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⚖ 6年+本人訴訟 【10】~ 真相不明なまま【訴訟1】の被告=校長 死去

【訴訟1】で私が訴えたのは,問題となった専門学校の校長です。 

なぜ,「校長」個人1人だけを訴えたのか。

ー 7月13日のアカハラ相談の面談~8ヶ月後に,「除籍で退校」となる迄,基本的に校内で,唯一の対応者だった「副校長」のうさん臭さに
確信があったものの,その具体的内容が不明だった

ー 一連の事象を俯瞰してみて,「副校長が,ほぼ独断,又はAと共謀し,私をイタブッタうえで,排除した」と思われる。しかし,前年に民事調停で,学校法人を訴えた際にも,結局,理事長ではなく,副校長が代理として出廷し,「相談対応も除籍も適切だった」と抽象的に否定して終わった。ここで副校長を訴えても,有耶無耶にされる気がした。

ー そもそも,Bに「股間を叩かれた」後,同校の学生生活案内(本連載【2】参照)にあった「校内相談窓口」を申し込むにあたり,「校長先生にご対応をお願いします」と明確に訴えていた。

ー 上記ウにもかかわらず,私は,「除籍で退校」となるまで,一度も,校長と会ったこともなければ,話したこともないままだった。

「校長に対応をお願いします」と訴えた理由

当時,同校は,留学生を受け入れることで,かろうじて維持されている状態でした。
 
私を入れて,日本人学生は,2学年併せて,わずか「十数名ほど」―—
それは少子化のせいだけではない,と後にしみじみとした私です。
 
常勤教員は,副校長を入れて数名で,その1人が,勤続17年目(当時)のAでした。

そして,Aと副校長は,それなりに近い関係にあり,2人が当時の同校での,有力者らしいことが,傍目に明らかでした。
 
一方,校長は,入校式の挨拶で見ただけで,以来,私は校内で一度も見かけたことすらなく,「本当にいる?」と疑うほどでした。
 
「股間を叩いた」Bは,Aが,開講2日前に呼んできた外部講師ですから,つながりとしては,以下のイメージでした。 

 B― A ⇔ 副校長

(・・・校長・・・・学校法人本部)

 そのため,「校内相談の相手は,副校長では危険」と考えたのです。
 
他方,学校法人本部が千葉市にあり,都心にある同校に対して,理事長等の目が届きにくいと同時に,埼玉県在住の私が,法人側に相談に行くことも困難でした。そこで,「校長先生にご対応を」とお願いしていたのです。
 
では,なぜ校長は,「全く関知しない出来事」,「簡単な報告を受けただけ」(本連載【7】参照)なのでしょう?

副校長の「(さらなる)ウソ」,副校長の隠蔽行為,校長の職務怠慢・・・等,さまざまな可能性が考えられますが,憶測の域を出ません。

原告優勢の追い風の中,校長死去

【訴訟1】の提起から1年が経過した,令和2年9月――—
校長が,後に学則にも明示されていた事実が判明した,「校務をつかさどり,所属職員を監督する」という,自身の職務をあからさまに否定し(本連載【8】参照),実際,私の校内相談対応において「不作為」は,「関知していない出来事」と答弁している事実からも明らかであるから,監督責任は明白である旨を主張しました。

そして,森剛裁判官の反応からも,【訴訟1】は,原告(私)に,追い風が吹いているのを感じました。私は,最後の詰めとして,校長自身が書いた陳述書と,当事者尋問により,真相が解明されるのを切望していました。

しかし――それはかないませんでした。
令和3年4月9日,「被告(校長)が,3月24日に死亡したと,代理人から連絡がありました」と,担当書記官より連絡を受けたのです。
そして,翌4月,かの副校長が,校長に就任したことが判明しました◆

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