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「海のシンバル」第1話

◎あらすじーーーーーーー
 海沿いの街、梶栗郷にひっそりと佇むファッションホテル『ピシナム』は、2019年2月にその歴史に終止符を打った。
 ホテルマンとして働いていた青年の磯辺は、ライターの秋山千鶴から『ピシナム』の取材を持ちかけられていた。磯辺は取材を経たのちに、かつてホテルを利用していた女子高校生「R」との出来事を思い返す。
 当時、ホテルを訪れる度に風貌の違う男を連れまわすRを、磯辺は次第に気に掛けるようになっていった。2人は顔を合わせることはなく、声を掛け合うこともなく、フロントと部屋を繋ぐ気送管ポストで手紙だけを送り合う。
 そして磯辺は文通のなかでRの抱える秘密と孤独に気づき始める……。
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第1話 青く、深く

 お初にお目にかかります。

 ウェブライターの秋山(あきやま)千鶴(ちづる)さんで、よろしいでしょうか。

 本日はお待たせせいてしまい、申し訳ございません。こちらのカフェを見つけるのに、だいぶ時間がかかってしまいました。こういった人が集まる場所に、あまり馴染みがないものですから。どうかご容赦くださいませ。

 自己紹介が遅れました。

 ファッションホテル『ピシナム』で受付スタッフを務めておりました、磯辺と申します。以後、お見知り置きを。

 名刺、ご丁寧にありがとうございます。
 ですが、申し訳ございません。こちらがお渡しする名刺を持ち合わせていないのです。

 当時の名刺を捨てたわけではありません。『ピシナム』は、シティホテルのようにお客様と顔を合わせるようなこともなかったもので、ほとんどの従業員が名刺などはつくっていませんでした。どうか、ご理解くださいませ。

 ご用件については『ピシナム』のオーナーでした浜本さんから話は伺っております。

 本日は、ファッションホテル『ピシナム』の取材とのことでよろしいでしょうか。

 ご存知のこととは思いますが、ファッションホテル『ピシナム』は二〇一九年、二月に看板を下ろすこととなりました。ちょうどひと月前の話でございます。

 実のところ申しますと、三年前には『ピシナム』をたたむ話が出ていたのです。しかし浜本さんは、勤めていたスタッフ全員の新しい就業先が見つかるまでは経営を続ける方針でした。

 『ピシナム』の廃業を一番に知らされたのは、僕です。まるで乗っていた観覧車が、頂点へ上る前に停電したみたいに、目の前が真っ暗になりました。取り残された心と、居場所を失う恐怖が、長い間綯い交ぜでした。あれから時間だけは経ちましたが、その気持ちに変化はありません。

 僕はずっと、『ピシナム』に骨を埋めるつもりで働いていましたから。
 だからあの日ほど気持ちが落ち込んだ日はありません。それでも最初に教えてくれたことには、感謝しているんです。おかげで僕は、他の方々より少し長く『ピシナム』にお別れを言うことができました。

 いまは浜本さんの紹介で、隣町にあるビジネスホテルで働いています。
 でも、駄目ですね。まったく目が慣れません。建物の中はどこもパーティ会場のように明るく、お客様も皆さん堅いスーツを着て来られます。どうしても、お顔の区別がつきません。

 失礼なことを申し上げるようで恐縮ですが、取材のお話を頂きました際はどうして潰れたホテルの記事なんか書くのだろうと不思議でした。

 正直なところ、理由はなんだっていいんです。

 あのファッションホテルで過ごした時間は僕にとっては掛け替えのないものでした。ですから『ピシナム』がなくなっても、あのホテルのことを誰かの心に残しておきたいのです。

 僕の知る限りのことは、秋山さんにお伝えできるように努めますので、本日は何卒よろしくお願い申し上げます。

 一つ、一つ、お話をさせてください。
 よくラブホテルとファッションホテルを同じものだと勘違いされる方がいらっしゃいますので、最初にご説明させていただきます。

 厳密には、この二つは別ものでございます。
 違いはいくつかありますが決定的なことを挙げると、フロントの受付にホテルマンがいるかどうかという点です。

 ラブホテルのフロントは基本的に無人です。しかしファッションホテルには二十四時間、受付にホテルマンが待機しております。

 『ピシナム』もそうです。受付にある錆びついたパイプ椅子は、座る人が変わってもスタッフがその場を離れることはありません。あの青い座面が冷たくなったのは、ホテルを畳んだその時だけです。

