伊予再見

愛媛の地域を探訪するささやかなWEBマガジンです。 お暇な時にでもご覧いただき、ご意見やご教示をれたまわれば幸いです。      題字・画:藪野 健 / 編集人:二宮 崇

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    はじめに

    梅雨明けのころから、このホームページをもう一度はじめることにしました。二年前の西日本豪雨災害での被災、続いての大病、今年一月の突風災害、コロナのパンデミック、様々な災禍に遭いましたが、大過なく暮らしてきました。今さらですがグローバリゼーションが地域に根をおろして生きることを難しくしていることを思い知りました。戦後、わが国は戦争で三百万人を超える人々を無残に失い、復興を遂げてきました。経済的な豊かさが実現し、ジャパン・アズ・ナンバーワンという本が読まれるうちに、都会に出て暮らし

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      • 伊予吉田伊達騒動ゆかりの寺と紅葉

        愛媛県宇和島市の吉田町立間に大乗寺という妙心寺派の名刹がある。碧巌録を提唱していると門前に掲げる。藩政期の伊予吉田藩主の菩提寺である。墓所には仙台の伊達兵部の長男の妻女と男子たちが伊達騒動の後、はるか南国の小藩に縁あって配流、幽閉の後死までを過ごして葬られた墓もある。 伊達騒動は万治3年(1660年)、幕府が仙台伊達62万石の藩主綱宗を突然隠居させ、2歳の亀千代(後の綱村)に家督を継がせたことに端を発する。幕府は、老中酒井忠清と姻戚関係にある伊達政宗の五男、伊達兵部宗勝と田

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        • 随想 #3 『象徴』秋季創刊號

           一昨日から、梅雨の晴れ間が続いている。夏の花白い木槿が咲き、今朝はハマユウも咲いた。梅雨の晴れ間ということで、四年前の水害で泥水に浸かったとき松山などから、遠路片づけと泥の掻き出しに来てくれたサイクリストの友人たちが八幡浜から海沿いに走るという。誘いがあり、私も明浜から合流し宇和島まで70キロくらい一緒に走った。久しぶりに再開して、健康を祝い合い昼を食べ宇和島で別れた。  昨日は、買い出しに宇和島の魚屋に出かけて帰ると、京都の古書店から結城信一編輯の雑誌『象徴』秋季創刊

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          • 随想 #2

            庭の譲葉の木の脇に生えたクチナシに白い花が咲いた。この二三日は梅雨の晴れ間で梅干を漬けたり、庭の草をかったりした。梅干しは庭の梅の木から取ったものを約1キロ、梅干しの漬け方を教わっている八百屋さんで分けてもらった小梅を2キロ、塩漬けにした。石の重しを置き四五日置くと水が上がってくる。紫蘇の葉を洗って干し、千切って。揉んだものを加えると少しずつ色が濃くなってくる。後一月もすると梅干しの色になるという。窓の前の譲葉の洞に今朝はシジュウカラが来た。ここのところ姿を見せているが、洞で

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            • 随想 #1

               3年前の豪雨災害で、築百年をこえた木造2階建ての一階部分が床上浸水、台所、押し入れ、納戸と書斎が浸かった。多くの友人たちの支援で暮らせるようになった。家具や家妻の衣類。、本箱、机、台所電気製品のすべてなど多くの書物とともに失ったが、体は無事で、亡父母の遺品など、ある意味で今流行りの断捨離と大掃除にもなった。家を修復してくださった西山さんのおかげで今は普通の暮らしがもどったが、残った書物は物置につめこんでも片づかなかった。最近、近所の大工さんに、書斎にしている東の四畳半に押し

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              • 罹災日録

                 子供が小学生のころ帰郷した。既に父母はこの世になかった。大正初めに建った古びた生家の水まわりを新しくし、一階の北側の14畳の部屋を本箱と箪笥で仕切り、納戸をつくった。 子供たちは小学生から高校まで自分の部屋もない、この家で暮らした。今は都会で働いている。私は処々居を移して帰郷したが、それぞれ暮らした年を足して見ると、伊予吉田に今迄の人生でいちばん長く住んだことになった。 帰郷後を振り返ってみる。2001年に芸予地震が起き、吉田は震度5の強震にみまわれた。地震発生時は、小学

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                • 吉田 満と久通

                   何年か前に、『戦艦大和の最期』を書いた吉田満が大和生還後に赴任した高知県須崎市の久通を訪れたことがある。 作家の古山高麗雄が『戦艦大和の最期』の講談社文芸文庫版の巻末に吉田の作家案内を書いている。古山は、はじめに、自分自身はいやいや戦場に運ばれたまま生還した下級兵士であると断り、作者の吉田は東京帝国大学法科を繰り上げ卒業して、幹部候補生の試験に合格し、士官として自己の意志で死地としての戦場に赴き、予期せぬ生還をした人であると、吉田とは戦争に対する立場や考え方の違いがあること

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                  • 宿毛へ その2

                    宿毛に通じる県道から左の山裾の脇道に入り、前方に見える譲葉山などの山並み、右手の小山の連なり、岩松川の流れなどを眺めながら走る。左の山裾には獅子文六の「てんゆわんや」や随筆「田舎の句会」に書かれた、蘇鉄が山道に並ぶ寺、高田八幡などがある。清満の小学校に近づくと桜並木のある川に沿った堤の上の道を走り、小学校を過ぎ、集落の中の道に下ってゆっくり走る。しばらくして、一度県道に出て川沿いに走ると、馬淵あたりから道がつづら折れになって7パーセントくらいの勾配の坂道となる。登るにつれ谷が

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                    • 買い出しと晩のおかず

                        毎朝、電動アシスト自転車で宇和島に往復25キロの買い出しに行き、宇和島くらいの大きさの町の暮らしやすさを考える。 大昔、私が30代半ばの頃、だから三十数年くらい昔のこと、宇和島市で「日本都市問題会議」の全国大会が開かれた。地元選出の国会議員が国土庁長官の時で次官が来て喋々していた。静岡県掛川市の街づくりにすぐれた業績をあげ、石川賞という都市計画の賞も受賞しておられた故榛村純一掛川市長が基調講演をし、田村明氏や伊藤整滋などの街づくりの有力学者も顔を揃えていた。 その頃、

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                      • 「宇和島はいいぞ」

                         水害や風害、行政の形骸化など不愉快なことも多いが、宇和島はまだまだ大丈夫だ。毎朝、電動アシストの自転車で峠を越え、往復25キロの買い出しに出かける。そうすると、宇和島はいいなあと思う。パン屋さん、魚屋さん、お肉屋さん、八百屋さん。若い店員さんたちが元気に働き、ケーキがおいしいグーテ。 どのお店の人たちも、昔ながらの南予の気のいい人たちだ。魚も肉も野菜も流通が変わり、地物だけではないが、お店の人たちはこだわらずにいいものを集めて、安く売ってくれる。安心だ。これだけ高齢化が進

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                        • 伊予吉田から宿毛往復1泊の旅その1

                          四国西南は東京から遠い。飛行機を使っても沖縄や与論島に行くより時間はかかるのではないだろうか。司馬遼太郎は国鉄予讃本線終着駅の宇和島で線路が途切れることを、どこかに印象深く書いていたと思う。 おそろしいコロナのパンデミックで、愛媛でも県を越えた移動の自粛が行われていた。20日に禁が解かれたので宿毛の友人を訪ねるために、クロの散歩と朝食をすませた後、電動アシスト自転車に着替えや充電器を積み込んで、午前9時に家を出た。国道56号を知永峠の手前で右の集落の方へ入り、12%を越える

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