樹 恒近
脈絡もなく浮かんだ小説の断片を集めました。ここから何かが始まるのか、このままでいるのかわからない、体裁も整えないままのレアな状態。断片だから研がれもせず、丸められもしないままの何かが現れているように思う。
個人的な読後連想の記録
80年代の洋楽を中心に、自分を形作ってきた音楽についてのエッセイ
最初に自己紹介を兼ねて「書くことについて」書いておこうと考えました。 猫が後ろ足で頭を搔くのにだって意味は(たぶん)あるのだから、なぜ書くのか、どう書くのかくらいは書いておこうと思います。 書き手がどのような人間なのか、最初にわかれば、読むかどうかを決める助けにもなるだろうし。 書き殴りの雑文や雑記がほぼすべてで、たまに、忘れていたかのように創作物を公開することもあるかもしれません。 基本的に日本語の文章は縦書きで読みたいと思っているので、「小説」と名前のつくものを公開する
読書量についてはまあまあの自信がある。 これまでに読んできた量もそうだが、現在読むスピードや量にしてもまあまあいいセンを行っているんじゃないかと思う。 自信ありげに言ったところで、僕の読書量が出版業界を支えるようなものではないし、テレビはあまり見ず、ゲームは一切しない僕にとっては「そうしたものの代わりに読書があるんですよ」ぐらいの意味しかない。多分。 乱読傾向のある中で、決まって再読する小説がいくつかある。 同じような小説を立て続けに読んで飽きたときの気分転換だっ
ここ数日、東京でも久しぶりに氷点下を記録する寒い日が続いている。 東京は雪にも寒さにも丸腰同然なので、襲われたらお手上げだ。 人も建物も交通機関も防寒などには考えを巡らすことなどない、都市全体が正常性バイアスにかかっているようなところだから、たかだかマイナス1度とか2度で水道管が凍るかどうかを心配し始める始末。生まれたての子鹿だってもっと丈夫だろうにと思うほどの、見事なまでの脆弱さだ。 今週の寒波で、東京にいながらスキー場の寒さを思い出した。ゲレンデと比べたらここ数
原稿用紙5枚分程度の短いエッセイでも、一度紙に出して手を入れると、やっぱり文章は良くなっていく。 書いてすぐだったから全体としてまだ散漫としているけれど、間をおいてから手を入れたら、きっともっとまとまりが出るんだろう。 こういう作業はどこか手仕事に似ていて楽しい。
Macが壊れたのは1週間前のこと。 震災の翌年から10年、さんざん使い倒してきたのだから、感謝こそあれ、今さら驚きもなければ文句を言う筋合いもない。天命を全うできたのかどうかはわからないが、「よく頑張ってくれました」と線香の1本でも手向けて手を合わせたくなるほどだ。 もちろん線香は手向けないし、手も合わせない。庭に穴を掘って埋めもしない。そもそも賃貸住まいでは埋める庭などない。 できればサルベージしたいテキストがいくつか残っているので、詳しい友達に頼むまでは天袋で冬
使っていたMacがいよいよ起動不能になってしまった。 震災の翌年からずっと使っているのだから、壊れても不思議ではない。 とはいえスマホだけでは手も足もでないのも確か。 やるのはブラウズと文章書きくらいだから、たっぷり型落ちの中古で充分かな。 これも厄年の身代わりだったりして。
滑り止めのゴムの上に版木を置く。 絵の具の乗りが良くなるように刷毛で水を薄く引いてある。もう十分に水は吸ったはずだ。 白い陶器の皿に黒の水彩絵の具をひと絞り。そこに墨汁を注いで伸ばす。伸ばし加減は難しい。粘りがあってもシャバシャバでもいけない。濃さと薄さの中間、汽水域のような曖昧さの中に収まるように絵筆で絵の具と墨汁を混ぜる。 デンプン糊の準備はできていた。ジャムの空き瓶の中で水で薄めたデンプン糊はいい具合になっている。 バレン、摺る際の間紙、一晩湿気を纏わせた和紙
