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はじめに

梅雨明けのころから、このホームページをもう一度はじめることにしました。二年前の西日本豪雨災害での被災、続いての大病、今年一月の突風災害、コロナのパンデミック、様々な災禍に遭いましたが、大過なく暮らしてきました。今さらですがグローバリゼーションが地域に根をおろして生きることを難しくしていることを思い知りました。戦後、わが国は戦争で三百万人を超える人々を無残に失い、復興を遂げてきました。経済的な豊かさが実現し、ジャパン・アズ・ナンバーワンという本が読まれるうちに、都会に出て暮らし、戦後復興と大量消費時代の恩恵にあずかった私は、帰郷して暮らし、子供達が巣立って行く中で、故郷の町がいつの間にか活気だけがない、都会の場末のようになっていくのを見ていました。水害の後に「復興」が叫ばれ、幹線道路やふだんのライフラインは、ほとんど、水害の前と同じくらいの状態に戻りました。なるたけ、故郷の根っこをつくってきた海山の景色や食べもの、人々の気風、言葉など時代の変化をこえて変わらないものを、自分の目で見ていたいと思って暮らしています。しかし、コロナのパンデミックのひきこもりもあり、くったくすると、行政、教育、そして地域の新聞やテレビなどの取材と記事の形骸化が腹立たしく、いらいらする日が多くなりました。水害以来助けてくれた友人たちが、怒るばかりで、体をこわすのはよして、自分が見るべきものを見ていたがよほどよいと親切にすすめてくれました。ありがたいことと思いました。

 私の自宅の前には保育園があり、ほぼ毎日かわいらしい子供たちの姿が見え、笑い声や元気な泣き声が聞こえてきます。明るい気持ちになります。海山の景色も満身創痍ではありますが、ただ見ているだけでせいせいすることが出来る場所が今も健在です。庭の譲葉にシジュウカラが、紅葉にメジロが巣をつくって巣立ちました。愛犬のクロも近くの犬たちも水害を越えて元気です。この三月には、電動アシストのクロスバイクをもとめ、ほぼ毎日、吉田から峠を越えて宇和島の魚屋さんに買い出しに出かけています。グローバリゼーションの流通はこの田舎をすっかりコンビニと量販店、スマホとネット依存に変えてはいます。都会と同じです。しかし、そうでない部分が折り合いをつけながら、細々とでも、強く生きていました。いわゆるEバイクのアシストで、3ヶ月半で2500キロほど走ました。手術以来、運転免許も更新せず、自転車には買い出しと、長い旅行もできるキャリーをつけました。コロナ予防のための県を越えた旅行の規制が解除された日に高知の宿毛に往復140キロの1泊旅行に出かけ友人と会ってきました。「伊予細見」の自転車の旅の記事の第1回とほぼ同じコースです。動ける範囲で自由に動きます。


 このノートは、きわめて個人的な、反時代的な内容です。大きな、大多数を対象にしたものではありません。過去の記事で訪れた場所を再訪し、今の様子とこれからを見て行きたいと思っています。タイトルは「伊予細見」を「伊予再見」とし、題字は藪野健先生にお願いしました。先生が、励ましにと明治後期に松山中学の教師をしていた夏目漱石が松山郊外の小旅行に出かけたときに乗ったであろう汽車を描いてくださいました。



過去の記事はこちらのサイトからご覧いただけます。


 編集人  二宮 崇


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