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8.キャリアを捨てる私への両親の見解

イタリアという国に出会うまでキャリア志向の強い人生でしたけれど、でも、それとは真逆な育てられ方をしてきました。
親から最初の見合い話を聞かされたのは、まだ在学中のハタチのころです。
卒業と同時にお嫁へ行くという、昭和でさえ時代錯誤と思われるような人生のレールが敷かれていたのです!


結婚すれば幸せになれる

子どものころから女は結婚して家庭に入るのが当たり前のように育てられてきました。
結婚さえすれば将来は安泰、絶対に幸せになれる。
女がいつまでも独りでいるのは淋しく侘びしくみっともなくもさえある、といったものすごい価値観です。

両親共に九州の出身、しかも父親は鹿児島県産!
家の中は男尊女卑が当たり前の世界で、年子の弟がなにかにつけ優遇されていました。

それはおかしい、男女に差はなく平等に扱われるべきだ、と思っていましたけど口に出しては言えません。
女が口答えするなんてもってのほかですから。

ただ、社会人になったとき男社会で揉まれつつも頑張れたのは子どものころのそうした反感がベースにあったからかもしれません。
男に生まれたというだけでいい気になるなよ、使えないなら潰してやる!という気持ちをいつも心の奥に隠して仕事をしていましたね。

父親の反応

そんな環境だったので仕事で遅くなり家へ帰るのが終電だなんて、父親的には理解不能だったのでしょう。
社会人になってしばらくの間、そんな仕事は辞めるようにずっと言われていました。

やっと干渉しなくなったのは私が家を出て独立してからです。
女独りでも生きていけるし、どうやら淋しくも侘びしくもなく、むしろ楽しそうだと理解したのでしょう。

最終的に会社を辞めてイタリアへ行くと言ったときは、自分も鹿児島から東京へ出て行ったこと、当時は飛行機も新幹線もなく1日以上かけて上京したことなど話してくれました。

それと比べれば飛行機の直行便で半日程度、人生で1度は外へ出ていくことも必要だと自分と重ね合わせたのかもしれません。
キャリア志向に対する肯定感ももともとない人だったので、概ね賛成といったところでした。

母親の反応

わりと単純な父親の反応に比べて母親の心中は複雑だったようです。

母は専業主婦でしたけど、心のどこかで社会へ出て自分を試してみたい、という気持ちがあったようでした。
私の大学行きを許したときの条件も何か資格を取ること。
資格さえあれば手に職をつけたようなもの、女独り、社会でもやって行けると思ったのでしょう。

父の手前、大きな声で言うことはありませんでしたが、思えば子どものころから自分では叶えられなかったキャリアへの憧れを小出しで押し付けられてきたような気もします。
ベースの教育方針は良妻賢母育成ですけど、ちょいちょいキャリア志向も垣間見え、私はその両立を目指して育てられたような感じです。

そのせいか、マンション購入時に金銭面で全面協力してくれたのも母親でした。
都心にマンションを買って華やかな業界で仕事をしているムスメは彼女の叶えられなかった夢を実現してくれる存在だったのだと思います。

それがそれまで手にしてきた何もかもを捨てて、いきなりイタリアへ行くというのですからまさに青天の霹靂。
もちろん猛反対。
でも今さら親の言う事を聞く歳でもないし、そのつもりもなく。

予定どおりイタリアへ行きましたけど、その後もかなり長い間ずーっと、会社を辞めて後悔していないのか聞かれ続けていました。
それを言われなくなったのは、ホントについ最近になってからです。

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