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いのちを守れるかもしれない地学教育を学ぶチャンスのなさ


はじめに

 ご存じのとおり、昨年度から国公立大学ならびに私立大学の入学一次試験となる共通テストがはじまりました。

しかしそれに関連して入試の理科の科目選択のかたよりは是正されたとはいえません。

これに起因し、教養としての理科を身につけるチャンスを逸して、自分とたいせつなまわりの人々のいのちに関わりかねないのではと危惧しています。

その説明や理由について述べます。

受験科目選択のアンバランスがつづく

 おおかたの受験科目の傾向は、一昨年までのセンター試験とそれほど変わりません。理科の教科に関しては細かな科目名はべつとして、主要な大学を受験するならば、おもに物理、化学、生物、地学の4つのうちから選択して受験します。

ところが多くの高校では受験対策のためか、選択できる科目は地学をのぞく3つにかたよっています。進学校ではさらにタガがきつく、理系で地学を選択できて、しかも大学で地学を専攻した先生から教われるとすれば、それはめずらしいそうです。

この話を地学科を卒業して高校教師をしている友人から聞いたのは、すでに20年以上前。受験のためのテクニックとして地学の除外は、なかば常識になっていると言っていました。

地学と日本の教育システム

 本題に入りましょう。なぜ地学の素養の欠落が命に関わりかねないかの理由です。高校の地学では地球の地質学、鉱物学、古生物学、海洋学、気象学、そして宇宙などのほかに火山学や地震学を学びます。

とくに、プレートが複雑にからみあう日本では火山と地震は、その上にくらす人々にとってさけられない日常生活において密接な現象です。さらに気象。近年荒々しさを増してきた気候変動もおなじ。

はなしを中学に転じますと、ちょうどこの春先の時期に、火山と地震に関して中学1年生の必修内容として基本を習います。気象に関しては2年生です。いずれも高校受験時に再度おさらいしますが、それでおわり。

しかもいずれも3学期の押し詰まった時期に履修することが多く、尻切れトンボになりがち。わたしの学習サポートに通ってくる生徒たちの多くは、ここ数年、この地学の範囲の大部分が定期試験範囲にすらならないまま、新学年にあがってしまいます。

その後はどうでしょう。

高校で欠落

 普通高校では、理科教科の科目は形式上、生徒自身の選択制です。ところが地学を選択したくても、とくに理系の大学受験をめざす生徒の多くは、うしろに~基礎とつく科目とともに、基本的に物理、化学、生物から選ぶように指導されがち。

文系の大学受験の多くは理科は1科目もしくは受けなくてもよいのが現状です。文・理クラスに分かれる高2以降、とくに文系クラスの生徒たちは理科を形ばかりで、受験にそなえて社会(地歴・公民)に専念というかたちがよくみられます。

結果として、地学(地学基礎をふくめて)を受験時に選ぶ生徒は、のべ4万人あまりで推移したままです。

ちなみに化学や物理ではのべ20~30万人です。なにも化学や物理なみに地学を選択すべきとはいいませんが、せめて地学に興味を持ち、その分野に進みたい生徒が、独力で学習、受験することはさけられるようにしてほしいと思います。

いのちをまもるため

 地震や火山そして気象などに関して、日本に住む人々には身近で、興味を持つのはごくふつうのはず。ところが現状は学ぶ機会が上述のように限られています。

一方で自然災害に巻き込まれることは日ごろから備えて避けたいもの。これは昨年、自分自身と家族が大雨と台風で避難を2度経験して自覚しました。

なかでも南海トラフ地震に関しては、周囲の危機感がうすいことのほうが、地震そのものよりも怖いと感じているのはわたしだけではないはずです。

この地震は専門家からかなりの高い確率で近いうちに起こる可能性が指摘されているにもかかわらず、ほしいときに情報を得る機会がすくなく、正確に自分たちのこととして認識できていないのではないかと思います。

危機感のうすさの原因

 その原因が上に書いたように、
①義務教育以降でこうした地学現象の情報を与えられても、科学的な咀嚼が進まないこと。たとえば歴史は、小学校、中学、高校と反復する機会があるが、地学のとくに地震、火山に関してはないがしろになっている(気象は小学校と中学で反復)。

②紙上の学問としかとらえられず現実の現象として認識できていないこと。

③学ぶ機会がじゅうぶん提供されていない、あるいはあってもその情報(放送大学など)を入手しにくいこと。

などに一部として起因するのではないでしょうか。

これは国際標準のまま、横ならびでよいのでしょうか。プレートの上にある先進国として地震に見舞われ、火山の近くでくらす国のあり方としてさびしいものです。

教養を行動に生かす

 ふつう中学校で学んだことをそのまま覚えているわけではなく、教養として身につけるためには、興味をつないでいく学びの機会がなにより重要だと思います。

地元の高校に地学を専攻した先生がいないかもしれないという日本は、この国のいびつさをものがたっているのかもしれません。

科学的素養にもとづき実質をおもんじる政策をあとおしする世論の形成は、重要な要素ではないでしょうか

おわりに

 地震国、そして火山国であり、異常気象にめぐり合う機会の増えつつある土地でくらし、いざ何かあれば自分とまわりのたいせつな人々の命を守る行動を、自分が正しくとれるかどうか、科学的にどうすればたすかるか、防災や減災について考えてみたいものです。

それは日頃からその分野に親しみ、正確な情報に接する機会や情報の取捨選択の目を養うことのできる教育、それによって醸成される世論こそ求められるものではないでしょうか。

そのことをアピールし改善をつづけることはひいては子孫の身を守ることにつながると考えます。


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