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No.5 初めての学校

私が小学生の時代(80年代)でも大抵国外には日本人学校があったようです。
ホンジュラスは例外でした。
ホンジュラスへ家族を連れて赴任する日本人も少なく、現地の日系人も少なかったのでしょう。
日本人学校は無く、唯一存在したのは土曜日だけの日本人予習校でした。

どちらにしても、うちの父親は
「外国に住むのであれば現地の学校」
というスタンスだったので、家から歩いて10分程度の学校へ入学。
日本のしっかりした校舎が普通だと思ってい私は、地震が来たら崩れそうなレンガ造りの壁とトタン屋根の学校に戸惑いました。
(地震がない国だからか!?)
それでもプライベート(私立)学校。
中米、南米で私立学校に入れるのは中流から上の階級の人たちでした。
パブリックスクール(国立、市立、町立等)は貧しい子どもが行く場所で、それよりさらに貧しい子どもたちは学校にも行かず(行けず)働いているような国。
読み書きができない国民がいるのは普通でした。
日本とはギャップがありすぎます!!

そんな学校で英語を話すどころかスペイン語も0状態の妹と私。
当時 妹は小4で私は小6でしたが2人で小2に編入したときは子ども心なりに侮辱を感じました。
私の首ぐらいまでしか届かない背丈の子ども達に囲まれ恥ずかしいし、悔しいし。。。

しかし現地の子ども達の元気なこと! 
言葉が分からんと言うのに、年の差なんてお構いなしに質問攻め。
いじめのようなことを受けた覚えはありません。
(ちょっとしたからかいはありましたが。。)
日本人なんか初めて見る子たちが殆ど、というか皆見たことがなかったのでしょう。
こっちはこっちで何を言われているかサッパリで、
それでもゴリゴリ押してくる子たちに圧倒されました。
休憩時間は別の学年の子たちが野次馬の様に殺到し動物園の猿気分。

千葉では特にかわいく目立つ子でもなかったので、
この注目に少し快感を覚えたのかもしれません。

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