幕間006:サイエンス資料【ユーメと命がけの夢想家】
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まったくなにも書けなかった。今までの比ではなかった。というのも、今まではどんな難しいお題であっても、ある程度方針というものがあった。
「【黄昏時】なら、猫への加虐。【トキメキ二重奏】ならばファンタジックでソヴィエトな舞台と。そういった具合に、お題となにかを掛け合わせて、物語を書くというのが、僕の主な書き方だったんだけど」
「今回は、その『なにか』が一切なかった、と」
そうなのだ。なにひとつ引っかかることがなかった。
寝る前、起床後、職場の休憩時間や夕飯後、エディターを開いてキーボードに手を置くまではいいけれど、なにひとつ文字を打ち込めずにいた。
あまりの書けなさに、むしろ感心するほどだった。
「ただ、焦りはなかったんだ」
かつての僕なら、〆切に追われる木金曜を思うあまり、恐怖で指が震え、胃袋はずきずき痛みだしたに違いない。
しかし不思議なことに、根拠もなく大丈夫なのだろうと余裕を感じることができたのだった。
「どのくらいのボリュームで、どのくらいのスピードで、どのタイミングで書きはじめることができれば間に合うか、かなり確実で確信的な〈勘〉を持ち合わせていたからなんだと思う」
「〈勘〉、ねえ。でもそのいずれかが破綻してしまったら? 想像以上のボリュームだったり、スピードが出なかったり、いっこうに書きだせなかったりしたら?」
その怯えは身に覚えのあるものだった。1ヶ月前の僕は、間違いなくその3点に怯えていたのだ。
でも。
「そんなことに怯えたって、なにも生み出せやしないじゃないか」
怯えそのものは貴重な感覚だ。怯えない登場人物はいないし、その心地は大切な糧となる。
そう、糧なのだ。
苦しみは糧であり、それ以上でもそれ以下でもない。
苦しみの裾野をなぞり、ひたり、しずむことだってある。けれども、僕らもの書きは書かなければならない。
浮上して、書くのだ。浮上できないのであれば、書いて、浮上するのだ。それが、もの書きという生命体の代謝なのだ。
「言うようになったね」
と、ユーメはぽそりとぼやき、それからじっと僕を見た。
「でも、現に書けてない状態は変わらないでしょ。君、どうしてたの?」
「これから連載する作品の構想を練ってた」
それがとても充実していた。
着想は数年前からあったもので、たびたびメスを入れてはいたものの、作品側から息吹を感じるほどに充実しだしたのは、『ユーメ』の【005】を書き終えたあとのことだ。
3、4週間くらい没頭していたようにも思えるが、実際にはほんの数日間の出来事であった。
「ジャンルとしてはハイ・ファンタジーに属するんだろうかね。つまり異世界を自らつくることになるわけだけど、そうなれば世界地図は必須となる」
「読み手からしても書き手からしても、想像力の補助翼として必要でしょうね」
世界地図製作にあたっては、優秀なエディターが多く存在する。僕はAzgaar氏が製作した素晴らしいジェネレーター『Azgaar’s Fantasy Map Generator』を使っている。あらゆる地形や国家を自動生成することができ、そしてなにより道を敷くことができる。
「道の話になると目の色が変わるのね」
当然だ。
……このジェネレーターがいかに素晴らしいかを語りたいのは山々だが、それは諸々の紹介ブログやサイトに委ねるとしよう。
「が、間もなくつまずくことになる」
世界地図をつくるということはすなわち新たな〈地球〉をつくるということであるわけだ。
山があれば川もできる。上記ジェネレーターは地形や雨量による川幅のサイズまで自動的に調整してくれる。
しかし、ただ大陸を描いて山脈を引くだけじゃ、違和感がすさまじいことに気付いてしまったのだ。
「その世界地図には、〈地殻の動き〉がまったく感じられないんだよ……」
「……はあ?」
呆れられるのも分かる。
だってそんなもの、物語にはまったく関係がないのだ。
優秀なジェネレーターでさえ、そんなものは考慮されていない。する必要がないからだ。
作中の文明レベルを考えると、大地が動いていることなんて思いもしないだろうし、海溝があることすら知らないに違いない。
火山はプレートの境界に数多くあることだって知る由もないのだ。
「でも、丸い惑星を舞台にする以上は、これを考慮せずには〈本物〉とは思えなくって……」
はたから見れば、僕は虚構を書いてるだけに過ぎないことだろう。でも僕自身は、本物を書いている。
少なくとも本物だと信じられなければ、とてつもないエネルギーを浪費しなければならない。虚構を虚構だと自覚して書くのは、自らを磔にする十字架を背負って丘をのぼるような心地だ。
