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73.イタリアでコロナ給付金をもらう

留学から就労用滞在許可証への切り替えは、いま思えばコロナ禍の真っただ中で行われたことになります。
日本へ帰りたくても、移動制限が出されているし、そもそも有効期限が迫っていたのでイタリアから出たら戻って来られる保証はありませんでした。


あっという間に感染拡大したコロナ

日本でダイヤモンドプリンセス号が横浜港に足止めされていたころ、イタリアでは中国から来た観光客が最初の感染者としてローマで隔離されていました。
そして、ミラノ近郊の小さな村コドーニョでイタリア初の国内感染が確認されます。
2020年2月20日木曜の午後8時、地域病院に届いたウイルス検査の結果が陽性だったのです。
それまで誰も知らなかったコドーニョ村の名前が一気にイタリア中に知れ渡ることとなります。

それでもまだ、ローマに住む私たちはまるで他人事のように受け止めていました。
ミラノで広まっているからローマは大丈夫、という感じです。
ローマで最初に感染が確認されたときも、ミラノからの輸送業者によって荷物と一緒にウイルスが来た、なんてまことしやかにウワサされていたほどでした。

木曜の夜にコドーニョ村で陽性確認がされ、そして事の深刻さが重く受け止められたのでしょう。
その週の土曜の深夜、ついに当時のコンテ首相が出てきて緊急会見を行います。
たった48時間で緊急体制が敷かれ、毎日2回の定例会見が市民保護局によって開かれるようになり、コロナ関連最新情報が全国民に共有されることとなりました。

そして、それから2週間後の3月9日土曜の夜9時過ぎ、コンテ首相が会見を開き、翌10日からイタリア全土に移動制限が出され、ついにロックダウンが始まります。

当時のコンテ首相の会見。
みんな固唾を飲んでテレビで観ていました。
私は聴き取った単語を片っ端からノートに書き取り、あとから辞書で調べるという、気の遠くなるような作業を明け方まで続けることになります。
まさに命がけのイタリア滞在がこの日から始まったのです。

帰国できない

移動制限が出されていたのでブラッチャーノから出ることができませんでした。
私は外国人なので、日本に帰りたいならそれはできたでしょう。
ただ、再びブラッチャーノに戻って来られるかどうかは分かりません。
私の滞在許可証は2020年9月初めに期限切れだったのですが、ロックダウンがそれまでに終わるという保証はありませんでしたから。

日本大使館からもたくさんの情報がメールで送られてきました。
この時はすでに空港も封鎖され、帰国したくてもできない人が多くいたのです。
大使館からも「政府特別機が出たら帰国しますか」という質問が来ましたが、私は迷うことなく断りました。
せっかく6年間もがんばってきて、幸運なことに手違いから「求職用」滞在許可証を手にしています。
これをスムーズに「就労用」に移行するためにもここでイタリアを出るわけにはいきません。

弱音を吐くことを学ぶ

すべてのコロナ情報はイタリア語で発信されていたので、その翻訳をして理解し、分からないことはイタリアの友人たちに教えてもらう、ということの繰り返しです。

ロックダウンが始まった週末から慌ただしくいろいろなコロナウイルス対策関連法案が決議されていったのですが、と、同時に、冷えてもないのに膀胱炎、食欲不振、さらに虫歯もないのに歯痛まで起こすという前代未聞の体調不良に襲われました。
とりあえず家にあった鎮痛剤を飲んでごまかすこと3日間。

ついにクスリを飲んでも効かなくなり、いよいよ明日は歯医者に行くかというレベルに達し、私にしてはめずらしく友人間のグループチャットに弱音を吐きます。
すると、不思議なことにずっとよく眠れていなかったのに、その夜はぐっすり。
精神的ストレスによる歯痛だったようです。
ちょっとチヤホヤされたらすっかり治りました。

今から考えるとあのとき日本に帰らなくて良かったです。
苦手だった「人に助けを求める、弱音を吐く」ということができるようになりました。
なんでも自分で解決しなければ、周囲に迷惑をかけてはいけない、と思っていたのが、もっと甘えても良いのだ、と思えるようになったのです。

イタリアの寛容さを身をもって体験することのできたコロナ禍でした。

自営業者にだけ出たコロナ給付金

このことを皮切りに、滞在許可証の更新にまつわる自分ではできないさまざまなことを周囲の人に相談できるようになります。
それまでの私なら、他人の手を煩わせてはいけないと遠慮して誰にも相談せず、自分だけで何とか乗り越えようとしたはずです。
もしかしたら、それでうまく行っていたのかもしれません。
でも、私に弁護士や税理士を紹介してくれたのは周りの友人たちですし、結果として彼らにそういう相談をしたことで、絆が深まったような気もします。

そして、人のつながりで紹介された人たちは、やはり何かと気にかけてくれるものなのかもしれません。
コロナも少し落ち着いた2021年5月、税理士から電話がかかってきました。

「Partita IVA(パルティータ・イーヴァ)」、付加価値税登録番号を自営業枠で申請している業者に限りコロナ給付金が支払われるという情報がある、もしかしたら君も貰えるかもしれないからチャレンジしてみたら?と。

実はこの時まで私はイタリアに銀行口座を持っていませんでした。
しかし、給付金を受け取るにはイタリアの銀行口座番号を伝えなくてはいけません。
ここでも税理士から簡単に「IBAN(イバン)」と呼ばれるEU圏内で有効な銀行口座番号の取得方法を教えてもらい、その日のうちに開設、無事にイタリアでコロナ給付金を受け取ることができました。
2回にわたって給付され、たしか合計2000ユーロ、イタリアにしてはけっこうな金額です。

ワクチン接種もこのころ。ブラッチャーノにある陸軍兵舎で軍医によるオペレーションでした

ワクチン接種の1回目も2021年5月でした。
すべてがインターネットで手続きできるようになっていて、滞在許可証のために加入したイタリアの健康保険証が役立ちます。
番号を入れればすべての個人情報が一括管理されているので、予約から接種までとてもスムーズで、外国人だからという理由で区別されることは一切ありませんでした。

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