マガジンのカバー画像

自伝

6
運営しているクリエイター

#中南米

No. 1 外国生まれの日本人

No. 1 外国生まれの日本人

時は中南米、エルサルバドルの首都 サンサルバドル。
青年海外協力隊員だった父はその延長なのか、何故かサンサルで仕事をしていた。(何をしていたのかは不明。。)
そして現地の飛行場建設を手掛けていた兄を訊ねた母。
そこで二人は出会い私が産まれた、というわけです。 

そんな下を噛みそうな名前の国で私は産声を上げたわけですが、当時内戦に突入寸前だった中南米の小さな国。
父は現地に残り母は私も抱えて帰国し

もっとみる
No. 3 そして転機が訪れた

No. 3 そして転機が訪れた

楽しく過ごしていた小学6年生のある日。
幼稚園から一緒だったクラスメートたちと小学校を卒業するんだ、と思っていた矢先でした。
父からいきなり「ホンジュラスに引っ越すぞ」と。
クリーミーマミやら日本昔話やら見て育ったふつ~の日本人少女だった私。
いきなりのことで
「ホンジュラスってなに?!」って感じでした。

これまた【エルサルバドル】も言いにくいが【ホンジュラス】も下噛むじゃないか!!
しかもどこ

もっとみる
No.5 初めての学校

No.5 初めての学校

私が小学生の時代(80年代)でも大抵国外には日本人学校があったようです。
ホンジュラスは例外でした。
ホンジュラスへ家族を連れて赴任する日本人も少なく、現地の日系人も少なかったのでしょう。
日本人学校は無く、唯一存在したのは土曜日だけの日本人予習校でした。

どちらにしても、うちの父親は
「外国に住むのであれば現地の学校」
というスタンスだったので、家から歩いて10分程度の学校へ入学。
日本のしっ

もっとみる
No.6 恋(?)

No.6 恋(?)

ホンジュラスの首都、テグシガルパでの学校生活。

授業の内容もよくわからないまま毎日が過ぎていったような気がします。。

子供はつくづく不思議です。

当時近所の同年代の子たちが妹と私を遊びに誘ってくれました。

うちの左向かいの奥の家に住んでいたお兄さんのジャフェと妹のシェイラ、そして右向かいに住んでいたリサ。

言葉もろくに通じないのに、道でボールを使った日本の缶蹴りのような遊びをしていたのを

もっとみる