「そういうわけで、ここ数日は大気循環と海流、それとプレートテクトニクスを学んでいた」
「あのさあ、さすがにそれは凝りすぎというか飛躍しすぎというか、一種の逃げだと思うんだけど」
「世界を知らずして物語を書くほうが逃げだと思うよ」
そう言い返すと、ユーメは口をぽかんと開けたまま放心した。それから、くふふと声を噛み殺して笑った。
「君、ほんとにあの弱気で卑屈な夢想家と同じなの?」
くひひと腹を抱え、それから笑い涙を拭った。よっぽどおかしいことを言ったらしい。
「で……君、一向に【006】が生まれた経緯が出てこないんだけど?」
「そうだった」
本題に戻ろうか。
といっても、今までのも誕生経緯の一環なんだけど。
「プレートテクトニクスについて調べてて、とある動画に出会ったんだ。たしか、1月30日(日)の26時くらいだったかな。このシリーズを見てるうちに寝落ちして、それでふと気付いたら、PC画面にこの回が流れてたんだ」
『シムアースを作りたい 第23回「陸上植物」』
「中盤の「雑談タイム」で、全球凍結の話が出てくるわけで、これを目にした瞬間、この【006】が完成した」
「全球凍結……スノーボールアース仮説ね。赤道含め、地球が完全に凍結してしまうこと」
最近は賛同者も増えてきたこの仮説であるが、提唱当時、地球がまるまる氷漬けになるなんてことはありえないと思われていたらしい。
「まあ、その言い分も分かる。氷というのは太陽の熱を強烈に跳ね返す。黒いシャツより白いシャツのほうが熱くならない、という体験を思い出してくれたら分かるだろうけど。地球が全身白シャツ姿になると、計算上、2度と氷は溶けることがないらしい」
「でも現在の地球は全球凍結に至ってない。故に、地球は1度もスノーボールにはなっていない、と」
「そう。でもこの考え方には、温室効果ガスは考慮されていない。全球凍結中も火山活動はおこなわれているし、当然噴出物のなかには二酸化炭素やメタンや硫黄化合物も含まれる。とりわけ二酸化炭素は現在の400倍も多く含まれていて、その結果地球の温度は100度近く上昇した……って、ウィキペディアには書いてある」
「100度ってとんでもないけど、その結果、平均温度が40度になったって書いてあるから、全球凍結中の地球はとんでもなく寒かったのね」
「そう。そのあいだ、地球に点在する〈オアシス〉で生命は生きながらえた。それはまるでガラパゴス諸島が点在するかの如く、各〈オアシス〉で独自の進化を続けていったといってもいい。そして長い冬が終わり、春が訪れる。暖かい陽射しと大量の二酸化炭素があればどうするか、ユーメは分かるかな?」
「そうね、光合成ね」
「そう。光合成が活発になれば酸素濃度が増える。酸素が増えれば好気呼吸の生命体が活発になる。世界中の〈オアシス〉から飛び出した生命体同士が出会い、交雑する。その結果、新しい生物が爆発的に増えていく」
「という妄想なのね」
「いいだろ、妄想。ロマンがあるじゃないか」
前にも述べたように、全球凍結は仮説であるし、その原因にも諸説ある。
作中では宇宙線が雲の生成を促す、という描写がなされているけれど、これは〈スベンスマルク効果〉を参考にしている。
ただこれも実証されているわけではない。でも、これが成り立つ世界があるとすれば、それはとても面白いことだと思う。
「ちなみにもう1本参考にした動画があって」
『全地球史アトラス』
「以前から観たことがあって、感銘を受けてたわけだけど、『シムアースを作りたい』の動画を観て改めて学びなおしたんだ。かなり最近の学説も柔軟に取り入れてるから、初めて観たときは結構衝撃的だった」
また、温室効果ガス、温暖化に関する考え方についても、いくつか参考にした動画がある。
『割とガチ目に氷河期が起こる理由を解説 ミランコビッチ・サイクル』
『【ゆっくり解説】『科学』で学ぶ地球温暖化 ~なぜ二酸化炭素は悪なのか?~ 【Voiceroid解説】』
ここあたりが比較的僕の琴線に触れる動画で、面白かった。
なにより温暖化に関して否定も肯定もせず、事実列挙の姿勢を維持しつつ、(肯定論者に対しても否定論者に対しても静観者に対しても)問題提起をしてるところが非常に好感が持てる。
どの資料も、今回の物語を書く前から視聴していた一方で、こんなものが創作の役に立つとは信じられなかった。
改めて、見聞きするすべてのものが創作の糧となることを認識するのだった。
「正直なところ、科学的な正しさに基づいて書けたかと言えば、もう全然ダメだと言うほかない。物語をひととおり書きおえたあとで、超新星と原始星を混同して用いてることに気付いて、慌てて修正してるくらいなんだから」