 ファッションホテル『ピシナム』は本当に素晴らしいホテルでした。浜本さんは『ピシナム』を現代社会の駆け込み寺だと度々口にしていましたが、まったくその通りだったと思います。

 海沿いだからか携帯の電波は途切れ気味ですし、備え付けのテレビはドラマか映画かアダルトビデオ。それも一昔前のものです。社会から、良い意味で隔離されている。まるでお洒落なシェルターみたいな。数時間など、あっという間に過ぎていきます。

 今年で僕が二五歳ですから『ピシナム』に努め始めたのは今から六年前になります。

 当時は大学の授業なんてろくに出ないで、フラフラしていました。勉学意欲がなかったわけではありません。誰かと一緒にいなければならない大学の空気が、とにかく自分の肌に合わなかったんです。

 『ピシナム』に勤めたのは、浜本さんに拾って頂いたのがきっかけです。
居酒屋で働いていたとき、僕はお客様が帰った後のテーブルを拭いていました。そしたら隣で飲んでいたあの人が「君は良い手をしている。大きくて、ベッドシーツを綺麗に張れる手だ」と言って、僕をスカウトしてくれました。

 怪しい人だなって、まったく思わなかったわけではありません。ただ、僕にしかできない何かが待っている。そういう大きな期待と予感に突き動かされました。

 六年前ですから……二〇一三年、それくらいです。その頃から、僕は『ピシナム』のホテルマンでした。清掃とフロントのアルバイトをしていました。

 ファッションホテル『ピシナム』までのご案内を簡単に申し上げます。
山陰(さんいん)線(せん)の梶(かじ)栗郷(くりごう)駅(えき)には線路と交差するように綾(あや)羅(ら)木(ぎ)川(がわ)が伸びています。梶栗郷は、ここの最寄り駅から一つ先の駅です。駅から出て河川に沿って下ると、県営アパート群の先に開けた海岸が見えてきます。

 その扇形ビーチの一番西側には、森の茂みに隠れて白いケーキボックスのような建物があります。そちらがファッションホテル『ピシナム』でございます。

 僕はそちらで働かせていただいていました。

 昼間だと世を忍ぶような佇まいに映ってしまうかもしれませんが、『ピシナム』はお客様にとってもホテルマンにとっても特別な空間でした。

 休憩は三時間二九六〇円。宿泊は四五〇〇円から。お部屋の広さによってお値段は多少異なります。旅行客や、幼い子連れの親子、同性カップル、お一人様、女子会……。決して性行為だけが目的とは限りません。あくまで僕らが提供しているのはお部屋という手段でございます。

 『ピシナム』は誰に対しても寛容なホテルだったことに間違いありません。

 しかし一つ注意することがあります。それは正面の押し扉が、漬物石のように重たいことです。

 けれどこの仕様は、ホテル側からの粋な計らいでもあります。

「これくらいどうってことないさ、お先にどうぞ」
「あら、ありがとう」

 こんな会話が、扉を開けてあげるだけで自然に生まれます。レディとして扱われる方も、頼られる紳士も、きっと悪い気はしないはずです。
 ファッションホテル『ピシナム』は、観賞用の淡水魚などをたくさん飼育していることで有名でした。

 エントランスの壁面は、大きな水槽で囲まれていました。また、それぞれの部屋にある水槽で飼われている魚も異なります。ベタや、フラワーホーン、アロワナなど。そこには鮮やかな熱帯魚が泳いでいたのです。

 『ピシナム』がなくなっても、お客様から「あの魚たちはどうしたんですか」とお問い合わせを頂くことがあります。飼育していた魚の多くは隣町の水族館に場所を移しましたので、ご安心ください。

 しかしながら、お客様のなかにはあの重たい扉を開けてもチェックインをするかどうか悩む方もいます。

 そういったお客様には、カウンター横のゲストテレフォンを取ることをお勧めしました。電話は受付にいるホテルマンに直接繋がるようになっています。

 コールは三回鳴るとピタリと止(や)みます。二回でも、四回でもありません。ギリギリ十秒に満たない、三回というタイミングが肝なのです。
しかし電話口の我々からは何も申し上げません。何も応答がないのが、応答の合図なのです。

 電話が繋がったら、遠慮なくご注文ください。
 お客様からのご注文はそれぞれでした。お客様が理想とするお部屋をお教えください。

 我々は「イエス」とも「ノー」とも応えません。
 沈黙を守ることも業務のうちでした。『ピシナム』のホテルマンは、お客様と顔見知りにならないよう細心の注意を払っていたからです。

