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記憶が薄情

俳優の宇野重吉さんが山田洋次監督に「映画は、死のうと思った人間を生き返らせる力を持ってんだよ」と言ったという記事を今朝の新聞で目にした。思い出したのは、何年か前に上演した演劇作品を観て「この劇を観たら、まだ生きていてもいいかなと思えました」と書かれたアンケートをいただいた記憶だ。そして喜劇はそういう力を持ってんだよと実感したことも思い出した。こんなに大切な言葉も衝動も忘れてしまう。人間とは(というか私が)薄情なものだ。あの芝居をやって7年近く経つ。どなたかわからないが元気に過ごしていればいいのだけれど。

演劇といえばきょう仕事の打ち合わせ終わりでお客さんと演劇チケット高いよねって話をしていたら、「面白いか面白くないかもわからないし、予告もないし、唯一の決め手がチラシしかないというギャンブル」と言っていてマジでそれと思った。映画ならまだしも演劇でそのギャンブルはかなり危ない橋だ。どっちも時間とお金という意味では同じだけれど、演劇におけるトンデモ作品との遭遇とそれをやり過ごす時間というのは本当に苦痛で仕方がない。発表会で終わらせてはいけない。先日耳にしたこの言葉が染みている。

毎月1回お邪魔している収録現場で出していただく日本茶が親の仇かってくらい熱くて、毎回湯呑を掴んでは「あちち」となる。そんなことをもう11ヶ月繰り返している。11ヶ月!来月で一旦その収録が終わる。最後だけは熱いことを忘れることなく「あちち」と言うことなく終わらせたい。「あそこで出てくるお茶は熱い」ということはあっという間に忘れてしまう。熱かったという実体験すらも。どうしてこうも忘れてしまうのだろうか。あの日あの時観た演劇のトンデモ作品のことは克明に覚えているのに。記憶が薄情。


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