だからきっと、コアなSF好きの方にとって、今回の物語は唾を吹っかけたくなるくらいつまらないものかもしれない。当然精巧な考証を重ねたうえで描かれる物語は重厚ですさまじく、雄大であるわけだけど、少なくともこの物語の本旨とは違う気がする。まあ、違うからなんなのだ、という話でもあるわけで。
それに、物語的にも事象の説明ばかりで、面白みに欠けてる感が否めない。
大昔にSFを書いたことがあるけれど、それはライトなSFで、科学的考察はほとんど入っていなかった。ハードな部分とエンターテインメントな部分をうまく馴染ませるための術は、これからもっと磨いていきたい部分でもある。
「しかし、サイエンスを扱うフィクションを書くとなると、とにかくいろんな資料をあさる必要があって、その多くはこの物語の役には立たない。でも、結構面白い話を目にするんだよね」
「それは、余談を聞かせたいって顔だね」
「そのとおり。まあ、山も谷もオチもない話だけど」
宇宙カレンダー、というものをご存じだろうか。
宇宙や人類の歴史を分かりやすく語るうえで用いられる。
ビッグバンを1月1日0時に、そして現在を12月31日12時に、といった具合で、宇宙138億の歴史を1年のカレンダーにたとえるものだ。太陽系は9月2日にでき、多細胞生物の誕生日は12月5日だ。
「人類の誕生は12月31日14時24分、農業の開始は同日23時59分32秒。ガリレオが望遠鏡を使って月を見るようになったのは23時59分59秒、つまり今から1秒前の出来事だ。つまり、望遠鏡で月を覗いた1秒後に、人類は月へ到達しているんだ」
「またたく間に、という表現がぴったりね」
「それで、僕は思うんだ。では次の1秒で、我々はどこまで行ってしまうのだろう、と」
「あるいは、どうなってしまうのか……」
どうなるか。
考えだせばきりがない。
このきりのなさというのが、思考においてとても気持ちがいい。哲学しかり、数学しかり、量子力学しかり……。
などと書いておきながら、数式から読み取る能力が欠如しているために、数学や量子力学はドキュメンタリーのフィルターを介さないとなかなか理解ができないのが悩ましいところではある。
「さてユーメ、そろそろ次回について話したいんだけど」
「あら、今回はやけに唐突ね」
毎回唐突な気もするけど、さておき。
「1ヶ月以上も週1更新をつづけることができて、実のところ僕はとても驚いている。こういう試みは、大抵3回で投げ出してしまうから」
「まあ、まだ6回だし、続いてる感はあんましない気もするけどね」
それはちょっと分かる。
「……こうして週1更新の習慣をつけてみて、率直な感想を言ってもいいかい?」
「わざわざクッションを挟むまでもないと思うけど」
「うん、そうなんだけど……。なんかね、〈置き〉に行ってる感じが否めないんだ」
金曜までに更新できればいいのだから、そこそこの内容で、そこそこのアイデアを出して、そこそこのエネルギーを出せばいい。
そういうふうにしておけばいいのだ、と、心の隅で思っている節がある。
それは言い方を替えれば、惰性で書いていると言ってもいい。1ヶ月前には想像もつかなかったことだが、毎週noteを更新するために物語をこねくり回す日々が普通になってしまったのだ。
「でも、僕の真の目標は、『ユーメ』を連載することじゃない」
書きつづけることだ。書きつづけて、それで生きることだ。
「だからユーメ、僕は発つよ。ユーメのおかげで僕は書きつづけることができるようになった」
実のところ、書きつづけることは、修行や苦行のようなものだと思っていた。やりたいこと、楽しいことをすべて放棄して、ひたすら原稿を書くことだと思っていた。
でも、どうやらそうではないらしい。
【000】で、僕は死霊のごとくアニメや解説動画を見て、ゲームに浸っていた。書きつづける日々が始まったら、たぶんそういうこともしなくなるんだろうなと、半ば諦めの念もあった。
それがどういうわけか、アニメも動画もゲームも、あますことなく堪能している。ここ数日は昼夜逆転気味だけど、無理に睡眠時間を削っているわけ でもない。さらにいえば、大好きなドライブもするし、情勢さえよければ週に3回は温泉やサウナに通っている。ビーフジャーキーや梅の湯も好んで飲む。
なにかを我慢しているわけでもなく、どういうわけか書きつづけているのだ。
強いていうならば、世界の中心に「書く」ことがあると、明確な実感がある点だろうか。
書くのに疲れたからアニメを観ながらゲームをして、必要とあらば動画や小説を吸収する。別にメリハリをつけて計画的にやっているわけではないのだけれど、なんとなくそういう流れがある気がする。
