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【ランプみたいに揺れるあの子】

彼女は、重厚な一冊を差し出した。
黒い表紙に題名は無い。
そして、こんなのでゴメンね…と涙をこぼした。

あんなに綺麗な雫を見たことはなかった。
見惚れる私を前に、
街灯が反射してきらりと光るそれを、彼女は服の袖で慌てて拭った。

アメリカ留学・ノンフィクション──親友との別れ編

       ∇∇∇

彼女は、中学、高校と一緒に登下校してきた一番の存在だった。
私は、彼女の前ではよく笑った。
笑いすぎて呼吸のしかたを間違えるくらいに。
心を預け切っていた。

人とうまく関われない私が溺れる思春期の深い闇。
彼女はそこに掛けられた一つのランプのようだった。

明るい音で笑う彼女は、きらきら揺れて私を照らした。

          ∇∇∇

ありがとう、ありがとね。と受け取って、はらりと表紙を開いた。

もう一枚、もう一枚とページをめくる。
どこまでめくっても、白紙だった。
まるで高級な本のようなそれは、全ページ真白のノートだった。

『これに何でも書いて、帰ってくる頃には世界に一冊だけの、イテラだけの本になったらいいなって。』
鼻声は、藍色の空に溶けずに残る。
私は頷きながら、真白なそのページにそっと触れた。

         ∇∇∇

私は欲しがらない子供だった。

半年先の誕生日プレゼントをせがみ倒す弟とは違い、私の物欲は皆無だった。

クリスマスは酷くて、サンタに何も頼めなかった私は、おもちゃ屋まで連れて行かれた。
広い店の、積み上がるおもちゃの前を、何周しても選べなかった。
親を喜ばせるために、安心させるために、私は必死で歩き回った。
足が疲れて冷や汗が滲んだ。
あんなにカラフルなはずの店が、私の記憶が重なると、重々しいねずみ色一色である。

結局、しびれを切らした親がこれにしろと言った物にした。安心した。

サンタからもらったはずの弟が、両脇におもちゃを抱えて満足そうに車に乗る。
『もうアンタって子は。しょうがないんだから。』ため息をつくふりをする母の横顔がなんだか嬉しそうだ。
私は涙をこらえた。

子供らしくない自分が、とてつもなく醜く思えたから。

         ∇∇∇

『元気でね……』

最後、彼女はわんわん泣いた。夜の街灯の下で、他人の足音も聞こえないほどに。
素直に産まれて素直に育ったこの人は、こんな風に泣く。

彼女の肩をさすりながら、勘違いしないでほしいと願う。
あなたみたいに上手に涙は出ないけど、
この喉の苦しい痛みをちゃんと感じているんだよ、私も悲しいんだよ、と。

またね、またね、と振り返りながら別れて、私は固く分厚い表紙をそっと撫でた。

ペラペラのノートじゃないこれは、もはや本だった。
罫線も枠も何もないページには、斜めに詩を書くことだって許された。
びっしり細かく、想いを羅列させることも許された。
叫びまくっても、つぶやいても、いい空間。
そこは、私の全てを受け止めてくれる居場所になった。

私は初めて、物に愛を感じた。


よかった。
ちゃんとあった、欲しいもの。
ただ、おもちゃ屋に、無かっただけ。
これだ。
私が欲しかった物。

それは、
本当は叫びたいのに溜め込む私を、
本当は泣きたいのに泣けない私を、
暗い闇に溺れかけてる私を、
そんな私を、ずっと側で見てきた親友が選ぶ本。

それは、
一人で海を超える私がちゃんと毎日吐き出せるように、
不器用な私が、ちゃんと毎日居場所に帰れるようにと選んでくれる本。

ランプみたいだ……私は夜空の下でつぶやいた。

最後に見る彼女は泣いてばかりで一度も笑わなかったけど、それでも彼女はランプだった。

きらきら揺れて、やっぱり私を照らしていた。

ぇえ…! 最後まで読んでくれたんですか! あれまぁ! ありがとうございます!