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たくさんいるはずのちょうどまんなかの成績の生徒たちが選択できる学校がそう多くないと感じる


はじめに

 中学生や高校生の学習サポートをしているとおのずと生徒たちの成績があきらかになってくる。

わりと成績のいい生徒を教える機会のほうが多いが、なかには可もなく不可もなくごくごく平均をしめす成績の生徒がたまに訪れる。彼らにとって進路を選ぶ季節になるとユウウツなことがある。


成績がついてくる

 さまざまな生徒に接してきて思う。全県の生徒たちの成績をグラフにえがくときれいな分布を示す。その両端によくできる生徒、いまひとつの生徒たちが散らばる。そしてちょうど中間あたりに6割程度の数の生徒たちがいる。ここではかりに「6割の層」と呼ぶ。

この層の生徒たちもいろいろ。いまひとつの成績からコツコツ学習をつづけてようやくそこへ到達する子。あるいはさまざまな理由によってこのまんなかの位置に成績を落としてしまう子。

わたしのところにはそんな子どもたちが問題をかかえてたどりつく。さまざまな理由でもっておとずれ、ひとすじなわではいかない。十把一絡げに「成績上昇のマニュアル」などあろうはずがない。千差万別、みごとに事情はことなる。

かかえた問題の解消にようやくすじみちがつきはじめると、受験の時期をむかえる。のんびりかまえてられない。高校や大学など進路を選んでいく。


まんなかにいる不思議

 ちょうど平均付近の成績の「6割の層」にいる生徒たちについて、さらにふれたい。上に書いたさまざまな状況によってそれほど差のない成績の生徒たちが集中する。せまい成績の範囲に押し合いへし合い。模試で多少上下してもほとんどおなじ範疇にいるといっていい。

ところがこの地域にその層の彼らが進学のため受験できる学校はそう多くない。「6割」より上の成績の生徒たちは選ぼうと思えばかなり多くの学校から希望におうじてほぼ自由にえらべる。

ところが「6割」のなかのちょうどまんなか、偏差値でいえば50。ここはいちばん多くの生徒たちがいる領域。それにもかかわらず、わたしたちの住む地域(地方の中核市)では公立高校を選びにくい。

将来、国公立大学へ進みたいならば普通科高校を選びたいところだが、この層ではなかなか進学校を選べない。というか届かない。その一方で就職に目を向けた工業科・情報科などの専門系は同等以上に難しい。

つまり背伸びしないと国公立大学への進学はおろか、一部の人気専門系への進学すらおぼつかない。


成績にかかわるしごととして

 学習サポートをしごとにして不条理を感じる。6割がひしめきあうので努力を重ねて多少なりに成績を上げてもいまだその「6割」の厚い層から抜け出せない生徒たち。

成績をあげることでむしろ進路をせばめてしまっていないか。いちばんもまれることになる範囲に生徒たちをおしこむ作業にわたしは従事しているのではと感じてしまう。

たしかに努力は報われてほしい。なにも進学先の選択で報われなくてもそれ以外でもいいから芽を出してほしい。


おわりに

 上で記したことはどの成績層にいてもおなじかもしれない。上位にいても大学選択では全国レベルでもまれるし、ましてや成績がふるわず「6割」の層に達せず、妥協の道をやむなくえらぶ生徒にも目を向けないと。

成績で選別する受験制度はたしかにほかよりも公平かもしれない。その一方で意欲や適正をみる制度の充実があってほしい。本来ならばAO入試や推薦入試はそうした「目に見えにくい」努力を重ねた生徒たちに報いるものであってほしい。


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