005:帰宅したら、何だかものすごいことになっているのですが【ユーメと命がけの夢想家】
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「帰宅したらよ、何だかものすごいことになっててさあ、ほら修一さ、暇なんだろ。ちょっと手伝ってくれねえか?」
そう呼ばれたのは午前1時半。
自主休講中ではあるが、スケジュールは詰まっている。なにせ午前の予定は、睡眠という重大な予定で埋め尽くされているのだ。
山本の通話を開始したのだって、布団のなかで眠気に委ねかけた頃合いだった。
「いや、ねえよ。おやすみ」
「待て待て、待てって!」
待てと言われても睡魔は訪れる。そう、俺はなにもしていない。向こうから勝手にやってくるのだ。
「コレクションの危機なんだ。頼めるの、お前しかいねえんだっての」
「行く」
睡魔は出禁だ。
睡眠は重大な予定と言ったが、よくよく考えてみると明日に振り替えても一向に構わない用事だということに気付いた。
そんなことより、コレクションがどうにかなってしまうことのほうが危機的だ。
山本コレクション。
それは、古今東西のあらゆるゲームのコレクションのことだ。
最新ゲームはもちろん、今なお根強い人気を誇るPS2ソフト『moon』、クソゲーの代名詞『四八(仮)』、ニューメキシコ州の砂漠に埋められてそうなアタリのソフト、さらには渋めなボードゲームの類いから竹トンボまで、とにかくなんでもある。
ヒマになったら山本に頼れという格言が、ささやかれるほどである。
コレクション利用がきっかけで山本と仲良くなった。
それにしても、山本から誘ってくるなんて珍しい。
夜通しゲームをする仲ではあるものの、誘いはいつだって俺からだし、ゲームするのだって俺の部屋だ。大学から歩いて10分の好立地に暮らしている一方で、山本は隣の駅前にあるからというのもあるが。
寝巻の上にダッフルコートを着込み、サンダルを引きずるようにアパートを出る。
上半身は温かいが、下半身は心もとない。けれども、靴下を履く余裕も、股引を穿く余裕もない。山本コレクションの危機なのだ。
無論数分後に、凍え死ぬ危機が訪れたのは言うまでもない。
とにかく、早足で丘をくだり、ときに腿上げ跳躍スクワットをし、事前に知らされていた山本の家の前に到着した。
俺のアパートも古いが、奴のアパートはなお古かった。
赤さびだらけの階段の脇に、切れかかった蛍光灯が点滅し、外壁のくすみを照らしている。屋根から枯れたツタが垂れ下がり、冬風に吹かれてなびいている。空気の抜けた三輪車、乾ききった土に草も生えない植木鉢。
たしか、202号室だったよな、と、階段をのぼったあとで消えかかったプレートを辿る。
ふたつ目のドア。チャイムはあるが、こんな時間に押してもいいものなのだろうか。
……どこかの部屋から、怒号とロックミュージックと笑い声が混じり合う。まあ、いいか。押す。すっとぼけたような、乾いた音。
「はいってくれい」
山本の声がした。入れと言われても、こいつは鍵を閉めてないのか?
酔っぱらった隣の人が入りかねんぞ。
まあ、そんな小言は会ってからすればいいか。
丸いドアノブを握り、開ける。
宇宙が広がっていた。
閉める。
塗装の禿げた薄いドア板が正面にある。
いや、なにかの見間違いだろう。ドアを開けた夢でも見たに違いない。
どうしてクソボロアパートのドアと宇宙がつながってるんだ。
というか、山本の部屋だろ、ここは。お前さては宇宙人か?
「修一? しゅういちくぅん? ちょっと、入ってくれって」
宇宙人の誘いには乗らないぞ。
このまま入れば、宇宙空間で囚われの身になり脳みそを解剖させられ地球侵略の駒として利用されるんだろう? B級SF映画みたいに!
