【エイリアン:ロムルス】最後の30分【考察】
賛否両論だったラスト30分についてネタバレありで考察します。
▼何が起きたか(ネタバレ)
公開から少し時間も経っているので、記憶を呼び起こしてもらうために、最後の30分に起きたことを整理しておきましょう。
▼世間一般の反応:
最後30分の展開は、どうやら熱心なエイリアンファンからは賛否両論らしいです。なんとなくの印象ですが、コレジャナイ感を持った人は少なくなさそう…?
私は、良くも悪くも過去作にそこまで思い入れが無いエイリアンノンポリなので拒否感や違和感はあまり無かったです。
ただ、まあ、クリーチャーのデザインがHPのヴォルデモートやSWのスノークと瓜二つだなァ…またそれかよ…アイデアの限界かな?…くらいには思いました。(笑)
でも、それで映画の評価が下がるということは微塵も無くて、むしろ「新しいものをやろうとして頑張ったね!」と肯定したくなる感想です。
まあ、極論すると、どんなものを出しても何か一家言しないと気が済まないのがオタク(厄介)だったりしませんか?(笑)
特にエイリアン界隈はガンダムと同じくらいこだわりが強い人が多い印象があります。ともすると、新基軸を打ち出せばある程度叩かれるのは避けられないでしょう。
むしろ声を上げない多数派の観客は素直に映画を楽しんでたんじゃないかなーと思います。加藤よしき氏の以下のツイートがかなり的を射てるのではないでしょうか。
▼嫌われた原因:
本作は第1作『エイリアン』のあらすじを骨格にして、脱構築する物語だったので、最後に脱出した小型貨物船にエイリアンが忍び込んでいて戦闘になるのはある意味で必然でした。
しかし、ここで出てきたミュータントが「エイリアンらしくない外見」なのが、ちょっと評価が分かれる原因でしょうね。
実際に、貨物船に乗り込む直前のエレベーターシャフトを戻っていく場面は、さながら『エイリアン2』での戦闘意欲モリモリのリプリーを想起させてテンション爆上げになりますし、超至近距離で迫り来るゼノモーフから顔を背けるレインの場面は「これぞエイリアン!」というビジュアルなので、そこから落差を感じてしまう人はそれなりに多く居たでしょう。
▼物語における意味:
ただ個人的にはこのラスト30分こそがフェデ・アルバレス監督が踏み込んだ新しい領域であり、最も味わい深い部分だと思うんですよねー。
大前提として映画『エイリアン』の世界観では、人類のはじまりは太古の昔に「エンジニア」と称される人型の宇宙人が自身のDNAを地球に撒いたことであるとされていますが、本作『ロムルス』ではこれと同じことを人類がやろうとしていると言えます。
科学者たちは宇宙空間から回収したゼノモーフのDNAを解析して、人類のDNAに組み込むことで人類を極限環境でも生存できる完全生物に進化させようとしました。
そして、本作ではレインが本能的なカンで危険視していた薬物をケイが自身に投与してしまい、あろうことか胎内の子供のDNAが書き替えられてミュータントになります。
ロムルスは新作すぎてちょうど良いスクショが取得できなかったので、ほぼ同じことをやっている『デューンPART2』で代用します。(笑)
デューンPART2とエイリアンロムルスの最大の違いは、そのDNAを書き換える秘薬が、天然由来だったか人工物だったかという点です。
デューンで砂虫から摂取した「生命の水」は人間をスーパー戦士に進化させますが、ロムルスで人類が神様の真似事をして作った人工物の「黒い液体」は人間をモンスターに進化させました。
もう一度書きますが、映画『プロメテウス』で示されたように、このエイリアンの世界では、人類とは「エンジニア=後に西洋人がGodと呼ぶ存在」が黒い液体を飲んで地球に自身のDNAを撒いたから創造されたものです。(キリスト教への信仰が薄い日本人にはかなり受容しにくい設定ですが)
エンジニアが飲んだ黒い液体は、もちろん人工物ではありません。
しかしロムルスの黒い液体は、エンジニアが飲んだ黒い液体を人類が模倣して精製した人工物であるのが最重要ポイントです。つまり人間は《神のまねごと》をしたのです。
そして、その結果は恐ろしすぎるものでした。
ラットは巨大で凶暴なモンスターになりました。
人間もまた巨大化・凶暴化しました。なんなら生まれてきた子供は「ミュータント」と呼ばれています。
これはもう、エイリアンではなくて『バイオハザード』ですね。(笑)
エイリアンを観に来たら最後30分がバイオハザードだったからガッカリした日本人観客は少なくないと思います。
でも、そもそもエイリアンシリーズはキリスト教的世界観の創世記と不可分です(=この世界を構築したリドリースコットの思想が根底に流れています)から、正統なフランチャイズとして制作すれば、こういう物語が描かれる選択肢も十分にありうるのです。
《人間が神の真似事をしたからエイリアンに成れず、バイオハザードに成り下がった》ということは、本作ロムルスでは表面的だけでなく本質的に重要なテーマだと言い切って間違いないでしょう。
そしてこれはメタ的に考えると、「オリジナルの真似事しないで自らの独自性を出していくべき」という、今回エイリアンフランチャイズに参加したフェデ・アルバレス監督自身への戒め、あるいは一種の自虐ジョークとしても捉えることができます。深読みすると、どこまでも面白い展開です。
▼人間を捨てる:
本作で私が一番ショックを受けたのは、ミュータントがケイをあっさり殺してしまったことでした。
あのシーンは一番びっくりしましたね。
びっくりしたというか、正確に言うとドン引きしました。
どんな人間だって、母親をあんな風に殺すことはしません。
それをあのミュータントは何の躊躇いもなく、感情もなく、あっさりと殺して栄養にしましたよね。
過去作ではエイリアンだって、リプリーを殺さない描写があったじゃないですか。
つまり、あのミュータントはまさしく人外だし、ゼノモーフ以下の存在という事になるのです。
まさに外道。
あまり詳しくないのですが、クモの仲間でメスが巣穴を作って卵を産み、孵化した子供が最初に餌として食べるのが母親という種があると記憶しています。カマキリは交尾した後にメスがオスを食べてしまうことで有名ですね。でもそういう生きるための共食いは虫がやることです。おそらく哺乳類のような高度な知性を持つ生物で母親を餌にする種は存在しないのではないでしょうか?
人間以下、エイリアン以下、…であるだけでは飽き足らずケダモノ未満に成り下がった人間とエイリアンの混合種ミュータント。虫も同然の怪物。科学に慢心した人類が作った失敗作。
それが、人間が神の真似事をした結果生み出た存在であるという、こうして文章にするだけでドン引きしそうになるカルマ。
しかも、こんな「人類を救うためにDNAを改編する新薬」という設定を、現実世界で完全新種のmRNAワクチンの利用が始まり、科学的に妥当なレベルの懸念からトンデモ学説に基づく悪質な陰謀論まで、玉石混交の議論が巻き起こっている時期に大手エンタメ作品にしてしまう気概。
しかもディズニーでやるなんて!
私はフェデ・アルバレス監督の豪胆さに、いたく感心しましたよ!
(了)
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