NHKの音楽番組に坂本龍一が出演しているのを見つけて、番組を途中から見た。 久しぶりに見た坂本龍一は随分痩せていた。癌で闘病中なのはどこかで読んでいた。手術を受け、闘病している間に体重が減ってしまったのだろう。それでも進行した癌患者特有の痩せ方とは違うのは、一目見ればすぐにわかって(我が家はウルトラヘビー級の癌家系なのだ)、縁もゆかりもないけれど安心したのだった。 演奏の合間に挟み込まれたインタビューで、退院した後、療養をする毎日の中で「スケッチをしていた」と語ってい
今日は作っている途中の版木の修正に一日の大半を費やしてしまった。 何分にも下手の横好きなので、失敗が多い。彫りすぎてしまったところは版木を埋めて彫り直さなければならない。 誰に教わったわけでもないので、下絵も彫りも版木の修正もすべて我流なのだけれど、それだけに何でも思いつきを試すことができてなかなか楽しい。 版木を埋めると言っても何でどう埋めれば良いのか見当もつかない。 もちろんネットのどこかにはきっとそうした情報もあるんだろうが、探して見つけてその通りやるという
昨晩、2時近くまで小説を読んでから灯りを消したあと、心地の良い夢を見ていたと思ったら全身が震えだして目が覚めてしまった。 別に何かの発作が起きたわけではない。単に寒さに震えて目が覚めただけだ。横向きに眠る癖があるのだが、左胸に機械が入っているために右側を下に向けてしか眠れない。そこにもってきて肩幅がまあまあ広いもので、背中にできた隙間から冷たい空気が流れ込んだというわけだ。 震えは白湯でも飲めばすぐに収まるから、問題はない。ただ、そのあとに眠気が来るまで少し時間がかか
箱根駅伝から始まる正月2日。 もはや「朝起きたら顔を洗う」のとさほど変わらない習慣になってしまっている。 学生たちがただ走る。必死に走る。体力の限界を超え、目に見えているものが何なのかもわからなくなっていても、「次に繫ぐ」本能だけで走る。 襷を渡した後には壊れた人形のように動けなくなる選手たちの何を見たくて6時間近くもテレビの前に座り続けているのが、自分でもわからなくなる。だが、それでも見るのをやめる気にはならないのだ。 「物語の要諦とは」とまとめてしまうのはあま
何事もまずは始めることが大切、始めなければ続けることもできない。 というわけで三日坊主になることも恐れず、その日の出来事を手帳と並行してnoteにも書いていくことにした。 新年の抱負というわけではない。ついダラダラと長くなってしまう文章を短く切る練習も兼ねようと思いついた。 なにせ三日坊主だから続くかどうかはわからない。それでも始めないよりはいくらかマシだろう。 指の先を真っ黒にしながら版画を刷っている最中に新しい年が始まった。 今月の上旬からは誘われたグループ
例年、年の暮れには1年間を振り返ることにしているのだが、今年は振り返ること自体が苦痛であるようなロクでもない1年間だった。 いろいろなことがあり、でも何一つ起きなかった矛盾の塊のような1年間だったのだから、振り返ったところで何が見つかるものでもない。 相変わらず読書量だけはあって、その中にはとてつもなく面白いものもあったけれど、小説を読むことだけを楽しんでいる——小説世界に没入しているというよりも、現実逃避の手段として読書を選んでいるだけのような気持ちが拭えないことが多
なんだ、このロゴ(苦笑)
午後から恵比寿で開催している絵描きの友達の個展に行ってきた。 平日のギャラリーは来客も少ないだろうから、ゆっくり作品を見ることも、話をすることもできるだろうと踏んだのだ。 予想通り、ギャラリーをほぼ独占して展示を堪能することができた。 嬉しい誤算だったのは、コロナの蔓延以降、会えてなかった友達が個展にきていたことだ。 染織家である彼女の活動の様子はネット越しに見てはいたが、文字のやりとり以上のことはしていない。実際に声を聞いたのはまるまる2年ぶりだ。 来客が少ないのをいいこと