61.農園マンマとタクシー運転手との出会い
はじめての一時帰国から戻り、お見合い相手に断りの連絡を入れ配偶者ビザへの退路を断ったとたん、ブラッチャーノ観光の問い合わせが入りはじめました。
しかし、外国人の私がひとりでできることは限られています。
地元の人からずいぶん助けられました。
湖畔で知り合った農園マンマ
ブラッチャーノ市では、いまだに観光にそんなに力を入れていません。
湖という自然の恵みと、中世に建てられたお城という過去の遺産、この2つがあるだけで適度に観光客を集められているからだと思います。
ホテルの数も少なく、現在では町中に1軒と湖畔に1軒あるのみ。
実は数年前、お城の建物の一部にホテルができたのですが、コロナ禍で廃業してしまいました。
そんな環境でしかもまったく知り合いのいないブラッチャーノでイチから日本人観光客を呼ぶための何かがないかと模索していたころ、湖畔を散歩していたとき野菜の直売所を見つけました。
オーガニックな野菜やフルーツ、保存食品などを週末だけ販売している農園経営の母と息子です。
私にブラッチャーノのいろいろを教えてくれた最初の地元民となりました。
美味しいピッツェリアやブラッチャーノの歴史のことなど教えてもらうなか、あるとき日本のお客さまからイタリアのパンとお菓子づくりを学びたいという相談を受けます。
さっそくマンマに話してみたら自分が教えてあげても良いと言います。
そして、私のブラッチャーノ、初のお客さまは農園マンマの料理教室となりました。
マンマはもちろんイタリア語しか話せません。
そこで私が通訳になって橋渡しをしながらの料理教室となります。
当時の私のイタリア語は今ほどではなく、何を意味しているのかよく分からない単語もあったりしました。
それでも異文化交流というか、気軽に質問を投げかけそれに答えてもらいながら、時にはマンマからも逆質問があったりしてなかなか面白いスタイルの料理教室になります。
今では私も引っ越しをして自宅キッチンで教えられるようになったので彼女とのコラボはやっていません。
会う機会も少なくなりましたが、1年に1回ぐらい顔を見せに行っています。
湖畔のアグリツーリズモ
農園マンマには息子がひとりいるのですが、家業を手伝うかたわらB&Bもやっていました。
その建物は農園のオリーブ畑の中にあります。
昔、一家で住んでいたけれど手狭になったので別の場所へ引っ越したため空き家になっていたのです。
それを改装して息子のビジネスとして運営していました。
ブラッチャーノにはそんなに良いホテルがないのでB&Bに泊まることになるのですが、やはり知り合いのほうが安心できます。
日本からのお客さまをここへ案内するようになりました。
面白かったのは「何もしない1ヵ月を過ごしたい」というオーダーをいただいたときです。
そのお客さまは日本で忙しい日々を過ごしている70歳の女性でした。
仕事から離れ、散歩をしたり湖を眺めたりしながら読書三昧な1ヵ月を楽しみたいということで案内したら満喫してらっしゃいました。
タクシー運転手との出会い
ある日、ブラッチャーノへ遊びに来たシチリア女子が、坂の上にある私のアパートまで駅からタクシーでやって来ました。
その彼女曰く、とても親切で良いタクシーだった、というのです。
私はブラッチャーノでタクシーに乗ることはありませんでしたが、ちょうど日本から友人が来たので空港送迎を頼みました。
すると、日本人だと知った運転手が私の境遇をあれこれ聞き、日本人にブラッチャーノを紹介したいのだと話すといろんな面で協力してくれるようになったのです。
ブラッチャーノ周辺観光やローマ観光、日本でも有名なチヴィタディバニョレージョ、ボマルツォの怪物公園、はてはオルヴィエートまで足を伸ばしてくれるようになりました。
しかも、この運転手、周辺観光だけでなく歴史にも詳しかったのです。
彼からも本当にいろいろなことを教えてもらいました。
引退して息子たちにタクシー業を任せていますが、今でもたまに会ってゴハンを食べたりするほか、今月末にはみんなで遠出をしようと言っています。
もう80歳近いのですけど本当にお元気。
ブラッチャーノでの私の父親代わりみたいな存在で、温かな人柄に日本から観光に来たお客さまもファンになり、彼と再会するためにブラッチャーノを再訪する方もいるほどです。
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