この1ヶ月で、書きつづける環境は整った。
次のステージに進むのなら、今だ。
「だから、『ユーメ』はこれで終わらせようと思う」
新作の連載準備を始めようと思っている。設定もなにも粗ばかりだし、ひとたび連載を始めれば、おそらく今までにない規模の連載になる予感がする。毎日更新を目指したいところだけど、そんなものが果たして僕にできるだろうか。
……などと、心配事を挙げればキリがない。けれど、今はもう、書きたくて書きたくて仕方がないのだ。
「言いたいことは、それだけかしら?」
ユーメの声が、冷たく感じる。
それでも僕は頷いた。
ユーメには感謝してる。でも、僕はここに留まってはいけない。
心臓は、静かに、でも確実に脈打ちをしている。
ユーメはじっと目を閉じ、それから細く長く、鼻から吸気を吐き出した。
「……さて、そろそろ次のお題、決めましょうか」
「いやちょっと待って」
平然と『お題.com』のページを開くユーメに対して、思わず突っ込んでしまう。
「え、なに、まだ続けなくっちゃいけないんすか」
すると、ユーメはギロリと鋭い視線で僕の両眼をえぐるのだった。
「君さあ、自分のこと分かってないね」
ユーメだって、自分の一部だと思うんだけど、とは思いつつ。
「ちゃんと〈帰る場所〉がないと、君、つぶれるでしょ」
「いや、まあ、そうかもしれないけど」
「いい? 君はいつだって〈帰る場所〉を欲してる。そして〈場所〉といってるけど、本当に望んでるのは〈人〉だってことも、知ってる。けれども、その理想とする〈人〉なんて、この世のどこを探したって、届きっこない場所にいる」
それは、なるべく触れられたくない、心のやわらかい部分なのだ。僕という人間は、〈帰る場所〉に足を踏み入れることなく、じっと見ることしかできない人種なのだ。
ついつい手を伸ばしてしまうと、痛い目を見ることを知っている。
「だから君は、夢想を続けるしかないの。そこに居場所があると本気で信じて、願って、切望して、追い求めるの。そうしなくちゃ、君は虚しさでつぶれてしまう」
虚しさに支配された僕を、救ってくれる人なんてどこにもいやしないことを、知っている。人はだれしも、忙しいのだ。
僕に手を差し伸べるのは、宇宙をくまなく探してみたって、僕だけしかいない。
なぜなら僕は、人に手を差し伸ばすことのできない人種だからだ。【003】でマルサイがアナンの手を取るような、他所様の人生を変えるような業は背負えない。
そしてその事実から目を逸らして日々を生きるわけだけど、ときどき、運悪く、正面に立ち止まった〈事実〉と相対してしまうこともある。そうなると、僕は少しだけ、生きるのがつらいと思ってしまう。
実に身勝手で、浅ましい感情だろうか。
「だから……」
と、ユーメは握りしめた手を胸に置いた。
「行き詰まったら、戻ってくればいいから」
それでもユーメは、僕を受け容れる。僕が僕自身を信頼せずとも、君は僕のことを信頼してくれる。
この物語は、僕自身と向き合うための場所だ。
向き合うことに卒業はない。
僕だけでも、僕のことをちゃんと見てくれるためにも。
「このお題は、その日のために――」
『お題.com』から、ランダムお題をひとつ。
次なるテーマは。
【日焼けした肌】
「……」
「……」
「……ええと」
「待って。いや、待って。大丈夫。分かってたから」
ユーメは自分に言い聞かせるように「分かってた」を連呼した。
そう、分かっていた。
ランダムお題というのは、そういうものなのだ。
つまり、僕らの感傷などどこゆく風なのだ。感傷に乗ずることも歯向かうこともなく、まさにどうでもいい感じのものを出してくれる。それでこそランダム。ありがとうランダム。
「日常風景の1枚って感じの物語にするのがそれっぽいかもしれないね」
なんて、それっぽいことを言ってみるものの、具体的なストーリーは出てこない。
中高時代、日焼けした日は全身がうだるように暑くて、妙な心地だったことを思い出す。それから、肌をぺりぺりめくるのが楽しくてしょうがなかった。
まあ、日焼けに関する自分語りは、これくらいだ。
「この話はいつ更新されるか分からないけど、楽しみにしてる」
ユーメは大きく息を吸った。あるいは、あくびかもしれない。
確かに、日付は2時間前に変わっている。いい頃合いだった。
「ありがとう、ユーメ」
僕がやることは、決まってる。
「書きつづけるよ。書きつづけるために」
簡単なことだ。
それ以外のトッピングはいらない。
書きつづけるには、書きつづけるしかない。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
次回
【日焼けした肌】
おたのしみに!