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イトシマメグル #5

伝説を感じる静かな山里

転勤で糸島に来て半年。
弥生や古墳時代から開けていた糸島には、教科書にあった歴史が目の前にあるから楽しくなってきた。

photo_伊都博挿入写真「怡土城址石碑」

古墳だけではなく糸島には、お城の跡も多い。20以上はあるそうだ。
その一つ、怡土(いと)城のあった山に登ってみた。
怡土城は敵からの備えとして、領地を見下ろす山の上にあったようだ。お城って、お堀に囲まれて町の真ん中にあるものだと思ってた。

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調べてみると、平家が都落ちした隠れ里が、糸島にあるらしい。平安時代が終わるころ、平家一族は都を追われて西国に逃がれる。伝説では平重盛の内室と二人の姫は、二丈満吉の山奥の里に落ち延びたそうだ。
天気も良いし、足を延ばして、そのまま唐原(とうばる)の里に行ってみることにした。

黒髪塚のコピー

唐原には姫たちが、従者とともに隠れ住んだといわれる跡が、あちこちに残っていた。
石の上に立ち、はるか都をしのんだという都見石(みやこみいし)。重盛の遺髪をまつったという伝説が残る黒髪塚。厳しい寒さの日は凍りつく千寿院の滝。寂しい里の冬。三人はどんなに故郷が恋しかったことか。

薬師堂(原田種直がかくまった所のイメージ)2

平家の落人をかくまったのは、原田種直(たねなお)という武士だったと伝わっている。原田種直は、平家のために九州で戦っており、移り住んだ平家の人々を、大切にお迎えしたそうだ。
しかし結局、平家は源氏に敗れ、重盛の二人の姫は追っ手に斬られ、内室は自害した、という糸島の伝説。

夫人の墓

内室と姫のお墓。
花が供えられて、大切にされている。800年以上も、地元の人々が守ってきたそうだ。

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糸島は、古くから大陸や半島との交流があって、稲作などを受け入れてきた。そういった意味でもこの地の人たちは、訪れる人や移り住む人に対して寛容なのかもしれない。都から逃れてきた人々を優しく受け入れたのも、わかる気がする。糸島に来てから出会った人たちも、みんな優しくてあたたかい。糸島で感じる心地よさは、これなんだな。

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糸島に来たばかりのころは、早く関東に帰りたいと思っていたけど、糸島を知れば知るほど色々な人や場所をもっと知りたくなってきた。故郷に帰るのは、もっと糸島が大好きになってからでいいんじゃないかな。

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#6にメグル

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DJ 栗田善太郎






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