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生きづらさを輝きに!NO.88 85歳の実父、90歳の義母、最期をどう生きぬくのか。

名古屋の出張から帰った弟と一緒に、昨日、父の入院する病院へ面会に行った。

父は10月中旬、ショートステイ先の施設で尻もちをつき、大腿骨が折れていることがわかり、入院した。

父が手術という日に、うちの義母も骨折の疑いで違う病院に入院となり、その日は私は義母の方に行かざるを得なかった。
義母の場合、お医者さんの仰る3週間という日数で、かなりの状態まで回復し、予定通り、ピッタリ3週間で退院。

義母は元々かなり足腰が強く、90歳だが、シャカシャカ歩くので、いつも、バルーンカテーテルをつけているバックを忘れたりして、介護士の方や看護士の方に、待ってー!〇〇さーん!と言われるくらいで、とにかく小さい子どもと変わらないのである。

実父は、十数年前から、パーキンソン病と診断され、手の震えは徐々に進行。
色々と薬を飲んでも改善はほぼ見られなかった。
それと同時に、家の中でもテレビを見て座っていることが多かったり、動くことはあまりなく、徐々に足腰も弱くなっていった。

しかし、一年近く前に弟が東京からUターンしてきてからは、父にしてはかなり家の中はスムーズに歩けるようになっていた。

弟も自営業の会社を立ち上げたので何かと忙しく、デイケアや、ショートステイも使いながら、日々動き回っていたが、お年寄りが転ぶのは、家であろうが、施設であろうが、避けれない現状である。

いくら介護する側が気をつけていても、四六時中目を離さずずっと介護される側を見ていることはできないから、本人の責任だと言わざるを得ない。

父とは、私はあまり良い思い出はなかったが、50歳で大きなターニングポイントを迎えてからは、徐々に自分も、そして家族や、父のことも受け容れることができるようになった。

病院に行くと、デイルームで車椅子に座って、テレビを見ていた父。

特にはっきりした言葉を発することもなく、どうにかこうにか、聞き取れるくらいの声だった。

私が、父の面会に行ったのは昨日で2回目。
その病院は、土日に面会ができず、私が1番動ける時に行けないので、どうにか、水曜日といった感じである。

とは言え、今居る病院も年末までくらいしか居れないらしく、次に行くところを決めないといけない。

義母のことでも、入院している間に、実は義母に内緒で施設の申し込みをした。
今回入院したことにより、今後家で見ていて、90歳という高齢、何があってもおかしくない。
介護する側が、いざという時に困らないようにはしとなかないと、という想いが働いた。

正直、こんなに元気になるとは、やっぱり、今までの義母であり、何か病気になったり、骨折しても必ず復活するので、「起きあがりこぼし」だといつも私は自分の中で思い、イメージするのである。

昨日も、父の弟夫婦の話になり恐らく80歳くらいだと思うが、今回車の免許を更新したら、次はもう返納しようと話していたらしく、そんな歳になったんだなって、自分の年齢も考え、何とも言えない気持ちになった。

叔父さん叔母さんは、今住んでいる家を売り払って、息子たちに迷惑かけたくないからと、前々から言っていたが、後数年後には施設に入るつもりのようである。

一度、祖母の法事の後の食事に招かれ、行ったことがあったが、田舎の見晴らしの良い丘の上にある日本家屋の家だった。
花や木が好きな叔父さん叔母さんは、たくさん植えていたし、でも、第二?第三?の人生、施設でも毎日明るく過ごすようなイメージのある2人である。

その家、その家のやり方がある、うちの場合は、なるべくなら家にいたいという父の気持ちと、弟は、さあ今からという時、恐らく、まだ望みは捨てておらず、何でも誰かがやってくれる、子どもの誰かが見てくれる、と思って生きてきた父は、今まででいちばんの頑張りを見せているのかもしれない。

しかし、現実は、ただの骨折なら回復しそうだが、パーキンソン病が邪魔して、なかなかこれ以上は、と言った感じだった。

父の件も、義母の件も、やっぱり介護している側にも、人の心、情というものがある。

施設にと、周りの人は言うが、なかなか本人目の前に、施設という言葉を言い出すのに、まごまごと、とても言えないという感じになるのは、私たち夫婦に限らず、弟までもがそうだった。

逆に、ハイハイ、とサラッと施設に送り出すのなら、え??となったのかもしれない。

人間だもの、色々考えるのです。

介護される側が、自分から、施設に入ってもいいよ、と言ってくれるなら、そうなるかもしれないが、なかなか難しい問題で、施設に完全に入所となると色々な葛藤がある。

なるようにしなからないが、どうするかは、結局は、介護される側の考え、介護する側の考え、この二つが一致しないとスムーズではない。

できるのもなら親の考えを尊重はしてあげたい。

そうは思っても、私はそんなに動けない…

あんなに色々思って、好きになれなかった父親だったが、自分の体を思うように動かせなくなった父を見ると全ては丸く治って、かける言葉も大してなかったが、「また来るね、頑張ってね、頑張らんばよ」と言って右手を握った。

頑張って!とは言って良いのか悪いのかとも思ったが、頑張らなくて良いよ!はまた違うのかと思い、日本語って難しいなぁ、そう思うのである。

手を握るなんて、そんな考えられんで、と思うかもしれないけど、人によるだろう。
私は義父の時も義母の時も入院中ハイタッチや手を握ったりした。

それって大事なスキンシップかもしれない。

今の世の中どう思うか知らんけどー

ちゃんと消毒はしましたから。

人を受け容れるって、こういうこと。

人間生きているうちに分かり合えたら良いのになって、見ていて思うこと数回ありましたから。

色々考えさせられる、今日ことごろであります。

人間、その人の人生は、その人が決めるもの。
決めるのは自分自身。

父も、義母もそれぞれ最期をどう生きるのか、本人次第である。


今日も最後までお読みいただき、心よりありがとうございます^ ^




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