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幕間002:適切な努め【ユーメと命がけの夢想家】

前回

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「結構悩んでるみたい?」
「まあ、悩むよ」

 恋なんて傷つくだけの代物だ。
 少なくとも今の僕にハッピーエンドな恋物語なんて書く気力は湧かない。

「だから、相手は猫にするってわけ」
「なんだよ、どうせ僕は逃げ腰ですよ」
「というより、恋愛というものに、想像以上の怯えを抱く自分自身に戸惑ってる、って感じ?」

 ユーメの言う通りなのであった。
 この前の夏を境に、もはや僕は異性と親しくなることに対して、極度に恐れおののいている。おののいていることは薄々感じてはいたものの、「お題.com」のランダムお題で「秘密の恋」と出たとき、拒絶感が真っ先に込み上げてきたのだ。

「それでも、書くさ、書きつづけるしかないんだから」
 見なかったことにして、別のテーマに取り組むことだってできた。
 でも、まずはやってみてから考えてみることにした。やってみたら、案外イケるかもしれない、と思える未来を信じて。

「で、どだった?」
「許斐木乃美を書くのが楽しかった」
「キャラクターキャラクターしてたから、たぶんそうだろうなと思った

「ただ、そこから創作意欲が減退したんだ」
「どうして?」
 問われる。
 どうしてだったろう。

「猫ってどんな生きものだったか、よく分かってない自分に気付いた、からだと思う」
「そんな人間、いる? ……もちろん、世の中には猫嫌いな人もいるでしょうけど、猫嫌いなら猫嫌いで、それ相応の〈猫〉像を抱いてる気がするけど」

 それは大いに頷ける。「gato」と検索すれば、その一端を垣間見ることができる。
 無論、その内容は非常に胸くそ悪いものなので、興味本位で調べると生命力を削られるので、推奨はしない。
 gato。タイヤネックレス。糞喰漢。世の中には知らないほうがいいことが山ほどあるのだ。

 さておき。
 猫はもちろん、その姿はイメージできる。かつてはよく野良猫とたわむれ、その体温を感じながらじっくり撫でまわした経験はある。

 哀しいことがあって、深夜のバスターミナルのベンチでひとり佇んでいたとき、猫がとことこと近づいてきて、なぁごと声をかけてきたときのことは、とりわけよく覚えている。ただエサが欲しいだけであって、なぐさめに来たわけではないことは理解していた。
 ただ、そのぬくもりだけが、あの日の僕には救いだった。

「でもね、そのイメージだけじゃ、違うと思ったんだ」
「へえ」
「そもそも、時雨は猫に恋をしている。僕が見る〈猫〉と彼女の見る〈クロイシさま〉は異なるんじゃないかって思ったんだ」

「それって、世間一般の考える〈猫〉と、【001:黄昏時】の灰野くんが見る〈ノネコ〉に通ずるものがあるかもね」
「そうかもしれない。むしろそのズレを、僕なりに深掘りしたいと思ったのかもしれない」

 そこで、動画をあさることにしたのだった。
 ずいぶん前から馴染みのある「ねこかます」氏の膨大な動画資料群だ。

 その動画群のなかに、「茶トラ四号」なる猫が登場する。
 「誰おまくん」とか「四護」「クロちゃん」などとも呼ばれる。彼もまた非常に魅力的な猫で、語れば本編の2倍の文章量が必要になる。

 彼や、彼をとりまく個性的な猫たちを観察しながら、クロイシさまのイメージを固めていくことにした。

 これはよくあることなのだが、とりわけ短篇を書く場合、そのほとんどの人物は見切り発車で書き進めてしまう。よって「秘密の恋」に登場した時雨、木乃美、クロイシさま、加えてミュイとレンくんも、その一行前の部分で考えた。

 そして、見切り発車の運動エネルギーだけでは足らなくなると、呼応するように書けなくなる。

 クロイシさまの掘り下げはどうにかできそうだ。でも、肝心の語り手たる時雨のイメージが固まらない。
「それで、時雨当人の〈運動エネルギー〉を増幅させることにさせたんだ」「時雨の気持ちを昂揚させたってこと? 確かに夜更かししてマウスを操作する場面から、文章が走りまくってるって印象を抱いたけど」

「正確には、ホームセンターのくだりのラストで、『紙袋に入った商品の触感』を噛みしめた部分から、時雨の気持ちはぐうっと高まっていったんだと思う。最近、買い物することが増えてさ」
「唐突に自分語りに入る」

 非常食を買った。水を入れるだけで食べられるご飯だ。僕はたびたび車で長距離の旅をすることがあるけど、その道中の食事は、いつもカップ焼きそばだった。
 車中にお湯を沸かす設備がないので、麦茶を入れて1時間かけてふやかしたものを食べる。カップ焼きそばなのはカップラーメンよりも水をよく吸うので、腹が膨れるためだ。しかし当然というべきか、非常に味は薄く、虚無を喰っているようなもので、心の空腹までは満たせなかった。

