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正義とは? 映画『ザ・スクエア 思いやりの聖域』 と『スパイの妻』 (ネタバレ)


『正義』を考える2つの映画(ネタバレあり)

すごく抽象的で大雑把な映画の感想です。
でも、ネタバレでもあるのでご注意ください。


『ザ・スクエア 思いやりの聖域』は、
スウェーデンの映画です。
この映画は
キツイ描写(エロや暴力)を含むので、
苦手な方もいるかもしれません。
2017年、カンヌのパルムドール(最高賞)受賞作品です。


一方『スパイの妻』も、
2020年ベネチアで、
銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞しました。


僕が感じるこの2つの映画の共通点は、
 どの視点で見るかによって『正義』は変わる
そして、
 すべての視点から見ても成立する『正義』
 なんてものは存在しない
ということです。



『ザ・スクエア 思いやりの聖域』

この映画はあらゆるシーンで、
ノイズが映し出されます。

会議中の赤ちゃんの泣き声や
トークショーでの障がい者の声、
お上品なディナーでの野蛮な見世物、
などなど、、、


僕たちは、自分(たち)にとって
『正しいこと』をしています。

しかし、
その『正しさ』は、
広大な世界の中のほんの一部を枠で囲って、
その枠の中にノイズがないときにしか
成立しないのです。


僕は飲食店で働いていますが、
お客さんに「しあわせ」を提供します。

でも、その「しあわせ」は、
牛や鶏や魚を除いた人間
という枠の中で

そして、
恵まれた日本という国の
一定のお金と時間を持っている人たち
という枠の中でしか成立しません。

さらに、その枠の中で、
落ち着いて食事ができるのは、
ノイズがないときだけです。


赤ちゃんが泣くのも、
大声で話すのも、
けっして悪いことではありません。

しかし、
常識という枠で囲むと、
けっして悪くないはずのものが
ノイズになってしまいます。


『正義』は果たされるべきだと
僕たちは考えます。

しかし、その『正義』は、
世界を小さな枠で囲って、
その中だけを見て、

さらに、
その小さな枠の中にノイズがないときにしか
成立しないのです。



『スパイの妻』

『正義』は
どの視点から見るかによっても変わります。


ある男が
残虐な行為をカメラに収めます。

その視点から見てば、
その男がやっていることは『正義』です。

しかし、
その視点を持たない人たちからしたら、
その男のやっていることは『裏切り』です。


日本の外から見た『正義』を成立させると、
日本の中の人たちが苦しみます。

でも、
日本の中の人たちが『正義』を追求すると、
日本の外の人たちを苦しめます。


蒼井優演じる“スパイの妻”は、
カメラに映される側でもあり、
カメラを撮る側の視点も経験します。
日本の外からの視点を持ちながら、
日本の中からの視点を生きています。

そうすると
なにが『正義』か分からなくなります。
そして、
途方に暮れて泣き叫ぶしかなくなるのです。



『正義』とは

『正義』とは、
ある一つの枠の中の
ある一つの視点でしかないのだと思います。

でも、そんなこと考えていたら、
『正しい』ことは何もできなくなります。

僕たちは、
そんな世界のなかで生きているのです。


人間は
『正しい』ことをしないと生きていけません。
それは
とても責任と覚悟を必要とすることです。
枠の外と別の視点を
見捨てることになるからです。


この2つの映画から学ぶことは、
 世界には『絶対的な正義』は存在しない
ということです。

『正しい』ことをするとき、
枠の外と、別の視点があることを
忘れてはいけないと思います。


『絶対的な正義』のない中で、
“あえて”
『正しいこと』をするとき、
枠の外と、別の視点を
“思いやる”


「“思いやり”を忘れてしまったとき、
 大きな悲劇が起こってしまうことを
 忘れてはならない」

そんなことを思う映画でした。



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