伊藤 照男

株式会社366代表取締役CEO 寺院を中心とする宗教法人の経営コンサルティング、とくに…

伊藤 照男

株式会社366代表取締役CEO 寺院を中心とする宗教法人の経営コンサルティング、とくに墓地・納骨堂の経営やDXの推進を行っています。「お坊さんのための宗教法人経営ノート」はこちら→https://note.com/366_study/

最近の記事

資金調達のお知らせ

株式会社366は、宗教法人のDX(デジタルトランスフォーメーション)支援のシステム開発を加速させるため、第三者割当増資を実施し、株式会社basepartners(本社:東京都渋谷区 代表:外川穣・山口丈寛)が運用する投資組合を引受先として、3999万円を調達したことをお知らせいたします。 ■資金調達の背景と目的 わたしたちは、365日の毎日に信仰・宗教がある社会の実現を目指し、2020年10月に創業しました。 “生きるための智慧と技術の体系”とも言える宗教は今日、相対的に

    • 【採用】366が求める人物像  来たれゲームチェンジャー  宗教のDXで次世代をリードする

      ■「情報」「感情」が社会を動かす  わたしたちは人類史上、物質の豊かさにおいて未曾有の時代に生きている。   勿論、日本でも餓死する人はいる。その数は年間2,000人前後と考えられる。それは決して少ないと言える数ではない。  しかし、わたしたちの多くが理解していることは、日本で食糧不足が起きているわけではないということだ。食品でいうなら、むしろ余っている。餓死者の問題は、生産量ではなく、分配の問題だ。生産は過剰なのに、一方で欠乏が生じている。この状態を「豊か」と言えるのだろ

      • お寺の責任役員会・総代会にこそダイバーシティ&インクルージョンを

        東京・港区のお寺に、西村宏堂さんというお坊さんがいる。浄土宗の僧侶である傍ら、メイクアップアーティストとしても活躍している。西村さんは昨年7月、LGBTQの一人である自分自身の体験などを綴った「正々堂々 私が好きな私でいいんだ」という著作を発表した。 大量生産・大量消費時代を牽引してきた画一性を乗り越えて、日本社会は今、ダイバーシティとインクルージョンという価値の実現に向かっている。 それは、これまで分離されて考えられていたものを単純に一つの枠に押しはめてしまおうといった

        • 大切なことは「である」ことよりも「する」こと

          丸山眞男は、「『である』ことと、『する』こと」という著作を残している(『日本の思想』岩波新書)。 近代日本に輸入された「自由」を静的に捉えるのではく、動的に捉えることを主張するとともに、近代を身分や肩書きが幅を利かす「である」社会と、能力や機能性に基づく「する」社会との対立軸で分析した論評だ。 著作の中身はともかく、最近、身の回りで「『である』ことと、『する』こと」という表現を思い起こすような出来事が続いた。 弊社・株式会社366も支援しているある社会団体が、代表者の経歴

        資金調達のお知らせ

        • 【採用】366が求める人物像  来たれゲームチェンジャー  宗教のDXで次世代をリードする

        • お寺の責任役員会・総代会にこそダイバーシティ&インクルージョンを

        • 大切なことは「である」ことよりも「する」こと

          喜捨というお金の使い方を実践する

          「1枚1,900円の板チョコ」の意味するものわたしの住む街に小さなチョコレート屋さんがある。チョコレート屋というか、「ショコラトリー」と呼ぶのが、おしゃれなのかもしれない。最近、手土産を持参する用事がある際には、このお店のチョレートを選ぶようにしている。中身は板チョコ。Bean To Bar製法のチョコレートだ。 「Bean To Bar」とは、カカオ豆の選定・買付からチョコレートバーになるまでの様々な工程を、一貫して同じ作り手が製造するという意味で、チョコレートの大量生産