 顔見知りのホテルマンに、アダルトグッズや、避妊具を持って来いとは、お客様も言いづらいでしょう。すると、客足は遠のいてしまいます。そういうものなのです。

 このようなことを防ぐためにも、お客様との会話はできるだけ最低限にしていました。

 何も声が聞こえないから、お客様は壁と話しているように感じるかもしれません。ですがご心配には及びません。そうしている間にも、ご注文頂きましたお部屋を再現するべく、ルームメイキングは手際よく始まっています。

 一通り要件を言い終わりましたら、一度受話器を戻してその場で少々お待ちいただきます。

 しばらくすると、カウンターの上にある部屋番号が点滅します。お部屋の準備が整った合図です。受付カウンター向かって右側のエレベーターより、上階へお進み下さい。

 余談になりますが、お客様は内装が気にいらなかったらすぐにチェックアウトしていただいてかまいません。もちろんお代は結構です。お客様のご要望に応えられないのは、我々の落ち度になりますので。

 逆に言えば、『ピシナム』のホテルマンはお客様のご要望に応えることに自信と誇りを持っていました。特にルームメイキングは、スタッフの技量が問われます。空いている部屋から、お客様の求める理想の空間に近づけなければなりませんから。

 スタッフは二人一組で業務を行います。ベッドのシーツや、時計、ハンガー、照明からスリッパの色まで。滅多にございませんが、必要とあれば壁紙も変えます。プリントシールというものをご存知でしょうか。バスやトラックの車体に張り付ける宣伝広告用のものです。受付室の片隅に置いてあるダンボール箱には、それこそ大きな花束のようにビニールロールが何本も挿されていました。

 これは『ピシナム』独特ですが、部屋を選ぶ際に飼育している魚で指定するお客様もいらっしゃいました。

 当時は設置できる水槽の大きさの関係で、部屋ごとに飼育される魚も限定されていました。201号室は金魚、202号室はグッピー、203号室はネオンテトラなど。三階からは海水魚も飼っていました。

 ちなみにルームメイキングに料金は発生いたしません。仰っていただくだけならタダです。

 ほとんどのお客様はタッチパネルで部屋を指定するより、ゲストテレフォンを使っていました。ちょっとしたお客様の要望をかなえるのが、我々ホテルマンの喜びでしたから。

 お帰りの際、お支払いは気送管ポストで現金のみとなっておりました。
郵便受けのような小さな箱が、各部屋の洗面所の傍にある壁にはまっています。そちらを開けていただくと、筒状のカプセルが管のなかにはまっています。そのカプセルにお金をいれてください。

 お金をいれたカプセルを管に戻して、すぐ横の赤いボタンを押したらお支払いは完了です。管は一階の受付までつながっていまして、そこで精算をいたします。一階に降りてくる際に鍵を受付までお持ちください。

 鍵をひったくるように取っていったお客様も、行為が終われば憑き物が落ちたみたいにそっと鍵をトレイに置いてお帰りになられます。

 お客様には失礼なのかもしれませんが、不覚にも可愛らしいなとも思ってしまいます。それに、そういったお客様の方がリピーターになっていただけるものです。

 あくまで個人的な考えになりますが、お客様にとって「行きつけのホテル」なんてものはないんです。

 なぜなら、同じようなホテルが二軒あったとして、お客様は距離が近いホテルを選ぶからです。誰かと二人きりになりたいと思ったとき、価格や内装は大きな問題ではなくなります。ラブホテルのような休憩場所を探すのであれば、なおのこと。

 ですから我々が心掛けるべきことは、「このホテルになら大切なパートナーを誘ってもいい」と思わせる。ただ、それだけでいいと考えています。
ああ、変ですよね。すみません。

 今もまだ『ピシナム』の看板がギラギラと光っているんじゃないかと、思うときがあるんです。女々しいかもしれませんが、ひょっとしたらって。
夜に光るファッションホテルのネオンが、火傷の痕みたいに瞼の裏に残っているんです。

 今となっては梶栗郷もゴーストタウンのようになってしまいました。僕が勤め始めたばかりの頃は、繁華街も少しばかりは賑わっていて、深夜の『ピシナム』はどこも満室でした。

 梶栗郷駅の線路沿いに、まだ新しい公団住宅のアパートがあったかと思います。そうです。黄色の壁面と、ベランダには烏(からす)除けのグリーンネットがかかっている小奇麗なアパート群。

