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「こんな小学校教育だったらいいな」を妄想してみた


 「こんな授業だったらいいな」

なんて思ったことはあるでしょうか?


僕は、
ご多分にもれず、
「もっと勉強をしておけばよかったな、、、」
と思っています。

とはいえ、
学生時代を振り返ると、
“もっと勉強”している自分なんて想像できません。


自制心も興味もない、

あらゆることを先延ばし、
あらゆることに自信がない、

ある意味、
“勉強できなかった“のは当然。。。


さて、
そんな僕が、

「小学校がこんなんだったらいいな」

と、
好き勝手に妄想してみました。



理解と考えに集中を


僕は小学生のころ、
黒板に書かれたものをノートにただただ書き写すのが、
授業であり、勉強だと思っていました。

いま思えば、
理解もせず、考えもせずただ書き写すだけでは、
身につかないのは当然だったのです。


そこで、
先生は、黒板を使って説明しますが、
わざわざ全部ノートに書き写しません。

理解や考えにつとめて、
大切だと感じたポイントを
教科書に直接メモする
だけでもじゅうぶんではないでしょうか?


“書くことに一生懸命”をやめて、
できるだけ、
考えたり、理解しようとすることに集中するのです。


好奇心を育てる


僕の記憶では、

学校の勉強は、
公式や手順を覚えて“正解”をみちびきだす。
そんな感じでした。

先生は、
生徒が正解するために教えるのです。


でも先生は、
生徒に正解を求めるよりも
 
 なぜその公式なのか?

 なぜそうなっているのか?

「なぜ」を
できるだけわかりやすく説明することに
重点をおいて授業する
のはどうでしょうか?


「なぜ」は
好奇心をうみ、
知ることや理解することへの楽しみを育てる
からです。


主体的な学びを


授業で「なぜ」を教えたら、宿題を出します。

しかし、
宿題といっても、
ドリルをやってくるとか
練習問題を解いてくるとかではありません。

習ったことを
子どもが保護者に説明するのです。

子どもが先生となって、
今日習ったことを
お母さんやお父さんに教えてあげる
のです。


人は誰かに教えてあげようとするときに、
もっとも記憶できたり、
理解できたりする
ようです。


やらされ感も少なくなり、
よいコミュニケーションにもつながる
と思うのです。


成長を実感できるテストを


次にテストです。

今までは、
当然テストは一回勝負でしたが、

テストを2回にしてみるのはどうでしょうか?


例えば、
今まで7回目の授業でテストをしていたとします。

大変ですが工夫をして、
5回目の授業でテストを実施できるようにします。

そして、
6回目の授業で、
テストで間違えたところを復習
します。

7回目の授業で再テストです。
(前回とまったく同じでなく、一応新しいテストです)
間違えなく点数は上がるでしょう。


そうして、
「やればできる」
と自信をつけたり、
理解もより深まる
と思うのですが、どうでしょうか?


苦手は助け合いのチャンス


体育や音楽。

僕はとても苦手でした。

逆上がりはできない、
リコーダーも苦手、、、

そんな僕は、
一人取り残され繰り返し練習か、
みんなのうしろで肩身せまくやりすごすか、、、

苦手意識と劣等感が増すばかり。


そこで、
苦手な生徒には、
先生が上から教えるのではなく、
生徒どうしで教えあう
のはどうでしょうか?

ともだちに励まされ、
勇気づけられ、
上から評価れずガンバル!!


困っていても助け合えるようになったらよいですね。

たとえ上手くできなくても、
あたたかく受け入れてくれる環境ができたら最高です。



これが僕の考えた
 「こうだったらいいな小学校教育」

です。


以上、いかがでしょうか?

みなさまはどんな学校教育だったらいいなと思うでしょうか?

こんな妄想にお付き合いいただきありがとうございました。



これから未来を担う子どもたち。
よりよい教育が受けられたらいいですね。



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