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まんなかがすくないグラフのしめす現実:すでに小学校英語で2極分化がすすみつつある?


はじめに


 英語が小学校で教科として本格導入され学びはじめました。それに関して学習サポートにたずさわる立場でしばらく前から気になっていることがあります。

公立高校入試の英語成績のグラフのかたちです。英語はいずれ文系・理系にすすむことに関係なく、基幹となる教科。それにもかかわらず中学校修了時点で中間層が欠落しつつある現実。

いびつなグラフ

 10年ほど前のことですが、公立高校入試の県全体の受験生の成績分布(公開済み)のグラフを見て、おや?と思いました。

こういった大きな集団の成績をあらわすグラフは、正規分布といって成績の中位ぐらいの人が多くて、両端が少ない山型のグラフになることがほとんど。

入試のそこそこの難易度なので、ふつうならば満点の半分ぐらいの点数を頂点に、両側になだらかなすそをひくように分布します。

ところがその年の英語の試験のグラフは違いました。あきらかにいびつです。ふたこぶらくだのこぶのようでした。つまり、成績の下位のところに山があり、もうひとついびつな形に平均より上位に山があります。

2極化について考えた

 問題づくりにたまたま偏りがあって、このようにいびつになったのだろうと、そこでそこから過去数年分のデータをさかのぼってみました。

危惧したとおりその兆候をしめしています。もちろん例外の年はありますが以降つづいていました。英語の入試結果がいびつなグラフを示しつづけています。

これはいまもつづき、もはやきれいな正規分布にはもどっていません。グラフは楯状となり、全体的にべったり。ここ数年は満点の20%ほどの点数が多く、県内の地域によっては3割ちかくがこの層にはいります。

最近ではほかの教科でもこの形が現れ、あきらかに下位にある程度の人数、同時に高得点にも分布する層が。

とりわけ授業についていけなくなった層が大きな集団になりつつあることを危惧しています。学力向上に熱心な層とそうでない層、このところめだつ貧困家庭のわりあいなど理由はいろいろありそうです。

小学校の英語導入について

 とくに英語では、20年ほど前から小学校5,6年生ではじめて英語が導入されました(はじめは教科ではなく成績はつきませんでした)。それ以降の児童が中学校に進学、公立高校入試で上に示したグラフの傾向をしめしていると時系列から考えられます。

このほぼ20年間の「様子見」からみえてくることがありそうです。いままさに新たな教科として小学校で取り入れられた英語。船出からまもない現在、学習をサポートする立場のわたしは不安を払拭できないでいます。

すでに小学校の英語の授業で何をしているのかよくわからない、興味を示しているといえない児童たちの声がわたしの耳にとどいています。当事者の小学生の本音の声です。

そして成績を上向けたいと希望してここを訪れる中学・高校生をサポートする立場のわたしには、英語に対する生徒たちの意欲がマイナスからはじまる試練となっています。

この傾向は拡がっているのか

 ついに地元の中学校でも、学年によっては定期テストでこういったいびつなグラフがめだちはじめました。

わたしのいる県の調べではじつに全体の生徒のうち、6人に1人が入試点数の20%をとれずにいます。この点数では、ほぼ英語のテストが読めない、書けない、話せない状態です。

サポートに来てまもないこうした生徒たちに聞くと、テストでは選択肢をあてずっぽうで選んだり、問題についている絵ときでこたえたりしていると言っています。

その一方で上位10%の選抜には点数差が小さすぎて、何年か前には進学校むけに別問題を準備すべきかどうかという声が聞こえてきました。おおきな格差です。

英語の見直しの必要性

 この国の教育制度は猫の目のように変わりつづけています。本来ならば国家百年の計で教育は整備されるのが理想(べつに即応ももとめられますが)でしょう。しかし現実はそうではありません。

国として国民につけてほしい力の理想と、現実の中学生の学力。生徒たちの実力と、解く高校入試の問題とのあいだに断層やギャップがあるように感じます。

義務教育でない権利教育の高等学校・専修学校などにほとんど進学する時代。もちろん受験時に学力の幅があり、問題づくりはやっかいでしょう。それでも正規分布にちかい形状の成績グラフが入試の選抜にはふさわしいと考えます。つまり中程度の学力の生徒たちが半分解けるのがあたりまえの問題です。

小学校において教科としての英語の本格導入ははじまったばかりですが、教育の立場で20年みるかぎり、残念ながらすでに見直し・検討の時期にきているではないでしょうか。せめてほぼ同級生たちみんなの受ける公立高校入試の成績が正規分布するグラフにもどせないか、それにはどうあるべきか検討が必要と考えます。

その一方で、今年、大学入試共通テストの実施初年度で、英語の試験内容が以前とさまがわりしました。文法など以前ならば典型とされた問題は皆無で、膨大な情報量の問題です。

そして英語の検定試験類似の問題がふえました。実用重視の傾向ですので、大学ではそれをみて、二次試験の英語では従来形式の英語問題をより出題する傾向が強まりそう。

つまり文法・読解と実用のどちらも要求されそうです。こちらも中程度の成績で大学をめざしたい大部分の生徒たちにとっては負担となっています。

中学と大学のギャップ

 中学生に英語を教えていて思うのは、志望先としてふえている公立なみの特待のある一部の進学重視の私立高校では、大学進学を視野に入れているので、ふだんから文法をしっかり学んでいないと解けない問題がテストで出題されています。大学進学を希望する層がふえている昨今では、そうかんたんにはかわりそうはありません。

つまり英語が教科として小学校に登場し、国としての理想は成績中間層が難なく使える英語の習得をめざしたいのに、実態は私立中受験に必要な英語として小学校の英語が扱われる傾向になるのではということです。

さらに現状は、全国トップレベルの難関私立高校2年生の英語のリーダーのテキストが、米国の10歳程度で読む小説という実例があります。はたして今回の日本の英語教育の改革で大学を出たとして、身につく英語はどの程度のものになるでしょう。12年間学校に通いながら、その一方で個人での研鑽が必要となる事項なのでしょうか。

べつの2極分化も

 すでに私立の中学校では、英語入試の導入が増えつつあり、さらに私立小学校では英検対策と称して高学年で、3,4級をめざそうという情報をある募集パンフレットなどで目にしました。

したがって英語の教育内容でも私立と公立で2極分化が起こることが危惧されます。その格差は一貫校が増えつつあるなかで拡がるでしょう。

さいごに

 小学校英語、やってみないとわからないじゃないかという意見が聞こえてきそうですが、すでに導入から20年間ちかく、小学校でやってきたことになります。検証はじゅうぶんといえるでしょうか。

この40年間小学生から大学院生、そして成人の方の教育にあたってきましたが、残念ながら制度を変えるべきだなと思った時点では、時を置かず結果としてその方向へ変わっていくようです。どちらかというとやむなくおこなわれる変更です。

AIをとりいれた翻訳アプリがふつうに仕事でつかわれています。その一方で、正確に翻訳できているかどうかの把握、人と接していてニュアンスが伝わりコミュニケーションがとれたかどうかの認識は、生きた英語を介して実体験に基づいた次元で判断が必要です。

英語とそのほかの教科に関して、バランスをとりつつどのように対策を施すか、このままでは明確に2極分化することが危惧されます。

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