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ペットボトルの水に溺れたい/エッセー


 目の前には、1ℓの水がはいったペットボトル。コップにそそぎ、ごくごく、と空気といっしょに飲むと水にもぐったような気分。お腹にがぶがぶと水がたまるのを感じる。 目を閉じると周囲は青く透けている、あなたは水の底を目指す。プールか、夢の中の海のような。ごぼごぼと水が顔の周りで空気が騒ぐ。息がしにくい、すーっと体は浮いていく。浮きおわって、まるで水から生まれたように顔をあげて大きく息を吸う、そこは透明のうすい壁に囲まれた水の中、つまりあなたはペットボトルの水の中!ぷかぷかとしばらく浮かんだら、またもぐるのだ。…目を開ける。そこは日常、いつまでもあんな夢の中にいようとも、いられるとも思わない。溺れない限りは。

 飲んだのは生ぬるい水だけど、体にとっては意外と冷たい。水に対して身体は、平均36度もあるんだもの!口当たりやわらかく、体内の気管はびっくりするまでとはいかないまでも「目」があるのなら、きっとそれを見開くだろう。もしくは汗をかいても冷えずにただ、じわじわと広がるだけの初夏の日、ご存知の通り心地よい風が吹く25度の日に差した影の中、ときどき吹く強い風によって肌の「目」は眉を上げずに見開く。生ぬるい水を飲むのはそんな感覚と似ている。それは、全身が「目」になるようなプールの気持ちよさを彷彿とさせる。
 小学生の頃のプールの授業は、もわりと熱がこもるビニールの天井の下で行われた。小さく敷き詰められたタイルの上を歩き、そこに座るとふくらはぎや足首にくっきり四角いタイルの跡がついた。水にはいると冷たくて、はじめはぶるっとする。ぐるぐるとみんなで水の中を回るうちに体はあたたまり、そのあとはみんな、水に入りたくて仕方がなくなる!

 水に入りたいだけ。全身の「目」をびっくりさせるような気持ちよさ。頭まで濡れると自我は水に吸い取られるよう! 水に覆われるように、つつまれたい。心地良い水圧の中、飛ぶように動きたい。そんな気持ちも今は、あえて考えようと思わない限り忘れ去られているのが悲しい。そんな生活が少しさみしい。
 この思いは懐古ではなく、水のようにゆれ動く心の動きだ。「懐かしい」はもともと「懐く(なつく)」に由来するという。心がひかれて離れがたい、が第一義。私の心は、水に懐いている。

 さて、同情の目でみられそうなささやかな夢はどうしようか。置き換えでもしようか、未だ叶っていない「巨大なