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先生と呼ばれた日々の手と足と

(※文中に登場する氏名、団体名はすべて仮名です。また、セリフなども一部にフェイクが入っています。あらかじめご了承ください)



朝の九時半。
ふたつ隣の駅で電車を降り、改札を抜ける。駅から出てすぐ右がわ、黄色と黒が螺旋を描く遮断機が今は上へ上へとそべているのをろくに見もしないで、線路を横ぎる。

その途中で、くい、と足をとられた。
線路の溝。
そのわずかなすきまにスニーカーのつま先が落ちた感触。

つんのめるほどでもなく、軽く足を持ち上げて、また歩きだしたとたん、思い出した。

これ、昔もよくやった。

ちょっとうつむくと、白いスニーカーの先だけが黒い汚れでまるでワンポイントのようになっていた。線路を渡りきってから、道路のはしで身をかがめつつ指さきできゅっと拭いてみる。すぐに汚れは消え、かわりに指が黒ずむ。
これがキャンバス地だったら絶望してたな。
そう決めつけて、ボランティアセンターに着いたら、何はなくとも手を洗おうと誓った。

職場に着いたらまっさきに手を洗おう。

二十年前と変わらない。
線路の途中でつまづくのも、不用意に素手でごしごしと取りつくろってしまうのも。

違うのは行き先ぐらいのものだ。

今はこのまま、まっすぐに歩いていけばボランティアセンターに到着する。
二十年前は、すぐそこの角を曲がり家と家のあいだを縫うようにして奥へ奥へとずんずん進む。
すると、冬でなければ早朝五時の淡いうすぼらけの空のした、そして夕方三時半のだんだんに暮れなずんでいく陽のさきに、青い屋根が見えてくる。
市立の保育所。
大学を卒業した初夏からの、私の職場だった。





そのちょっと前までは紅茶専門店で働いていたのが、大学の教授の紹介で小さな編集会社を紹介されるや是非にと鞍替えした、その直後。すべてが白紙に戻ってしまった。

もう店は辞めている。すぐに次を探さなければ。

焦っていたところでたまたま見かけた、市の広報での募集記事。

「時間外保育。市が雇用します。保育士の資格不問」。

それがこの仕事との出会いだった。





私は幼稚園出身だったこともあり、時間外保育の存在なんて知らなかったし、どんなものかもまったく分かっていなかった。
しかし、雇用主がきちんとしすぎているぐらいきちんとしていること、それに、資格不問は強かった。

その五分後に問いあわせ、午後には配属先の所長と面談し、翌日には仕事が始まっていた。

何でも前任者が突然やめて困っていたのだという。
でなければあの定員一名の枠で即日採用はなかっただろう。





時間外保育。

資格を持つ正規の保育士さんたちとは勤務時間が三時間ほどずれたシフトでの、保育、事務、雑事全般。

午後は、正規保育士さんの遅番というかたちで一人だけ残ってくれるけど、朝は五時半までに出勤して保育士さんの労働環境も整備しておかなければならない。
同時に、朝七時以降は子どもたちがやってくるから、一通りの保育もこなしつつ保育室や玄関、庭の掃除を可能な限り丁寧に行う。

夏場はプールの清掃を一人でやらなければならないし、冬に雪でも降ろうものなら一時間ぐらい早めに出勤して雪かきも済ませておかないと自転車を使う保護者さんが不便してしまう。
掃除をして、事務をして、外を見て、また門の外まで雪かきをして。
あまり雪の降る地域ではないはずなのに、その年は二、三度ほど降ったものだから、ちょっとだけ雪かき手当が加算されて嬉しかった記憶がある。





時間外保育士。

掃除はするけど、本職の清掃業者さんも入ってくれるのでそこにばかり注力するわけではない。

保育の訓練を受けていないから、ちゃんとしたお遊戯はできないけどオムツは替えるしミルクもあげるしお昼の寝かしつけもする。

時間外の仕事をしていなければどうにもならない書類仕事や事務もこまごまとある。

保育所が開く朝七時には必ずいて、夜は子どもが全員ちゃんと保護者の方と帰っていくまで必ず見届けて、一日おわりの施錠とセコム設定を管理する。

夜七時までに児童の帰宅が完了していない場合は所長に報告し、セコムにもセキュリティ関連の一時変更を要請する。
後日に市役所に提出する書類も必要になってくる。


何だかこう書くとまるで何でも屋のようだけれど、実際、そうだったのかもしれない。
契約期間は半年と決まっていて、その後、半年は同じ仕事に就けないという市の規定もあった。