          喜捨というお金の使い方を実践する

          まずはお坊さんからやめてみよう「安い=優しい」という生き方

          よい宗教者がもっともっと増えて、人々の心の支えになってほしい――そんな弊社の理念に賛同してくださる仲間や企業から、出資のお話をいただいている。有難いことだ。この会社を私のプライベートカンパニーにするつもりはないので、リスクをとって弊社の取り組みを応援しようという申し出には、感謝しかない。 自社の出資者のことを思索しているうちに、鎌倉投信という会社の存在に行き着いた。ファンドマネージャーの新井和宏氏の著作やNHK『プロフェッショナル』という番組で、その取り組みや考えに触れた。

          まずはお坊さんからやめてみよう「安い=優しい」という生き方

          「他者から奪った分だけ豊かになる」という発想の寺院経営をやめる

          ■ゼロサムゲーム信仰潜在意識の中にゼロサムゲームを信奉する人は少なくない。 ゼロサムゲームとは、経済学の「ゲーム理論」の一つで、複数の市場参加者がいたときに、誰かの利益と誰かの損益の総和はゼロであるという考え方である。 荒っぽく言い換えると、富の総和は有限である。 有限である富を、誰かが現在よりも多く手にするためには、誰かがその富を失わなくてはいけないということだ。 誰かから奪った分しか、自分は豊かになれないのだと考えることもできる。 値切って安くなった分だけ自分が得した

          「他者から奪った分だけ豊かになる」という発想の寺院経営をやめる

          惰性軌道に変化をもたらすための具体的なアクション

          ■出る杭を打つのは私だ ネットのニュース記事を見て「老人が若者の芽を潰している」なんてコメントをしたり、自分より経験が少ない人や若い人の振る舞いを見て、「失敗を恐れるな」と励ましたりすることは、どこにでもある私たちの日常だ。 「日本人って出る杭を打つ社会だよね」と語るとき、私たちは心のどこかで「私は違うけど」という前提を置いている。 「失敗を恐れていては何もできないよ」と誰かを励ますとき、「私は失敗を恐れずに挑戦できる人間だ」と暗に語っている。 しかし多くのケースで、この暗

          惰性軌道に変化をもたらすための具体的なアクション

          宗教者が習得を目指すべきはビジネスマインドではない

          ■檀家制度頼みの寺院運営は限界宗教界が右肩下がりの様相を呈している。 日本に限らず、世界的な宗教教団離れが目に見えて進行している。このことを宗教界では「お寺離れ」、「宗教離れ」などと評しているが、Spiritual But Not Religious(無宗教型スピリチュアルなどと訳される)とその様相を表現し、宗教性の希薄化とは異なった側面から事態を捉える者もある。 寺院運営の先行きが不透明な現代にあって、宗教界では「僧侶にビジネスマインドが必要だ」、「お寺はサービス業である

          宗教者が習得を目指すべきはビジネスマインドではない

          文化庁「社会貢献も宗教活動」の見解から税金のことを考える

          ■社会貢献も宗教活動 文化庁が見解 文化庁は1月25日、公益財団法人日本宗教連盟と全国の都道府県の宗教法人担当課に宛てて、情報提供と称して、宗教法人が行う社会貢献活動も宗教活動の一部に位置づけられるとの見解を示した。 このニュースを報じた文化時報の記事によると、「近隣住民のために災害備蓄品や炊き出し用機材を保管している寺社の防災倉庫に対し、一部自治体が『宗教活動のための施設に当たらない』として、固定資産税を課税した例が散見されたため」、日本宗教連盟は、公益活動と宗教活動の関

          文化庁「社会貢献も宗教活動」の見解から税金のことを考える

          Clubhouseと千手観音 苦しみの多様性に寄り添えば……

          ■Clubhouseがイノベーターの夜を熱くしているアメリカ発の音声SNS「Clubhouse(クラブハウス)」が、1月23日から日本でサービスを開始し、新しいモノへの感度の高い日本人を熱狂させている(2月7日現在)。 元Google社員が2020年に創業したAlpha Explorationが世に送り出したこのアプリは、その独特の「中毒性」から「可処分時間」争奪の強者として旋風のように現れ、瞬く間に話題をさらった。 Twitter、Facebook、Instagram、Y

          Clubhouseと千手観音 苦しみの多様性に寄り添えば……

          お布施・お賽銭は現金であるべき?

