見出し画像

生きづらさの正体


なんでこんなに生きづらいの?

まいにちが重っ苦しい。
ふぅー
今日もため息をつく。。。

  もやもや、
  不安、
  罪悪感、
  焦燥感、

みんなはどうなんだろう?
まわりを見渡してみる。
なんだか楽しそう、、、

ところが、
ネット上には、
今日も流れる苦しいことばたち。

皆さまはいかがでしょうか?
なぜ僕は生きづらいのか?
なぜあなたは生き苦しいのでしょうか?

社会に生まれた瞬間、

こころに負債を負わされるから

ではないでしょうか?



背負わされる社会との負の契約



僕たちは、
大人に育つまで
多くの恩恵を社会から受けています。

生きてこられたのはなんのおかげ?

教育や
医療はもとより、
食べ物や
楽しみも
すべて
みんなの頑張りのおかげです。

ここまで
そんな社会からの
多大な恩恵を受けて生きてこられたのです。

その恩恵なしでは生きられない

受けた恩は返さなきゃいけない


僕たちは生まれて大人になるまでに、
社会から一方的に、自動的に、
負債を背負わされているのではないでしょうか?

社会から恩恵を受ける分、
「社会に貢献し返済しなければならない」
無意識のうちに、自動的に
そんな契約を結ばされているのでは?


恩を返すのは当然。
でも、どんどん負債は増えていく、、、

そして、
その負債がこころの負担となるのです。
まるで、
借金を背負って生きていくのが苦しいように。
人は生まれて育つだけで
借金の苦しみを背負わされるのです。


ずっと負債の返済を求められ続けるので、
生きづらい、、、


こころの負債について


真面目な人ほど苦しくなる

よのなか借金を背負っても平気な人も。
しかし、
まじめな人ほど、
はやく返さなきゃ
こころに負担を感じます。
借金が膨らめば、
何をやっていても、不安を感じるはずです。

まじめな人ほど負債への
罪悪感と
返済への焦燥感で
生きづらくなる社会。


成功したい

成功とは、
負債を返済し、
恩恵を与える側にまわることを意味します。

自分自身も、
他人からの視線からも
もう負債者としての負い目を感じなくてすみます。

負債者に対して優越感に浸りたい人。
人に恩恵を与えたい人。
いろいろいるでしょう。

成功すれば負債地獄から抜け出せます。
だから成功したい。


出世

会社や組織は
ある意味、負債を返済する場かもしれません。
日々、
社会からの負債を返済するために働きます。

そこで出世すれば、
負債の取り立て人になれます。
”ヒエラルキーの下の人から返済を取り立てる”
そんな立場を社会から与えられます。

管理職は効率よく負債を返させるための存在。
いい管理職は、
返済を上手く手伝ってくれる存在。
悪い管理職は、
返済を強引に取り立てる存在。

出世し取り立て人になれば
単なる負債者よりこころが軽くなります。


痛み止め

負債を抱えていきていると
こころに痛みを感じます。

その痛みを和らげるために
娯楽、
快楽、
癒し、
などを必要とします。

でもいつしか、
痛み止め中毒になってしまいます。
痛みはなくなることはありません。

そこで、
生きる目的が、
痛みを止めることになってしまうのです。

痛み止めが効けば効くほど、
負債からの痛みが軽減されるので、
社会に負債を返し、
恩を返そうという気がなくなるものです。


鈍感さと繊細さ

鈍感な人ほど、
負債を気にしないので生きやすい?

繊細だと、
負債が気になり生きづらい?

だから、
人はポジティブを好みます。
こころの負債に鈍感になり、
もっと前向きに生きていこうとします。

借金なんて気にせず
気楽に生きていこうというわけです。


人の目、世間の目

繊細でまじめな人ほど、
人の目や意見が気になります。
返済をさぼっていると思われたくないのです。

同時に
まじめでない他人も気になります。
あいつは返済をさぼっているからです。

生きづらさ=負債の多さを抱えるほど、
人の目が気になってしまいます。
返済がなかなかできない自分に罪悪感を覚えるのです。


世代とこころの負債の関係

勝手な個人的な世代感を考えました。
すみません。
(もちろん、“大文字の人”と小さな個人は違う)

シニア世代

社会のレールにのれば自動的に
負債を返済できた世代。
だから社会のレールに乗ること、
ルールに従うことが大事。
この世代が基本的に教育をつくっている。


X世代

自動的に返済するためのレールがなくなった世代。
なので、どうすれば返済できるのか?
どうすれば負債から免除されるのか?
そんな自分探しの世代。

自分にあった返済法(仕事など)が見つかれば
がんばれる。
でないとがんばれないかうつやひきこもり?


Y(ミレニアム)世代

徐々に競争が悪とされたゆとり世代へ。
返済を強要されずに育ってきた。
競争や差別化がないので、
個性よりもつながりが大事。

返済意識が薄いので仕事や社会への関心が薄い?
まったりあつくならない世代。


Z世代

そもそもそんな負債契約をした覚えがないので、
負債の返済を強要されたくない世代。

そんな契約させられた意識はないので、
負債返済のためのルールや
上司や常識に縛られたくない。
個性(自分の気持ち)が大事な世代。

一方、
気候変動・温暖化・マイクロプラスチックなど
大きな社会問題の影響を直に受ける世代なので、
社会には関心がある(日本は?)


自己責任時代のこれから

かつての時代は、
神様や王様の言う通りにしておけば
負債が返済できました。
ちょっと前までなら、
国や世間や上司かもしれません。

しかし、
言う通りしなければならない不自由さや
窮屈さが嫌で人間は自由を目指します。

やがて、
それなりに自由になれました。
けれど、誰も
負債の返済方法を言ってくれなくなり、、、

社会への返済は自己責任になったのです。
なので、
自分で返済方法を考え、
自力で返さないと
生きづらくなってしまったのです。


いろんな不自由から人は自由になれます。
けれど、
社会からは決して自由になれません。
人と人が集まれば、それが社会。
人は孤独になる以外は社会から逃れられません。

だから、
人は生きる以上
「生きづらい」は当たり前だと思うのです。


生きづらいのは異常じゃない。
むしろ、
生きづらくないほうが、
鈍感すぎるのではないでしょうか?



この問題提起の答えはまだありません。

社会のあり方を変えるのか?
自分のこころのあり方を変えるのか?
負債ではなく、貢献だけに目をやるのか?

すこしでも
生きやすい世の中と自分になるように
考えていきたいと思います。



長々と読んでいただいた方、ありがとうございました。

認識が間違っている
こうすればいい
こうなじゃないか
そんな意見があればお待ちしております。


この記事が参加している募集

#とは

57,947件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?