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インクルージョンを支えるDXは、宗教者の願いと一致する

■DXに対する宗教者の忌避感

宗教界では、DX(デジタルトランスフォーメーション)というと、機械が人間にとって変わるという具体性を欠いたイメージが先行し、忌避感を持つ宗教者も少なくない。

DXの恩恵を議論するよりも、デメリットを論じるのが、ちょっと事情通であることを匂わす常套手段であるようだ(そう述べるこの文が同じ穴のムジナになってはいけない)。

作業効率アップや事務作業の無人化は、そのDXの結晶の一部ではあるが、宗教界のDXの本質とはいえない。

■DXが実現するインクルージョン


イノベーターがビッグデータやAIの活用で目指す世界観は、1人1人への究極のカスタマイズだ。

「十人十色」、「機によりて法を説く」、「一隅を照らす」、「共生(ともいき)」を仕組みとして、実現しようという挑戦だ。

慶應大学の宮田裕章教授は、インターネット経済番組の中で語っている。

「今までは8割の富を持つ人口の2割の人たちの中で経済が回っていたが、データを使うことによって、2割の富しか持っていない人口の8割の人たちも、そのシステムに乗ることができる。お金を持たない人が、データによる信用を担保に、ディスアドバンテージを埋めることができる。Facebookのリブラやデジタル人民元が掲げるインクルージョンの世界観は似ている」(筆者要約)

これまでの社会制度は、ひとりひとりが大事なのだと言いながらも、10人いれば10種類、それぞれにカスタマイズされたサービスを提供することは現実的に不可能だった。しかしビッグデータやAIは、その複雑な作業を瞬時にこなす。

■進歩を拒む理由などない


多くの宗教のベースには、苦しみを克服したいという願いがある。

ハンス・ロスリングらの著作『FACTFULLNESS』が提唱する通り、数字の事実を客観視すれば、世界は良い方向に向かっている。貧困も病も老いの苦しみも、軽減する方向に向かっている。

そこに「昔のほうが良かった」となるFACTは見当たらない。

人々の苦悩を少しでも取り除きたいと考えたとき、テクノロジーの進歩を拒む理由は見当たらない。

これまで両の手からこぼれ落ちてきた思いを、少しでも漏らさないためにも、DXは必ず役に立つのだ。

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