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「さすがわ、フランス人!勉強家だ」

 これは、今日、5記事目である。
 1日7記事を最大と決めてあるので、これを書いてしまうとどんなにすばらしい発想が生まれても、「note」には後2記事しか書けないのである。

 最近、何故か、妻が日本語に関する文献・論文・論説文を読んでいる。例えば、「日本語の個性」とか言う本だ。
 わたしは、日本語が母国語なので当然、日本語で書いている。
 
 もちろん、英語やフランス語でも書ける。
 
 今まで学習した言葉で一番、論理的な言葉はフランス語だ。
 数学ができる人は、数学で使う論理感覚で学習するとフランス語のマスターは早いと思う。
 
 また、日本語からフランス語を学ぶより、同じインドヨーロッパ語である英語からフランス語を勉強した方が、特に文法を納得・理解するのは早いと思う。
 
 例えば、わざわざフランス語にはしないが、「ベットの脇ににある壊れてつかないランプ」という日本語をフランス語にすると、いかにフランス語が論理的であるか分かると思う。
 
 フランス語には、過去形の種類がいくつかあり、「大過去」「複合過去」「半過去」などがあり複雑そうであるが、英語から学習すると非常に分かりやすい。
 
 日本語の話に戻る。
 
 わたしが一番美しいと思っている日本語は、「大和言葉」と呼ばれたひらがなだけの日本語である。そこへ、中国から医学や漢学を学ぶために「漢字」が輸入され、欧米から入って来た言葉は「カタカナ表記」になり、おおよそ今の日本語の基が作られた。
 
 日本人というのは器用であると思う。
 
 それでいて、日本語は美しさを失っていないからだ。
 日本語を、文節と単語に分けるとき、あることに気が付くと思う。
 
 漢字はすべて単語であり、それだけで意味を成しえているのである。

 わたしが、日本語を書くときに基礎的なことであるが気を付けていることがある。
 よく、漢字変換できる言葉は、すべて漢字にしてしまうような人がいると思う。

 それでは見ているだけで息が詰まりそうだ。
 わたしは、どういう言葉を、どれだけひらがなにし、全体のどれくらいを漢字にするかということに案外、気を遣う。

 ひらがなだけでは読みにくい。
 
 それと、「接続詞」と「指示語」である。
 さらに、形式段落と意味段落に気を遣う。
 それは、見た目ではなく読みやすさのためだ。さらに言えば正確に読めるためである。
 
 よく、日本人は曖昧だと言われる。
 それには具体的にいくつかの原因がある。
 
 言葉の上では、例えば、「あなたは、泳げないのですか?」という疑問文があったとする。「泳げないのなら」、「はい、泳げません」と「はい」が来る。欧米や中国語では、「いいえ、泳げません」が来る。ここら辺の表記の違いから回答する場合ミスが出る。
 
 後は、日本人独特の慣習・性格があると思う。
 
 デパートやお店で売り子をしている接客業の人は、日本では、むっ、としてはいけない、にこにこしていけなければいけないと社会的ルールを教わる。そうすると特に欧米人は、意味もなくにこにこして何がおもしろいのか、と日本人の態度を理解しようとせず非難する。
 こういうことは、切りがなく無数にある。

 しかし、最近、フランス人たちは、この日本人の接客態度の在り方をよく理解し、購買力をあげるためにサービス精神のためと社会的な仮面をつけることを覚えた。
 妻とパリへ行った時だ。大きなラファイエットというデパートへいったのだが、我々アジア人に対してもサービスがすごく良い。妻が洋服を見に行っている間、フロアに座っているとフランス女性の店員が、お疲れですか、大丈夫ですかとにこにこしてオレンジジュースを持ってきてくれた。
 
 留学中とはすごい違いである。
 留学中であったらアジア人というだけで、もう眼中になく無視されるどころか、早く出て行って頂戴!みたいな顔をされたものだ。
 
 エールフランスのエアアテンダント、昔で言えばスチュワーデスであるがすごく勉強している。つまり、日本人は声をかけて何の反応もなかったときは、満足しているのではなく、内心不満足で不平不満があり次回からエールフランスを使わないかもしれないとまで教育されているのだ。

 それだけ、日本の経済力・技術力が高く評価されているということだ。
 日本語や曖昧さを日本の美徳と思い自信を持ってもらいたい。
 


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