 それが、最近は経済的に多少の余裕ができたために、上記のご飯を大量に備蓄できるようになったのだ。非常食を入れるためのボックスも併せて買った。ひもじかった箇所が彩られていく感覚に、僕は至福を抱いた。実際に非常食を試食してみたところ、とても美味しかったので、とてもいい買い物だった。

「浪費家になる未来が見える」
 ユーメの直球に、僕は苦笑いを浮かべるほかなかった。

「とにかく、買いもののドキドキ感、充足感を火口ほくちにして、勢いをつけることにしたんだ。時雨は元気がいい。ただ元気がいいだけじゃなくて、ブッ飛んだところがある。僕はそのブッ飛びに賭けた。結果として、いいラストを描けたんじゃないかなと思ってる」

「ラストがよかったかどうかは読み手に委ねるとして、あれは最初から狙ってたの?」
「新しい恋の芽生えが訪れる展開は、冒頭クロイシさまとの交流を一通り書いたあとで、ぼんやりと見えたような感じがする。その光明を手繰り寄せたいと思えたから、書きつづけることができた気がする」
「あてもなく彷徨いつづけるのは、心細さ以上に、自己不信の念が大きくなるものね」

 この自己不信ってやつが非常に厄介で、今まで書いてきた物語の多くは、これによって陽の光を浴びることなく封じられてきた。
 連載という形式をとらない長篇を手掛けようとすると特に顕著な印象を抱く。反応の有無はさておき、ある程度書いたら区切りをつけて世に解き放つのは、精神衛生上、一定の効果があるのかもしれない。

「それはそうと、君は確か、ホームセンターで働く人だったよね」
「そうだね」
「ペットショップでもいいものを、わざわざホームセンターを登場させたのは、なにか意味があるのかしら?」
「さして超重要なメタファーや伏線を込めてるわけじゃないんだけど、今回に限っていえば、『確信をもって書けるから』の一言に尽きると思う」

 ペットショップが世に溢れていることは承知しているが、僕は訪れた覚えがない。駅ビルのテナントに入っていて、その前を通りすぎたことはあるが、果たしてそこになにが売られているのかは知らない。
 ペットだけかもしれないし、ウェアや玩具も並んでるかもしれないし、さらにペットフードもあるのかもしれない。でも敷地面積と品数の比率が分からないし、棚の高さもいまいちピンとこない。

 一方でホームセンターなら、外観からある程度ペットコーナーの面積は把握できるし、そこでなにが売られているのかもある程度想像がつく。時雨が訪れた店舗では、商品棚の高さが彼女の身長より低いので、馴染みのない人でもさほど迷わずに猫の玩具コーナーまで向かうことができる。
 ……などという設定を、わざわざメモせずとも思いつける。

 『設定は書くな、描写しろ』みたいな格言を、もの書きならば一度は目にしたことはあるかもしれない。でも、頭のなかにないものを描写しろと言われてもできるわけがない。となれば一度設計図をつくる作業、つまり設定を書く必要が出る。
 肝要なのは、この設定をどれもこれも文中に押し出すんじゃない。その設定が世に存在することを当然のものとして、あくまで描くのは物語だけ、という点だと思う。

 でも、僕はどうしても文字が多くなってしまうクセがあって、調べたものは全部発表したくなる衝動に駆られる。だからもし舞台をペットショップにしてしまったら、まずその駐車場の大きさから物語が始まってしまう気がする。

「もっとも、これはホームセンター内でも専門外のペットコーナーだから言えることであって、金物とか電材とか水道部品なんかだったらそうはいかない気もする。蛇口を出したら、その次の行で『呼び13』ってワードを出すに決まってる」
「謎ワードはどうでもいいとして、面白いと思うけどな、ホームセンターを舞台にした物語」
「ある商業作家の方からも言われたことがあって、その方は『いつまでも待ちつづける』と仰ってて、恐縮した思い出があるんだよなあ。いつか、やってみたいもんだ」
 ため息でも洩らすような感覚でぼやいてしまった。ユーメは「やればいい」と静かに頷いた。

「やりたいついでに、ちょっと思ったことがあるんだ」
「なにかしら」
「1本書くたびに、関連して新しい話に挑戦したくなるんだけど、その傾向に2パターンある気がして」
「聞かして」
「作用的な創作欲求と、反作用的な創作欲求、とでもいえばいいのかな」

 前者は、今言ったようにホームセンターを描写したことで、次はホームセンターにスポットライトを当てて、なにか書いてやろう、と思うことだ。
 後者は、たとえば一人称ばかりで飽きてくるから、次は三人称にしようとか、語り手の年齢を変えようとか、舞台をまったく別のものにしようとか、そういう欲求だ。

「なるほど、相対する欲求を、理科で習った作用・反作用の法則になぞらえてるわけ」
「自分は飽き性だから、いろんなことをしてみたいらしい。けれども、いろんなことをするには、能力が足りていないと思ってしまう」