だからもう何年も時間外保育士をしている人でも、継続しているとは言い難い要素がある。

半年ごとに半年間のブランクがないと、逆に「時間外保育士」とは呼べないからだ。もしかしたら自治体や年代によって異なるのかもしれない。





保育の経験も資格も私にはなかった。
でも市がそれ良いと言っているのだし、一応、子どもと接する機会はそれまでも多い方だったと思う。
カトリック教会で洗礼を受けてからは日曜学校での役割を振り当てられていた。それよりさかのぼっての留学先ではホストファミリーのお孫さんたちにひたすら揉まれる週末を送っていた。

とはいえ、保育所での勤務初日、

「先生」

と呼ばれたときの動揺ときたらなかった。





前の方のエプロン、サイズが合わないと思う。
そう言って、所長はピンクの割烹着のようなスモッグのようなうわっぱりを手渡してくれた。
保育士さんたちはみんなピンクのお仕着せのエプロンを身につけている。
だから私も、デザインは異なれどただピンクをまとっている、たったそれだけで、

「新しい先生ですか?よろしくお願いします」

などと保護者さんに言われてしまう。

ほら、ごあいさつは?
せっつかれても、まだ子どもはもじもじと、母親の背になかば隠れて立ちすくんでいる。

「はじめまして。お名前は何くんかな?」

雑巾を片手にせいいっぱいの笑顔で尋ねてみると、それでもためらいがちに、さいとうらっきい、さんさい、ねんちゅうさん、と元気いっぱいに明かしてくれた。

「せんせいは、なにせんせい?」

またね、いってきます、お願いします、と母親はもう慌ただしく仕事場を目指して去っていて、その別れを嫌がってさんざんに泣いて何とか呼び戻そうとまでしていたのがようやく静まったころ、らっきいくんは私の膝にちょこんと座っていた。
くりくりしたまるい目で私に聞くその声の感じは、どうやら機嫌がなおったようだった。
私は心底ほっとしながら、ようやく膝の上のらっきいくんへと名乗り、よろしくね、とまだぎこちなく笑いかけた。





保育所にはゼロ歳児から五歳児まで、ざっと四十人。
私の担当は一応、ゼロ歳児から三歳児。
でも正規の保育士さんが退勤する五時になると四歳児も同じ部屋で過ごすことにならから、結局、全年齢に対応しなければならない。

どいうわけか仕事に慣れるのにそんなに時間はかからなかった。

先生、先生、と呼ばれること以外には。





ちょうど今ぐらいの、そろそろ冬になろうかというころ。
子どもたちが絵本に熱中している隙に、お道具いれの上で簡単な書類を片づけていたら、らっきいくんがちょこちょこと寄ってきた。

夏ごろまでは何かと抱っこをせがんだものだったのに、最近は急におとなびたふうで、抱っこ抱っこと騒ぐ別の子をぼうっと眺めていることが多くなっていた。

「ね、せんせい」
「はい、なあに?」

ペンを止めて中腰になってみると、まんまるな目でまばたきせず、なのに抑揚なく、聞いてきた。

「たなかせんせいは、どうしたの?」

私は思わず笑顔のまま静止してしまった。





田中先生とは、私の前任者だ。
突然、なんの連絡もないまま子連絡がつかなくなってしまった、名前だけは知っているその人。

私がいない時間帯、一度だけふらりと挨拶に訪れたらしい。
職員室の、田中先生のロッカーを、私は残された田中先生の私物をわきに押しやって使っていた。
それがある日、ずいぶんと綺麗になっていたので聞いたら、今更はたして挨拶ついでだったか荷物の引き取りが主たる目的だったかさっぱりだと、同僚さんが肩をすくめていた。





