罪悪感などいらない
朝が大好きだ。多くの人がそうであるように、私もまた、朝から午前中にかけてがいちばん集中できるような気がする。
だから普段は、息子を保育園に送ってからお昼ご飯までが勝負。ちゃちゃっと家事を済ませ(家の中が散らかっていると集中できないので)、そこから一気に執筆モードになる。
だけど、たとえば週明けとか、家族でおでかけした次の日なんかはもう、ひとりになりたくてたまらない。だって休日は家族との時間をいいものにするため、全力100パーセントなのだもの。
そんなとき、私はカフェや定食屋に行って「モーニング」を食べる。コーヒーメインのときもあるし、がっつり和食にすることもある。1時間〜2時間かけてゆっくりご飯と食べ、コーヒーを飲み、自分だけの時間を取り戻していく。
ここで厄介なのが、私のなかに時折生まれる罪悪感だ。「息子は頑張って保育園に行ってるのに……」「夫は通勤してるのに……」「他のライターさんたちは書いてるのに……」など。
動くためにはエネルギーチャージが必要不可欠。私にとってはそれが「モーニングタイム」というだけなのにね。休むと罪悪感が生まれるなんて、非効率そのもの。
だらけたり休むことに罪悪感を感じるのは、自分の母が休んでいるところを見たことがないから、なんだろうなぁ。
でも母も、子どもたちのいないところで休んでいただろうし、休んでいなかったとしても、それは娘の私が罪悪感を感じることではないのに。
私はずっと「どうして自分は母みたいになれないんだろう」と思ってる節がある。母も母で、私に「よく頑張ってるやん」とか言っておきながら、言外に「あんたは体力がない」「よく寝込んでる」と思っているのがひしひしと伝わってくるのか辛い。
ちがうねんお母さん、私みたいに感受性が豊かすぎて世の中で生きにくい人間からしたら、今の状況はかなりがんばってるほうやねん。寝込むのも、寝ないとあかんのも、がんばってるからやねん。
あーいやだいやだ。産後、カウンセリングに通っていたときにも少しずつ気づいていたことだけど、やっぱり私は「母からの呪い」にかかってると思う。長女あるあるね。
自分が親になってそのことに気づいてから、何度か母にそのことを訴えたことがある。でも伝わらなかった。悲しいけど、親は子どもを超えていくものなんだなとひしひしと感じた。たぶんそれが、本当の意味で母から自立した出来事だった気がする。
うーん。息子にはそんな思いをしてほしくないな。彼に罪悪感を与えないためにも、私も罪悪感を持たずに休むようにしたい。
……そして、こういう考えが頭をもたげてくるのは、大抵疲れて体調が悪いときだ。今日は朝から体調が悪いが、寝さえすればぜんぶ解決するので、休むのって大切。
必要なことをして罪悪感を感じるのって、思考のねじれがあるんだろうね。少しずつ自分を解放できればいいね、私。
(Day.7)
▼昨日の記事。息子は歌が上手です▼
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