 『秘密の恋』も、これに苦しんだ。
 猫に関する描写も、語り手の心情や個性に関しても、猫グッズに関するあれこれも、僕はなにも知らないことを痛感させられた。
 猫やグッズなら、調べればどうにかできそうな気はする。でも人物の心情となるとそうはいかない。数多のキャラクターを学んだところで、学んだ実感を得られないのだ。

 ユーメは、腕を組み、ワークチェアのアームレストに腰かけた。
「そういう悩みの大半は、能力どうこうで解決できるものではないんじゃないかな」
「つまり、どういうことだ?」

「『能力』を原因にすることは、能力のない自分自身を慰める以上のものではないってこと。なにもしないのと同じ。少なくとも、自分が本気で目指そうとしてるものの途中に立ち塞がる壁に対して、『能力』がないからできません、あきらめますなんて言ってごらん。そんなもの、本気で目指してませんでしたって言ってるようなものでしょ」

「確かに……」
 いや、本当に、目からウロコというべきか。背中がぞくりとする。
 能力がない。その事実は揺るぎない。が、無理やり能力をつけようと悪戦苦闘しろと言ってるわけではない。まして、能力がないことを口にしないことで、目を背けて、この場所で留まればいい、などということでももちろんない。

 ユーメは、目的地にいたる道筋はひとつではないと言っているのだ。今ある手札から、目的地へ辿り着くための最適な道を、自ら考えて進めと、必要とあらば自ら切りひらけと言っている。
 たとえ面倒だろうが、華がなかろうが、つまらないことだろうが、本当にやりたいことならば、その面倒くささを言い訳にはしないで、当たり前のように黙ってやるはずだろ、と。
 ユーメが僕の分身なのだとしたら、我が身かわいさに、こんな発想するはずもないのに。いったいどこから湧いて出てくるというのだろう。

「君に不足してるのは、『能力』じゃない。いろいろあると思うけど、例えばファインダー」
ファインダー。カメラの覗き窓。
「知識は、ただそれだけではなにも語りかけてくれはしない。それを浴びた人間が、語るの。だから君が得た知識は、見た風景を書くのではない。時雨というファインダーを介した風景を語る」

 当然のことながら、物語は作者がしゃしゃり出るようなものではない。仮に出てくるとしても、それは『僕』なり『彼』なりを媒介に、ものを語る。
 今現在、僕の手元にあるのは、僕自身というファインダーだけなのではないか。

「……君はもう、とっくの昔からそのことに気付いてたと思うんだけど」
「確かに僕は、ファインダーをどこかに置き忘れてしまったようだ」
「その作り方も」
「いや、たぶん『作り方』なんてものはないさ。あったとしても、無自覚に描きだしてただけだろう」

 かつての自分自身の感覚を思い出しながら、言葉を選ぶ。
「それは方法でも理論でもなくて、発生で湧出だ」
 偶然夜空に現れる流星を望むのと、似ているかもしれない。流星を渇望したところで、うまいこと出現してくれるはずもないのに。仮に運よく目撃できたとしても、星はひと筋の線を描くだけで、手元にはなにものこらない。

「君らしいね」
 ユーメはくすりと笑った。
「本当に、なにも考えずにずっと書いてきたんだ」

「逆に、考えることが増えてしまったから、同じようにはいかなくなったのかもしれない」
 でも、毎週物語を考えるとなると、そんなことはしていられない。

 考えることは、ふたつだけ。
 次の一文をどうするかと、狙った結末へどう向かうか。
 シンプルだ。

 シンプルのはずなのだ。

 きちんと、焦点の合うファインダーさえ、この手にあるのなら。


「一区切りついたところで、次のテーマを決めましょう。『お題.com』から、ランダムお題をひとつ」
「えーっと」
 画面のボタンをひと押し。
 すると。

【トキメキ二重奏】

「なんだ、これ」
「次のテーマよ」
「いやそれは分かる。が、トキメキって、二重奏って」
「好きでしょ、二重奏。トキメクでしょ、二重奏」

「確かにクラシック音楽は好きだけど、二重奏で気に入りの曲なんてないし、なんならしっかり聴いたこともない」
「クラシック好きの風上に置けないクズね」

 なぜそこまで罵られなくてはならないのかは定かでないが、しかし、クラシックで縛らなければならないわけではない。あくまでテーマから連想したものを書けばいい。これは指針のようなもので縛るものではない、はずだ。

「まあ、『二重唱』じゃないだけマシか……」
「君って、新しいチャレンジをするとき、大抵マイナスな印象からスタートしようとするよね。もっとテンション上げていかないの? 時雨みたいに」

「いいだろ、あきらめからはじめたほうが、いろいろ幻滅せずに済むじゃないか」
「ま、来週までに完成するなら、なんだっていい」
 ユーメならそう言うに決まってる。

 第一印象でなにひとつ着想が浮かばないが……。いや、この場合は発想というべきか。そういえばこの2語、発と着で対義的な意味なのに、発想も着想もほとんど同じ意味でつかわれるの、面白いな。

 至極どうでもいいことを考えてしまう程度には、引っかかりのないテーマだ。

 難儀の1週間が、またはじまる。

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