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読書記録|司馬遼太郎『関ヶ原』

読了日:2023年12月2日

 筑後川の戦い川中島の戦い、と共に語られる日本の三大合戦の三つ目、関ヶ原の戦いを、司馬遼太郎が見事に書き上げた歴史小説『関ヶ原』。西軍の石田三成からの視点が主だが、対する東軍の徳川家康、そして二人を取り巻く人々の心の動きまでもが生き生きと描かれている。

 私個人としては、石田三成のような”義”に篤い人物が好きだ。三成豊臣秀吉を心から慕い、その死後も未来永劫豊臣家を守ろうとした。『関ヶ原』での三成は、ただそのシンプルな思いの上に言動が発せられるが、それが周囲の人物には時として目障りに映る……という描写がある。現代の社会や政治の世界にも同様なシーンは日常的にあり、真面目で潔癖すぎる人はどうしてか嫌われやすい。世の中とは白と黒があり、その二つが混ざり合って成り立っている。ある意味、グレーであることが世の中や組織にとって正常な状態とも言える。黒は咎められ白に近づくよう矯正されるし、白もまた白すぎてはだめで、例えその潔白が正しくても多くの人にとっては好ましくないものらしい。どうも人というのは口では”正しさ”を求めつつも、それが極まると窮屈に感じる生き物のようだ。
 三成は、常に秀吉に対して恩を感じ義で仕えていた。時には同僚へ対しても厳しく審判をする、その真面目な性分が災いして孤立を深め、遂には関ヶ原で敗北を喫した。その後の日本の歴史は、関ヶ原の勝者である”ずる賢い狸”(と私は思う)の徳川家康が時代を担うことになる。家康は江戸幕府の初代将軍となり、征夷大将軍に任ぜられた慶長8年(1603)から、徳川慶喜が将軍職を辞する慶応3年(1867)までの265年間、徳川家は安寧の世をもたらした。グレーが世の中のバランスを構築したのである。
 作中に「人は義で動くのではなく、利で動く」三成が悟る場面があるが、まさにそれこそ政治・社会の姿ではないだろうか。悲しいかな、頂点に立つものは、正と義だけではやっていけないのだ。心では白を求めつつも、そのためにグレーでいなければならない。潔白でいては潰されてしまう……。

 関ヶ原の戦いは、その勝敗が決するまでの間の人間模様がとても興味深い。企て、寝返り、日和見……登場人物それぞれの心境がありありと綴られていく。初芽は架空の人物であるが、三成が言葉にできない部分に色を添える役目をしている。巻末での、戦国時代の天才軍師とも言われる黒田官兵衛(如水)がまたなんとも魅力的で、官兵衛が天下を取ったらいったいどんな世の中になっていたのだろうか……と読者に妄想を膨らませる。それは三成にも言えることではあるが。

 司馬遼太郎の作品は、歴史を鮮やかに展開しつつも、そこに社会や人の心理の根本が映されているものが多い。だから古い作品を読んでも古さを感じないし、むしろ「これは現代のことを書いているのか?」という感覚を抱く。そして物語の中にグイグイと引き込まれていく。それが司馬作品の魅力だと私は常々思う。

 

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