「ちょっとマジで、コレクションがヤバいんだって!」
「すぐ行く」
なにがB級映画だ。
山本コレクションの御前でジョークを飛ばすなら、そこはクソゲーと呼ぶべきだろ。
とにかくコレクションが危ないのであれば、たとえ脳みそを解剖させられようが、救ってみせる。
ドアを開ける。
宇宙が広がっていた。
……やっぱり見間違いでも夢でもなかったらしい。
「まあ適当に靴脱いで、あがってくれよ」
のんびり言ってくれるが、どこに脱いでどこにあがればいいんだ。
宇宙空間でサンダルを脱いだら、宇宙ゴミとなって未来永劫漂いつづけることになるんじゃなかろうか。
まあ四の五の言ってるヒマはない。危機だ、危機。命を賭して救わねばならぬのだ。
そのためにはまず王様に会って勇者の剣を手に入れる必要がある。
「マジでお前んち、ものすごいことになってんのな」
「あれ、もしかしてそっちまで広がっちゃってる? マズいなあ……」
マズそうに感じられない口調なので、もしかしたら緊急事態ではないのかもしれない、と思ってしまうわけだが、そんなわけなくて。
ボロアパートの外廊下から1歩、宇宙に踏み出す。宙に落ちることもないし、無重力を感じることもなかった。
急ぎドアを閉める。と思いきやドアはどこにもなくなっていた。見渡す限りの宇宙だ。星のきらめきが遠いのだか近いのだか。
「で、お前、いつ宇宙に引っ越した?」
開放感がたっぷりで、家賃によっては俺も検討しようかな、なんてことは思うわけもなく、どこにいるのかも分からない山本に声をかける。
「違うんだ、新作VRしてたんだけどね、なんか、コレクションと反応起こしちゃってさ、こうなった」
いや、どうなった。なにをもってどうなった。しかしなってしまった事実だけでも受け容れて、とにもかくにも山本から直接状況を把握する必要がある。
宇宙空間をさまよっていればそのうち会えるだろう。そう思って歩を進める。
ジャングル地帯に辿り着いていた。
幹には深い苔まで生して、聞き馴染みのない鳥獣の鳴き声がする。
「散らかっててごめんね」
散らかってるどころの話じゃない。
シダだらけの床に、ツタだらけの天井、宙に舞う埃の代わりにエアロゾル・ジメジメ。葉の裏には巨大甲虫、ゾッとする。
さらに1歩。
世界は一変し、中世ヨーロッパ、否ナーロッパな様相を醸しだす城下町を一望する丘の上にいた。円い城壁に取り囲まれた赤い屋根の街並み。S字を描いた川が街を二分し流れている。
ラノベ作品でゲーム化したものも世に多くあるわけで、おそらくそのなかのどれかなのだろうが、お決まりの舞台がゆえに、作品特定までには至れない。
1歩、1歩、加えて1歩。
馬にまたがり大草原を駆け抜け、ブロックだらけの世界に迷い込み、荒廃した都市をビームライフル片手に潜り抜ける。
歩くたびに世界が変わる。
散らかりすぎて、もうなにがなにやら分からない。そもそもここは本当に山本の家なのか。それともこれはただのVR世界なだけなのか。
というかゴーグルもつけずにこんな世界を見せつけられているわけだが、これはいったいどういう原理なのだろう。
とにかく、目まぐるしい変化にVR酔いがすごい。
「おい山本、お前んとこまで辿り着ける気がしないんだが」
「四畳半で迷子とか、修一面白いなあ」
面白くない。全ッ然面白くない。
今は石レンガで組まれた『ウィザードリィ』の迷宮にいる。どうせ1歩動けば別のゲーム世界に至るのだろうが、むしろ馴染みのゲーム世界に留まっていたほうがいいまである。
「というか、お前は今どのゲームにいるんだよ」
「おれ? おれは日課のエクササイズやってるよ。いやあ、ステップのたび風景が変わる変わる」
もうこいつ置いて帰っていいんじゃなかろうか。
「待って帰らないでお願い!」
