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地引と強要

前世紀は情報を持つものが強者となる時代だったが、今世紀もはや四分の一近くなり、どうやら本格的な知識と教養の時代になりそうな予感がしている…………と書いていたつもりだったのだが、変換キーを押したら全然違う物体に変身していた。

「全盛期は乗法をモツ藻のが香車となる次代だったが、今世紀も最早詩文の市近くなり、どうやら本革的な地引と強要の次代になりそうな悪寒がしている」

シンデレラも顔負けの華麗すぎる変身である。しかも日付が0時を回っても元の姿に戻ることもない。変換キーの魔法、優秀すぎる。

全部変換ミス、ちゃんちゃん。と片づけてしまうのは簡単なのだが、それにしてもどうしてここまでダイナミックに優先変換されるのか、まったく見当がつかない。身に覚えもない。あっしは無実でごぜえますだ。
日頃からよく使う言葉なら、どれほど場違いで奇天烈でKYな変換でも、ゲラゲラ笑うだけで済むのだけれど、乗法とか香車なんてどこの穴から飛び出してきたんだかまるでわからないのだ。
数学は高校2年で縁を切ったし、将棋好きだったとしたらちゃんと先を読んで、もっとまともな人生を歩んできたはず。ところが実際は……お察しの通り。やっぱりどこかおかしい。歩に落ちない(ほら、まただ)。

ウチはよくモノが見つからなくなる家で、失せ物が予想の斜め上、傾斜角75度くらいで急降下爆撃したころで見つかる。
メガネが見つからないとアタフタして探していたら、冷蔵庫のチルド室から出てくるとか(掛けたらひんやりして気持ちよかった。曇ったけど)、メンソレータムを探していたら靴磨き道具をまとめてある箱から出てきたとか(メンソレータムが微妙に靴墨臭くなった)。
キャッシュカードが返却しようとしていた図書館の本に栞みたいに挟まっていたなんていう凡庸な隠れ方では「その程度で驚いてたまりますか(ふっ)」みたいな反応にしかならない。そんなのは非常識でもなんでもない。

スマートフォンがランドリーボックスに放り込んであった靴下の中から姿を現した時にはさすがに肝を冷やした。洗濯機に放り込んだ時に「ごつん」という音がしなかったら、そのまま隅々まで汚れを落とされて使い物にならなくなったスマートフォンが洗い上がるところだった(洗い終わった後に気がついていたら、どうやって干したんだろうかと思わなくもない)。
あと、普段はキーチェーンに付けてある家の鍵が見つからなくなったときも。
風呂場のシャンプーボトルの中とか、食器棚のカトラリーの中とか、実は鍵穴に差したまま抜くのを忘れてるんじゃないかとか、住まいの中を探しに探して、最終的に食器棚の一番下に入れてあるほぼまる2年使っていない土鍋の箱の中に鍵を見つけた時は、鍵がここに至るまでの冒険の旅路を想像してちょっとだけワクワクしたものである。
我が家の失せ物は人知の及ばぬところ、摩訶不思議上等のクラインの壷状態なのだ。いまのところテレビ局から取材の依頼はない。そんな連絡が来ても無視するだけだけど。

ともあれ我が家の失せ物のテレポーテーションは小人のしわざということにして、ことあるたびに一切合切を小人のせいにしている。
小人にしても「無実の罪まで背負わされている!」と不満を抱いているかもしれないが、今のところ小人から抗議の声も聞こえてこないし、まあヨシという感じである。
抗議したくなったら、誤変換ではなくて、キチンと抗議文をタイプしてからにしてください。

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