たなかせんせい。
その名前を、はじめて子どもの口からまっすぐに耳にした。

今まで誰も何も言わなかったのに。
もしかしてこういうことはよくあることで、子どもたちは慣れきってしまっているのでは。
そんなふうに考えていたから、びっくりした。

「どうしたの、急に」

ついそのまま問い返してしまった。
らっきいくんは、はじめて会ったときのように右手の人差し指と左手のそれをからめて時間をかせいでから、

「たなかせんせい、ばいばいしたの?」

私はちらっと室内のほかの子たちを見た。

みんな、まだ絵本に気をとられていて、ケンカが起きる気配はない。
噛み癖がある子が、珍しく静かにお友達と一緒になって絵本にかがみこんでいる。
このまま取り合いにでもならなければ大丈夫だろう。

そうやって全体をざっと確認してから、らきいくんに向きなおった。
膝を曲げて、目線を同じ高さにする。

「うん。田中先生は、ばいばいしたんだよ」

とっくに。それは言わなかったけれども、そっかあ、と呟くらっきいくんは、今にも、やっぱり、と言いだしそうな、そんな雰囲気だった。
けれど、らっきいくんはちょっと口をつぐんだあとで、口を動かした。

「せんせいも、ばいばいするの?」

どきっとした。

来年の春から法人化するんです。
あなたを正職員として雇いたいのだけど、そちらはどうですか。

当時、朝と夜のシフトのすきまの時間を利用して関わっていた不登校支援団体から、つい昨晩にそんな電話があったばかりだった。

今の仕事は半年契約で、来年の一月後半には無職になります。
是非、お願いします。

即答してから遅れてやってきた高揚は、まだ心のどこかでくすぶったままでいる。

まるでそれを見透かされたかのような。
それとも、顔や態度に出てしまっていただろうか。

どうあれ、答えなければいけない。

次の仕事があろうとなかろうと、契約期間は必ず半年で終わるのだ。
仮にまた時間外保育士の募集があったとして、この保育所に配属されるとも限らない。市内にはいくつもの保育所がある。





そうだね、と私はうなずいた。

「せんせいも、ばいばいするんだよ」
「ずっとばいばい?」

ロンググッドバイ。そんな単語が脳裏をよぎった。

「うん。ずっと、ばいばいするよ。でも、まだ先だよ」
「つぎのげつようび?」
「もっと先。クリスマスとかお正月より先」
「らいねん?」
「うん、来年。だから、今日、ばいばい、またねって言っても、明日、またらっきいくんに、おはようって言うよ」
「またね、がつくなら、だいじょうぶなの?」

何度めか、ことばにつまりそうになった。
毎日、子どもたちが帰るときには、またね、と言っている。
でもそれはただ、いつの間にか身についた習慣で、口ぐせのようなものだ。深い意味はない。
深い意味はないのだけれども、これからは意味を深めなければならないのかもしれない。

「だいじょうぶだよ」

私はらっきいくんの両手をとった。
子ども特有の、しめったような体温がじわりとてのひらに伝わってくる。
そのまま両手を上へ下へとぶんぶん揺らした。

「あっくっしゅーでばいばいばい!またね!って言うから、だいじょうぶだよ」

あくしゅで、ばいばいばい。

ここに勤めだしたその日におぼえた、子どもとのその日のお別れの仕方。

両手をにぎって、ゆらして、あくしゅ、はのんびりめ、ばいばいばい、とスタッカートみたいに歯ぎれよく。
ぱっと離して、あいた手を大きく開いて、またね、と振る。

らっきいくんは、いきなりの私の仕草におどろいたようで、まんまるい目をもっとまるくして、じっと私を見た。
それから、笑った。どこか照れくさそうに。
それでも、一度、こくりとうなずいた。

「せんせい」
「はい、何かな?」
「せんせい、なんでほかのせんせいみたいなエプロンじゃないの?」

サイズがないから。用意ができていなから。
とりあえず急場しのぎだったはずの割烹着もどきは、そのまま私の制服になってしまっていた。
子どものおしゃべりはころころと気ままにころがる。
でも、最近、なんだかこれまでと違うみたいならっきいくんのことだから、何かあるのかもしれない。

だけれどお互いに星の王子さまみたいな問答ができるわけでもなくて。

「これはねえ、先生の名ふだなんだよ」
「なんでぼくたちみたいな名ふだじゃないの?」
「らっきいくんたちの名ふだはちゃんとお母さんたちが買ってくれたけど、先生のは、借りてるだけだからね」
「なんで借りてるの?」