さも当たり前のように心を読むな心を。
しかしどうしろってんだ。1マスごとに異なる世界が待ち受けている。
山本の声は聞こえるけど、どこからともなく、だ。どこへ足を向かわせようが、近づく気配も遠ざかる気配もしない。
頭上からパズルピースが落ちてきたと思えば回転するルーレットに足をすくわれ、視界下にテキストウィンドウが現れたと思えば大海原に放り出された。
前後不覚、いやもはや上下不覚だ。そのうち自我すら不覚になるんでねえか。
「いいかい修一、このラビリンスから抜け出すには、おれたち出会わなければならない。ボーイ・ミーツ・ボーイだ」
「……どちらか一方がガールならよかったな」
「おれはどちらでも構わんけどな」
「どういう意味だ」
お前がゲイだろうがバイだろうが、俺は偏見なく受け止めるぞ。
「つまり、修一が抱える世界とおれが抱える世界。これを同じ場所でぶつけあうんだ」
急に話を戻すな。
「異なる空間を衝突されることで生じるグラビトンから異次元空間に転移し、超ひもを辿って元の世界に戻るわけだけど……どう、できる?」
「や、ワケわからん」
「大丈夫、行き当たりばったりでどうにかなるもんだから。それに……」
山本が告げた「それに」という言葉。
それだけなぜか、耳のすぐ裏側でささやかれたような、そんな心地を抱いた。
ぞわりと、背中のすじが収縮する。思わず息を呑み、振り返った。
真っ正面に、男が立っていた。
ほんわりとした目尻に、ぼさぼさの髪の毛、上下ともグレーのスウェットで、腰ひもがぶらぶら下がっている。
ささくれガサガサ、深爪、長爪、爪の垢。
その男は、なおものんきに片手をあげた。
「やあ、修一」
挨拶を返そうとした。
よう、と声が出かかって、しかし絞りだそうにもなにも出ない。
だってお前は。
誰だ……?
そのとき、俺たちは奈落へ落ちた。
スマホが鳴る。
意識の片隅で、その音をとらえた。
アラームか?
違う、この音は、着信だ。
いったい誰なんだ、ひとの睡眠を阻害する輩は……。
「もしもし……」
「ああ、山本くん! やっと出た! なに寝てたの? もう正午だよ」
矢継ぎ早な声。それだけで分かる。
犬居だ。こいつ、本当に容赦ないからな。
「うるせいな。たっぷり寝だめする予定だったのに、お前が催促するから、変な夢見ただろうが」
「頼むぜ、山本コレクションだけが頼りなんだよ」
コレクションといえば、奇妙な夢を見ていた気がする。
深夜に隣駅まで歩かされて部屋に入ると、ゲームの世界に迷いこんでしまう夢だ。
歩けど歩けど前へ進まず、しかし世界は目まぐるしく変化して……とにかく、とんでもない冒険のひとときで、心拍数がぐんぐん上がった。
こうして目が覚めたことで、ずいぶん遠くから我が家に帰ったような気分だった。
「……分かった、行くよ」」
ご所望とあらば仕方がない。
たとえ何どきでも、コレクションを望むのならば、馳せ参じねば。
ゲームというのは、プレイして初めて価値というものがある。
スマホを握りつつ眠たい身体にむち打ち、上半身を起こして布団から脱する。
目をこすり、そして、明るさに慣れてきた目を、ようやく開いた。
6畳1間の我が部屋は、布団を中心にして、地平まで砂漠が広がっていた。
……やれやれ。
「おい、犬居」
こんな馬鹿馬鹿しいことでも、ちゃんと言葉にしたい。
それに、ちょうどいい話し相手がいるじゃないか。
「……何だかものすごいことになってるんだが」
テーマ:帰宅したら、何だかものすごいことになっているのですが
「お題.com」(https://xn--t8jz542a.com/)より
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