示的な物語で、あるひとりのもの書きの、果てしない思考実験だ。
 もしよろしければ、その不思議な世界に浸っていただけたら幸いである。

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次回

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【ユーメと命がけの夢想家】
目次

000:雨の日の朝食
001:黄昏時
幕間001:加虐と被虐
002:秘密の恋
幕間002:適切な努め
003:トキメキ二重奏
幕間003:焦燥と設計
004:きらめく星空
幕間004:三幕構成と本を読むということ
005:帰宅したら、何だかものすごいことになっているのですが
幕間005:構造と理屈なき展開
006:ついつい目のいく窓際の席
幕間006:サイエンス資料

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