【剥き出しで丸出しに吐き気】
カオスだ…。
私は混乱していた。
とても真っ直ぐ歩ける状態じゃない。
カフェテリアや廊下内は人混みと騒音と、そしてなぜかチュッパチャップスが宙を飛んでいた。
なるべく早く校外に出ないと…と足早にカフェテリアを通り過ぎる。
ガツンッ。
チュッパチャップスが私の額にヒットした。
∇∇∇
[バンクーバー・ノンフィクション──中学時代の海外研修より]
ハイになっている男子が、叫びながら飴やチョコを手当たり次第に投げているのが見えた。
バンクーバーの中学校に体験入学中の私は、そのタガの外れたエネルギーに圧倒されていた。
ホストシスターに手を引かれながら、挙動不審で外を目指す。
『カフェテリアはちょっとクレイジーだから…』と彼女は苦笑いした。
しかし廊下は廊下ですんごいことになっていた。
ピッタリ抱き合いお互いの体を撫で回してるし、絡み合う舌まで見えている。
ここは何ですかクラブかなんかですか中学校じゃないんですかー!!
キャパオーバーな私の頭は、グワングワンと逆回転し始めたようだった。
やっとの思いで天気の良い校外へ出て、少し敷地内を歩く。
『いつも芝生のところで何人かでランチ食べてるの。皆に紹介するね!』と、ホストシスターは言った。
芝生へ向かう途中に、物置のような建物があった。通り過ぎる際、半開きのドアの向こうが少し見えた。
そして吐き気を催した。
こっちはこっちで何ですかホテルかなんかですか中学校じゃないんですかーーー!!!
飯も食わないでなにしてるんですかーー先生は知ってるんですかーーーオエッ。
私の脳はとうとう拒絶反応を起こし始めた。
私の故郷じゃ、真っ昼間のこの時間帯は、各班、机を綺麗にくつけて給食当番が盛り付けをして皆お盆をもって一列に並んでいる。
間違ってもチュッパチャップスは宙を飛ばないし、物置でドア半開きのまま行為を始めたりしない。
その後、緑の眩しい芝生の上で優しい仲間たちに紹介され、ランチを広げても、私は少しの間食べ始めることが出来なかった。
言いようのない気持ち悪さと気分の落ち込みように自分でも驚いた。
∇∇∇
その夜、私は暗い天井を見上げながら、なぜあの時吐きそうになったのかを考えていた。
日本の中学生だって、性行為をしている子はいるだろうし、そこに偏見があるわけではない。
じゃあなぜ、私は吐き気がしたんだろう。
思い出して思い出してみると、それが『剥き出し』だったからだと気づいた。
人間の欲が、衝動が、全て『剥き出し』で『丸出し』だったからだと気づいた。
日本の学校生活や日常生活において、モラルや秩序やルールに縛られる不自由さを感じたことは幾度もあった。
そしてそれに反抗心を持ったことも。
でも、それは、元はと言えば人間が考えたことで、なぜ人間がそう考え決めなければならなかったのかが少し分かった気がした。
人間も動物だから、欲望があって当たり前だけど、それを剥き出しにするのは、丸出しにするのは、社会じゃない、と。
私達が、親や先生や友達から隠れてこっそりすること。それは、一見、悪いことをしているようで、染み付いたモラルなのかもしれない。社会なのかもしれない、と。
∇∇∇
ランチも食べずに物置小屋で弄り合う男女がいる一方で、緑の芝生で仲良くランチを広げる男女もいる。
見て見ぬふりができる人間もいれば、ショックのあまり吐き気を催す人間もいる。
その違いは何だろうなんて、14歳の考えはそこまで及ばなかった。
ただ、そのショッキングな映像が小さな脳みその壁面に焼き付いて、
それまで考えもして来なかった『秩序』や『社会』にスパーンと直結し、向き合えた事は良い経験だった。
だからとにかく、物置のドアは閉めようか。
それは社会へ繋がっている。
社会とは、多様な人間が共存している場所をいう。
ぇえ…! 最後まで読んでくれたんですか! あれまぁ! ありがとうございます!