【採用】366が求める人物像  来たれゲームチェンジャー  宗教のDXで次世代をリードする
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【採用】366が求める人物像  来たれゲームチェンジャー  宗教のDXで次世代をリードする

伊藤 照男


■「情報」「感情」が社会を動かす


 わたしたちは人類史上、物質の豊かさにおいて未曾有の時代に生きている。 
 勿論、日本でも餓死する人はいる。その数は年間2,000人前後と考えられる。それは決して少ないと言える数ではない。

 しかし、わたしたちの多くが理解していることは、日本で食糧不足が起きているわけではないということだ。食品でいうなら、むしろ余っている。餓死者の問題は、生産量ではなく、分配の問題だ。生産は過剰なのに、一方で欠乏が生じている。この状態を「豊か」と言えるのだろうか?

 現在、世界で最も繁栄している例を見てみよう。

 GAFAと呼ばれる国際企業(Google、Apple、Facebook、amazon)が主として提供しているのは、物質としての商品ではない。情報やブランド、または情報が行き交うプラットフォームという非物質的なサービスだ。

 1995年のWindows95の発売あたりを契機に始まるデジタル革命以降、社会は、世界は、情報や感情、コミュニケーションといった事象によって動かされてきた。
 昔から「目に見えない大事なものがある」と言われてきた何かが、いまや「サービス」として対価を得、経済を動かしている。「豊か」の定義が、物質的なものから精神的なものに変わってきている。

■宗教のDXが世界を変える


 同じく「豊か」について過去数千年考え続け「目に見えない大切なもの」こそが豊かを決定することにはるか昔に気づいた人たちがいる。それが宗教者だ。

 同じ物質環境にあっても、人間は自身に内在する「世界観」によって、幸にも不幸にもなる。物質が一定程度充足された現代において、人間の幸・不幸を決めるのは、この世界に対する向き合い方、つまり世界観だ。幸・不幸を決める大切なものであるにも関わらず、世界観を体得するのはなかなかに難しい。これを庶民にわかりやすい形にして伝えられるのが宗教だ。

 しかし、世界観をリードすべき宗教は、ことに日本では、非日常的な文化となってしまっている。なぜか?その大きな理由の一つが日本人のマジョリティの宗教である仏教が、その生き残りの課程において、あまりに「葬式」「埋葬」という弔い行為に最適化しすぎてしまっているからだ。

 超高齢化社会である日本では、人口あたりの死亡者数ももちろんそれなりにいる。しかし、その一方で、「死」というイベントはそれほど身近なものではない。このあまり身近でないイベントに寄り添い、最適化した結果、仏教そのものが日常生活にとって非日常なものとなってしまったのではないか。少なくともその原因の一つになっているのではないかと私は考えている。

 本来、信仰には、人々に内なる世界観を生じさせ、それによって幸・不幸の基準目線を設定し、自らの置かれている立場を理解し、心の安寧を得る役割があるはずだ。仏教が非日常のものになってしまったことで、その機会が失われていることは本当にもったいない。

 わたしは、非日常化してしまった宗教という存在を日常に取り戻したい。毎日のルーティンの中に、もう一度、信仰を蘇らせたい。自分自身が持つ世界観と向き合う時間を、365日のなかに取り入れたい。わたしたちの社名「366」に込めたのはまさにこの意味だ。365日では足りない。366日、祈りとともにある日常を普通のものにしたい。

 デジタルツールは、そのためには極めて有効な手段だ。

 現代人と宗教界が、高い頻度で接点を持とうとするならば、スマホ、タブレット、パソコン、インターネット、SNSは、極めて有効な手段だ。
 わたしは、ときどき、特別な時間として宗教者や宗教施設に接する時間があれば良いと考える意見には、真っ向から反論する。 「信仰は高い頻度で、日常にあるべきだ」と。そして、いま、人々にとって、もっとも頻度が高く、日常的なツールはそれらのデジタルツールであり、サービスだ。

■「それって宗教みたい」


 現代人が、「それって宗教みたい」という表現は、盲目的に信じることを揶揄して使われる。誰かや何かをバカにするときの言説だ。
 残念ながら、現在の日本では、「宗教」という語感が持つ印象は、「うさんくさいもの」と極めて強く結びついている。

 しかし、多くの人は「プチ宗教」とも言える世界観を持って生きている。それを、ポリシーと表現しようと、俺の生き方と表現しようと、“意識高い”と表現しようと自由だが、基本的には宗教と同じ軸の上に立っている。
考えてみれば、ticktokやインスタグラム、各種ライブ配信サービスのインフルエンサーひとりひとりも宗教のようなものだ。日常生活から宗教がなくなってしまっているわけではない。むしろ「宗教っぽい」ものはどんどん増えているし、ニーズは高まっている。

 誰もが何らかの世界観の下に生きることからは、逃れられないことを知るべきだ。
 あらゆる宗教は、その視点において長い時間、何世代もかけてその世界観を磨き続けてきた。どの宗教も、それなりに確からしい、選び取るべき世界観を提示してくれる。「宗教みたい」なものではなく、体系だった人類の智慧として、そこには得るべきものがある。

 日常に祈りを取り戻し、宗教を身近なものにする。そのことが世の中全体に平穏をもたらすものと信じている。

■来たれゲームチェンジャー


 現在、366では、宗教界・宗教者の支援を通じて、次の時代を造りたいという人材を募集しています。財務、システム開発、広報、マーケティングなどにプロと呼べる即戦力の技能を持つ方を始め、宗教界への貢献に情熱を持つ若手のポテンシャル採用を進めています。

 大量生産・大量消費の物質偏重の時代が終わり、情報・感情・コミュニケーションが価値の主体となる時代を、宗教界の支援・宗教者の支援を通じてリードしていきたいと思っています。

 上に書いたような私達の思いを実現し、形にしていくためには、様々なしがらみを打ち破り、宗教と日常生活の関係を新たに定義していき、世界を作っていく力が必要です。

 熱く語り、熱く動く仲間、そして世界を変えるゲームチェンジャーとなる仲間を募集しています!

◆株式会社366求人情報詳細は以下のリンクからご覧ください。
https://366.today/recruit/




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伊藤 照男
株式会社366代表取締役CEO 株式会社アンカレッジ相談役 寺院を中心とする宗教法人の経営コンサルティング、とくに墓地・納骨堂の経営やDXの推進を行います。 「お坊さんのための宗教法人経営ノート」はこちら→https://note.com/366_study/