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喜捨というお金の使い方を実践する

「1枚1,900円の板チョコ」の意味するもの

わたしの住む街に小さなチョコレート屋さんがある。チョコレート屋というか、「ショコラトリー」と呼ぶのが、おしゃれなのかもしれない。最近、手土産を持参する用事がある際には、このお店のチョレートを選ぶようにしている。中身は板チョコ。Bean To Bar製法のチョコレートだ。

「Bean To Bar」とは、カカオ豆の選定・買付からチョコレートバーになるまでの様々な工程を、一貫して同じ作り手が製造するという意味で、チョコレートの大量生産へのカウンターカルチャーとして生まれたムーブメント。良いチョコレートづくりには、良い豆からという、作り手の思い溢れた文化だ。

チョコレートの原材料は、もちろんカカオ豆。大量生産の場合、豆の品質は玉石混交で、大量の豆の中に少々悪い豆が含まれていてもそれを排除しない。その代わりに、品質を安定させるために、各種の添加物が使われる。

一方、Bean To Barの製法では、まず良いカカオ豆にこだわる。良いカカオ豆を求めれば、良いカカオ農園が大切になり、良いカカオ農園には、良いカカオの作り手が必要だ。わたしが通うショコラトリーも、良いカカオ豆を作ってもらうために、カカオ農家の暮らしが良くなることなどを目指し、搾取者を挟まない直接取引を掲げる。

ホームページでは「カカオに関わる全ての人々が笑顔で作りあげたチョコレートはどんなに美味しいでしょう」と語っている。カカオ農家を普通に暮らしを立てていけるだけの公正な取引「フェアトレード」を標榜するこのショコラトリーがつくる板チョコは、1枚1,500円から1,900円(税込)だ。

応援したい相手にお金を払う

1枚1,900円のチョコレートを前にして、無邪気に「高い」と声にする人は大勢いるだろう。わたしもそうだった。だが、フェアトレードと職人のこだわりでチョコレートをつくったときに1,900円だと知ったとき、わたしは「安くすべき」だとは思わなかった。

「喜捨」は喜んで捨てると書き、財産や欲望への執着から離れることをその目的としている。しかし、単に得た財産を捨ててしまうのではなく、宗教者や貧しい人に役立ててもらおうとする意図と一体になっている。
独立研究家の山口周氏は著書『ビジネスの未来』で「責任ある消費」という考え方を主張し、わたしたちの消費行動を投票行為に例える。

ものを買うという行動は、その作り手や売り手を支持する一票のようなものだと。

作り手、売り手は、購入をしてもらうという応援によって支えられる。その製法や理念に批判的であったり無関心であったとしても、その作り手、売り手からものを買うという行為は、その作り手、売り手の有り様を支持することになる。

きつくて報われない労働に支えられた格安商品ばかりを選んで購入する人は、ブラックな労働、収入の格差構造を、消費という行動を通じて支えている。ときにそうした労働は、外国人に押し付けられ、目の前からは遠ざけられているが、わたしたちが安易に求めがちな「安い」「便利」は、誰かの過酷な労働によって支えられているケースは少なくない。

Bean To Barの美味しいチョコレートを口にするとわたしは、誰かを「安く」「便利に」使ってしまうことを反省するのだ。

「安い」「便利」に埋め尽くされる世界

お墓を始め供養業界はこの10年、安さ、便利さを志向した変革を推し進めてきた。経済的負担が少ないお墓とか、あとを見る面倒がないお墓とか。わたし自身もそのお先棒を担いできたと言える。

山口周氏は前述の著作でこう述べている。

“単に「安いから」とか「便利だから」ということでお金を払い続けていれば、やがて社会は「安い」「便利」というだけでしかないものによって埋め尽くされてしまうでしょう”

目の前にいる誰かに対し、「あなたは安い人間ですか」「あなたは私にとって便利な人間ですか」と語りかけるような社会を、わたしは次の世代に引き継ぎたくない。
応援したい人にお金を払うという選択を、まずはBean To Barのチョコレートから実践していこうと思う。

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