          ■○○ペイでの給与支払いが今年春に解禁!日本経済新聞は、1月27日付の1面で「給与デジタル払い今春に」というニュースを報じました。 企業が従業員に対する給料を現金や銀行口座振込で支払うのではなく、「従業員のスマートフォンの決済アプリなどに振り込める」よう2021年の春から解禁する、という政府方針を報じたものです。 日本には、給与を「通貨払い」、つまり現金で支払わなくてはいけないという労働基準法第24条の規定があります。 労働基準法 第24条(賃金の支払) 賃金は、通貨で、

          お布施・お賽銭は現金であるべき?

          インクルージョンを支えるDXは、宗教者の願いと一致する

          ■DXに対する宗教者の忌避感宗教界では、DX(デジタルトランスフォーメーション)というと、機械が人間にとって変わるという具体性を欠いたイメージが先行し、忌避感を持つ宗教者も少なくない。 DXの恩恵を議論するよりも、デメリットを論じるのが、ちょっと事情通であることを匂わす常套手段であるようだ(そう述べるこの文が同じ穴のムジナになってはいけない)。 作業効率アップや事務作業の無人化は、そのDXの結晶の一部ではあるが、宗教界のDXの本質とはいえない。 ■DXが実現するインクル

          インクルージョンを支えるDXは、宗教者の願いと一致する

          いま、ここで役に立たないのなら、何のために未来に残すのか

          ■未来に残すことが目的?お寺を守る住職との会話の中で、しばしばこんな言説をよく耳にする。 「わたしの使命は、このお寺を未来に残すこと」 どんな文脈でこんな話が出てくるのかといえば、“寺離れ・仏教離れの時代”にあって、“厳しい寺院経営に直面”し、“その難局を乗り越えていこう”という認識の中で、市場のトレンドに合わせたお墓や葬儀、人集めに取り組もうというもの。 ツッコミどころはあるもの、この文脈そのものを判じるのが、今回の趣旨ではない。 ただ、もっと本質的な部分からアプロ

          いま、ここで役に立たないのなら、何のために未来に残すのか

          バーチャルを「実質」と訳せば向き合い方が変わる

          ■落合陽一著『デジタルネイチャー』メディアアーティスト、大学教授、政府機関の委員会メンバーなどとして多彩な活躍を見せる落合陽一氏(https://yoichiochiai.com/about-me)は、現在33歳。 2000年以降に成人を迎えた「ミレニアル世代」は、生まれながらにしてインターネットが当たり前に存在していた時代を生きてきた世代で、アメリカではY世代とも呼ばれる。 落合陽一氏の2018年の著作『デジタルネイチャー』は、ビジネスマンや研究者の視点からはもとより、

          バーチャルを「実質」と訳せば向き合い方が変わる

          日常に祈りをもたらすDX ~非日常の称賛を超えて~

          ■非日常の体験としての称賛寺ヨガが各地のお寺で人気を博している。 ヨガインストラクターと住職の橋渡しにも取り組んでいる私にとっては、とても嬉しいことだ。 参加者は、 「非日常的な空間でヨガをすると、リラックスできます」 「心や脳が開放されるようで、癒やされます」 「香り、音、空気感など、五感が刺激されるようです」 ――と、一様にその空間がもたらす効果に喜びの声をあげている。 これにケチをつけるつもりはない。 ただ、ちょっと穿った見方をしてみよう。 ――お寺は非日常の空間な

          日常に祈りをもたらすDX ~非日常の称賛を超えて~