遅れながらの桜シーズン到来!!
桜の開花の遅れが全国的に言われている中で、
今年初めての桜はたまたま立ち寄った京都御所でした!!
(案の定、外国人観光客でいっぱいでした!^^;)
そこからしばらく経ち、昨日になっても滋賀でお花見をしました🎶
何度見ても味わいが尽きないような、
色々な顔を見せてくれるのが「桜」ですよね!!^ ^
「桜始めて咲く」(さくらはじめてさく)
さて、二十四節気「春分」の【次候】に当たります。
(【初候】は「雀始めて巣くう」でした。)
例によって書籍から引用させていただきます。m(_ _)m
候の名前は、読んで字の如くで分かりますね。
日本人がずっと桜を愛でてきたことは、
歴史を貫いて数々詠まれてきた和歌から読み取ることができます!(^ ^)
「山桜」と「ソメイヨシノ」の違い
続けて、同じ書籍からの引用をさせていただきます。m(_ _)m
この二つの桜の違いについては、
以前にも取り上げた小林秀雄が、複数の書籍において論じています。
そのうちの一つの書籍『学生との対話』から、
本居宣長について論じた一節を以下に引用させていただきます。m(_ _)m
ここで引用されているのは、本居宣長を代表する歌であり、
靖国神社の遊就館の展示の最初に掲げられていることでも有名です。
(「大和心」については、以前にも大々的に取り上げました!)
その歌で詠まれているのは「染井吉野」ではなく「山桜」についてです。
本居宣長は、とにかく桜が好きだった。
そして、そこでいう桜とは山桜のことだった。
「俗悪」「低級」とはなかなか辛辣なご指摘のようにも思えますね。^^;
これは最晩年に『本居宣長』という大著を書き上げた小林秀雄が、
宣長の真意に迫ろうとして導き出した結論として受け止めるべきでしょう。
(宣長は「漢意(からごころ)」批判を鋭く行っていたのでも有名です。)
また、『考えるヒント』という書籍には次のように書いてあります。
繰り返し、武士道精神的な意図は宣長にはなかったことを指摘しています。
「荒魂」(あらみたま)と「和魂」(にぎみたま)の違い
ただもちろん、桜の散り際が美しいのは一般に認められてきたことです。
小林秀雄と対談した数学者の岡潔もこのように述べています。
さらに、「武士道精神」を表す象徴としての意義も無視できません。
「日本精神」と言って一言ではとても尽くせない内容を含みますが、
「大和魂」と紫式部が言った当時の平安の雅(みやび)の気風も、
時代が乱世に降って「武士道」が磨かれていったことも、
両方ともが「荒魂」と「和魂」として言及されるべきなのでしょう。
それぞれが「男性性」と「女性性」として、
性別を問わず各個人の中にも認められることと同じように思います。
「桜」「花」を詠んだ和歌の数々
さて、例によって『古今和歌集』より何首か引用致します。m(_ _)m
※「渚の院」…河内国の交野の郡にあった文徳天皇の離宮。後に惟喬親王領となる。⇨伊勢物語八二段。
「桜の花はいつ咲き始めるのか?」
「満開はいつ頃か?」
「雨が降ったら散ってしまわないだろうか?」
「いつまで見続けることができるだろうか?」
なんて考えてたら、ずっとそわそわしてしまいますよね。笑
桜のことばかり考えてしまい、
春の長閑(のどか)さから遠ざかってしまうという正直な気持ちです。
※錦といえば秋の紅葉を人は思うが、春の錦もあったのだった、という発見の歌。
ワッと風景が目に飛び込んでくるような勢いのある歌ですね!!(^ ^)
※第三句に「桜」が物名(もののな)式に入れてある。
桜の花の色も香りも昔も今も変わらないけど、
人は歳をとれば見た目が変わっていくものだ。
ここからさらに思うのは、
歳を取るごとに、桜に対する思い=受け取り方も変わっていくはずだ!
ということです。
だからこそ、長いようで短い人生を謳歌(おうか)するためにも、
桜花(さくらばな・おうか)を毎年しっかり味わっておきたいですね〜♪(^O^)
掛詞(かけことば)、伝わりましたかね?笑
お後がよろしいようで!!m(_ _)m
今回は「桜」が話題とだけあり、書くことが多過ぎました。。。(^◇^;)
引き続き「散りぎわの美しさ」まで、しっかりと見届けて参ります!!