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バーチャルを「実質」と訳せば向き合い方が変わる

■落合陽一著『デジタルネイチャー』

メディアアーティスト、大学教授、政府機関の委員会メンバーなどとして多彩な活躍を見せる落合陽一氏(https://yoichiochiai.com/about-me)は、現在33歳。

2000年以降に成人を迎えた「ミレニアル世代」は、生まれながらにしてインターネットが当たり前に存在していた時代を生きてきた世代で、アメリカではY世代とも呼ばれる。

落合陽一氏の2018年の著作『デジタルネイチャー』は、ビジネスマンや研究者の視点からはもとより、宗教者サイドから読んでも、示唆に富んでいる。


■リアルとバーチャルを「物質」と「実質」と定義する

明治時代、西洋の思想が大量に輸入された際、日本に無かった概念を日本語に翻訳するにあたり、様々なミスマッチや、言語としての機能不全を起こした。「社会」や「大衆」、「神」、「事事無碍」、「アプリケーション」などの事例を落合氏は紹介する。

そうした訳語のひとつとして、「リアル」と「バーチャル」を挙げる。

(引用)
その典型が「リアル/バーチャル」という言葉だ。この対立項は、翻訳の過程で複雑な捻れを起こしている。「バーチャル」は「仮想」と訳され、コンピュータ内部でのみ発生し、現実には起きていない出来事を指すとされている。しかし「Virtual」の正しい和訳は「実質」である。
(中略)
そこで、コンピュータを基軸にして、「物質的(Material)」/実質的(Virtual)」という対義語にして定義し直すべきだと僕は考えている。「物質」も「実質」もどちらも同じ現実であり、物事の本質を指している。
(引用おわり)

落合氏が指摘する通り、デジタルを論じる際に使われるバーチャルという言葉を、「現実に起きてはいない出来事」と思い込むには、すでに無理がある。

中国が発行するデジタル人民元が動かすのはゲームの世界だけではない。日本政府が創設を目指すデジタル庁は情報だけでなく、政治機構のあり方をも揺るがす。個人情報の濫用に関する議論には、デジタルに強くない人ほど大きな声を上げる。子供の貧困の解決の一手として、教育×オンラインのEdTech(エドテック)が有効であることは、多くの関係者の共通認識になった。

教育の際に、物質的な事象の実質を捉え、周辺的な情報の解像度を下げて、「言葉」にするように、リアルとバーチャルは、物質と実質に置き換えて思考する方が、少なくとも今の私たちには有用だ。


■諸行無常

目に見える物(物質)に囚われず、その心(実質)に眼を向ける。これは極めて「宗教性」の高い響きだ。

諸行は無常である。物質はもとより、実質も移ろいゆく。そうした視点に立って、リアルとバーチャルを重ねて見ると、デジタルの世界観は、「物質性の本質は何か」「実質とは何か」を改めて問いかけてくる極めて宗教性を大切にしたツールだと言えないか。

少なくとも、バーチャルの技術を「流行りもの」と食わず嫌いに捨ててしまうのは、生命の真理を求めようとする宗教者には惜しい話だ。


■問われる身体性

落合氏は、リアルとバーチャルの世界の境界の融解を語る一方で、物質的な身体性をこよなく愛する。

極めて解像度の高い身体性が、言語やデジタル技術を介さずに、同一の解像度で伝えられることに深く感情を込める。

宗教界は、もっとバーチャル世界の役割を論じるべきだ。きっとその思索が、リアルの価値の輪郭を鮮明にする。

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