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76.コロナ後、最初のお客さま
ヨーロッパではコロナ2年目、2021年の夏からほぼコロナ前と同じ生活様式になっていました。
陰性証明書さえあればヨーロッパ内の移動制限はなくなっていたので、私もフランスへ行ってみました。
コロナ給付金でフランス旅行
2021年の夏には日本からの観光客も戻ってくると思っていたのに全くその気配がありません。
あのときの日本は、ほぼ、鎖国状態でしたよね……オリンピックは開催したのに。
そこで、2021年の夏は友だちとフランス旅行に行くことにしました。
と言ってもフランス本土ではなく地中海に浮かぶフランス領、コルシカ島です。
それでも海外旅行気分が味わえて最高でした。
仕事はなくて収入はゼロ。
しかし、自営業者に支給されたばかりのコロナ給付金があったので、それを使って夏のバカンスです。
まさか、その後にウクライナ情勢の悪化や歴史的円安が来ることになるとは思いもせず、もらったお金をほとんど使って10日間ほどの旅を楽しみました。
指折り数えて待ち続けてコロナ感染
こうして2021年の夏が過ぎ、お正月休みこそは日本からのお客さまが来るのではないかと思ったけれど、問い合わせすらありません。
年が明けて2022年の春休み、夏休みと誰も来ないまま過ぎていきます。
本当にあのコロナ給付金を使っていなければどんなに助かったことか、自分を呪いましたが後悔、先に立たず。
それでもせっかくのフリーな夏です。
往復交通費+宿泊費+食費で予算100ユーロと決め、1泊2日プチ旅をしようとアブルッツォ州スルモーナへ行くことにしました。
恋愛詩の巨匠、『変身物語』の作者として知られるオウィディウスの生まれた町です。
アペニン山脈のふもとにある風光明媚な場所で、ローマ時代から栄えていたのでローマ水道や当時の遺跡も残っていました。
ブラッチャーノからスルモーナまで鉄道とバスで往復するという弾丸旅行を決行します。
![](https://assets.st-note.com/img/1717492877353-YwSf5RN3qu.jpg?width=800)
ブラッチャーノに戻った翌日は、終日、友だちと湖水浴。
そして、その次の日の朝、なんとなく喉に違和感があると思ったら午後にはそれが激痛に変わり、微熱だったのが2、3時間で38度にまで上がるという、まごうことなきコロナ陽性の症状になります。
イタリア政府のコロナ規制に則り、まずはかかりつけ医に電話をしました。
すると、すぐに検査をしても陽性反応を示さないことがあるから、2度手間を避けるために2日後ぐらいにしたほうが良い、ただし、それまで誰にも接触しないこと、とアドバイスされます。
そして言われた通り2日後に近所の薬局でコロナウイルス検査をしたら、担当者に「おぉ!間違いなく立派なコロナ陽性だよ!」と明るく宣告されました。
こうして2022年、残りの夏はコロナからの回復に専念することになります。
熱が出たらかかりつけ医から指示されていた「OKI(オーキ)」というケトプロフェン剤の市販薬を服用し、あとは陰性証明が取れるまでひたすら外部との接触を断つだけです。
買い物は友人に頼み、ドアの外に置いておいてもらいました。
陽性反応が出てから念のため10日ほど後に検査をしたら、陰性反応になっていたので晴れてコロナフリーです。
しかし、後遺症は過労から発症するとか、鼻の奥の粘膜を海水で洗うと良いとか、イタリアでもさまざまな民間療法のウワサがあったので8月終わりまでそんなことを試しつつ、のんびり過ごしました。
コロナ後、はじめてのお客さま
実は2022年に入ってすぐ、9月後半のお客さまの問い合わせをいただいていました。
その旅が無事に実現できそうとの連絡を夏ごろにいただき、それがコロナ後、最初のお客さまとなりました。
女性1人旅、しかもイタリアははじめて。
イタリアでの過ごし方を私のところで慣らしてから、ルッカにあるイタリア料理学校へ留学する、という方でした。
そして、これを皮切りに、11月までに2名の女性一人旅を受け入れます。
コロナでずっとガマンしていたイタリア旅をやっと決行する、という方ばかりでした。
当時の日本ではまだまだ海外旅行に対する偏見があったそうで、陰性検査やワクチン証明など行政手続きを規定通りにこなしていても色眼鏡で見られるような状況だとおっしゃる方もいて、コロナ前のようになるにはまだ時間がかかるなと思ったのを憶えています。
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