不思議と、もう私の胸は傷まなかった。

「先生は、ばいばいする日がらっきいくんよりも早いから、借りてるんだよ」





次の職場、フリースクールでも、スクールと冠しているからか、よく保護者の方に「先生」と呼ばれることがあった。特に開設から間もないうちは。
そのたびに、
「ここはスクールですが私は教師ではないので、どうぞ名前でお呼びください」
と、くりかえしお願いしした。

通ってくる子どもたちとは、初対面の自己紹介のときに、
「私の呼び方、決めてくれる?何でもいいよ。変なのじゃなきゃ」
といたずらっぽく聞くことで会話のとっかりにしていた。そして大抵は変なあだ名をつけられていた。





「あら、加藤さま、なんて、何年ぶりに呼ばれたかしら」

朝十時。
ボランティアでお年寄りに電話をかける折り、名簿を見ながら、加藤さまですか、と切り出したら、受話器の向こうから堂々とした笑い声が届いてきた。

よかった。お元気そうだ。

メモを取りながら、

「下のお名前、とてもお可愛らしいですねえ」
「ま、ありがとう。そうよお、そっちのほうが私らしいの」

そう呼んでくれない?
わかりました、と答えて、ペンを持ちなおし、書き足す。下のお名前で。

ボランティア活動の性質上、私が名乗ることはない。
私はただ、「会の者です」とだけ言えば良いし、それ以上のことは言うべきでもない。

「もう今年も残りわずかですが……あ、一月にお誕生日なんですね」

早いですね、と無難に会話を進めようとしたのに、たまたま目についた数字のならびに足もとをとられてしてしまった。
だというのに、そうなのよ、と弾んだ声で応じてくれる。

「もう祝う年でもないって、五十代ぐらいには思ったけれどねえ。もっと年をとると、まあ、これはこれで楽しみよ」
「じゃあ嬉しい予定が一つあって、わくわくしながら年越しできそうですか?」
「そうねえ。もういくつ寝ると、なんて歌いたくなるわねえ」
「まだ十二月まるまるありますし、すごく長い歌になっちゃいますね。鬼も大笑いですよ」
「ねえ、ほら!名は体をあらわすって言うくらいだから!」

本当に。ぴったりです。
私もずけずけと笑いながら、それでも、目線は名簿に書かれた名前に置いたままでいる。

加藤、というのはどうやら旧姓らしい。上の段にある男性名、恐らく夫だっただろう山田某さんのデータには几帳面な赤い線が引かれ、他界したしるしの役割を果たしている。

どんな人生を歩んできたにせよ、いま、そのひとは笑って、笑うことが自分の名前のとおりなのだと、またおかしそうに笑っている。





先生、と呼ばれた日々も、まるで名なしのような今日このごろも、私は変わりなくあの線路でつまずく。
こころのどこかで、怪我するでもなし、汚れは落ちるし、たとえ転んでも起きあがればいいんだし。
そんなかまえでいるのだろう。あえて学ぶようなことでもないと。





またね、と言わずにらっきいくんに手を振ってから、二十年。

単純計算でいくと、はたちを確実に越えている。


どんなおとなになってるかな。


そういえば一度だけ、保育所での仕事を終えてから、市内のデパートで会ったことがある。

「せんせい!」

不思議なものだ、と思う。
あれで振りかえってしまうのだから。

「あ、先生。お久しぶりです」

その子の母親にさえ、そう頭を下げられてしまって、こちらこそ、その節はお世話になりまして、と返して。
お元気ですか。
そんなありきたりな、通りいっぺんの会話をかわしつつ、こっそりらっきいくんの様子をうかがった。

あんなに大声で呼んでおいて、もう退屈してしまったふうに、母親の手をひっぱっている。
早く行こうよと言わんばかりに。

母親とちょっと顔を見あわせてから、どちらからともなく、では、と一歩、しりぞいた。

「らっきいくん、ばいばい。またね」

らっきいくんはふいにあのどこか物思いをしているかのような小難しい表情になり、私を見上げて、でも、おおきく手を振った。

「ばいばい、せんせい」



おとなになったらっきいくん。


もし、また、どこかで会うことがあるとして。
しかも、きみが私に気づいてくれたとして。


らっきいくん。

きみは私を、せんせいと呼びますか?


そう呼ばれたいわけではまったくないけれども、はたしてどうなのか。
知りたいなとは、何とはなし、思う。






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