 あれは僕が高校生になったばかりのころに建てられたアパートなのですが、当時はそこに県外からの移住者が大勢いたのです。

 あのアパートには被災割というのがありました。

 罹災(りさい)証明書(しょうめいしょ)を持って移住してきた方の移動費や引越し費用、敷金などの一部を市が負担させていただくというものです。

 そのなかには親縁や知人を頼りに、裸足同然で逃れてきた方もいらっしゃいます。移住してきた人の大半が、そこで新しい職を探しました。

 疎開してきた方々が、シフトに融通が利く夜職へ就くことも決して珍しいことではありません。とりわけ、多くの女性が水商売や風俗に流れました。

 「彼女らのおかげで」というのはあまりに配慮の欠けた言葉だと、僕は思います。しかしながら梶栗郷の繁華街がほんの一時(いっとき)、息を吹き返したのも事実です。

 一方で、あのアパートには近づいちゃいけないなどといった、心無い噂を流す人も後を絶ちませんでした。ほとんどが根拠もない妄想に過ぎません。ですが何の寄る辺もない彼女らに、どれほどの重荷となったかは想像に難くないでしょう。

 風評や体面をないがしろにするわけではありません。ですが性産業への偏見は僕たちが考えるより遥かに根深いものです。どれほど教育や福祉が図られたところで、人々が隠し持つ無意識下の差別が消えることはないでしょう。

 だからこそ僕は『ピシナム』に勤めたことに感謝しています。我々ホテルマンはその偏見の内側にも外側にもいません。隔てるように引かれた線上を、いまも粛々と歩いています。

 人は心に感じる痛みを寂しさと呼ぶ生き物なのではないか。そんな会話を浜本さんがしてくれたことを覚えています。すべての人に当てはまるような、素晴らしい例えではないのかもしれません。それでも僕にはどうしようもなく、分かるのです。痛み止めを飲み込むように、部屋に入っていくお客様をこの目で見てきましたから。

 提供するキャストも、消費するお客様も、そこに大きな違いはありません。我々はこの痛みをもって経済を回しています。

 誰もが最愛のパートナーがいるわけではありません。将来を誓い合った相手が、必ずしもあなたの傷に寄り添ってくれるとは限りません。どうしようもなくなる日は、必ず訪れるのです。

 誰しも訪れるその日のため、僕らはベッドシーツを張る手を止めることはありません。

 『ピシナム』もまた、そういったお客様方のために場所を提供できていたのなら、幸いです。

 風俗業と比べるわけではありませんが、ホテルの業務もなかなか一筋縄ではいかないことばかりでした。
 ルームメイキング一つとっても、同じことの繰り返しだったことは一度もありません。

 女子会でご利用のお客様で、枕の羽毛を部屋中にちらかして帰られたこともありましたし、アメニティの盗難などは珍しいことではございません。使用済みコンドームが天井にくっついて、ぶら下がってることも頻繁にあります。アレを僕らはてるてる坊主と呼んでいました。地域特有の呼び方かもわかりません。

 力仕事も多かったですし、大変なこともたくさんありましたが、我々ホテルマンは『ピシナム』の仕事を誇りに思っていました。

 ファッションホテル『ピシナム』はすでに廃業したホテルです。

 ですからこれは、まったくしょうがない話になりますが、お客様に気をつけて頂きたいことがありました。
 それは、ホテルにお忘れ物のないようにということです。

 『ピシナム』には様々な責任者がいました。清掃責任者や、受付カウンター責任者。それだけではなく、熱帯魚責任者などもいました。

 僕は遺失物管理責任者でした。お部屋にある忘れ物は一旦すべて僕へ届けられます。

 一番多いものはアクセサリーです。ピアスやネックレス、指輪は外すお客様が多いのかもしれません。眼鏡を忘れる男性もいらっしゃいました。たまに下着が届けられることがありますが、あれは忘れたのではなく置いていったのだと思います。

 特に女性のお客様は、よくお部屋に『何か』を残してお帰りになられてしまうときがありました。

 部屋にお客様の私物が落ちているわけではありません。ただ、別人のようになって部屋から出てくる女性を何人も見ました。『何か』が、お部屋に置いて帰られてしまったような気がしてなりませんでした。

 たくさんの女性が部屋に『何か』を忘れて帰られてしまいました。お問い合わせが来ることもありませんし、部屋を掃除しても忘れ物が見つかることはありません。だいたいはそのままなんです。

 お忘れ物をしたお客様のことはできるだけ覚えているように努めていました。

 ですが、半年が経ったら、形あるものも、ないものも、すべて忘れなければなりません。

 忘れ物をホテルでお預かりできる期間は、六ヶ月だけだと決まっているからです。

 『ピシナム』は或る種、そういう残酷さもあったのかもしれません。


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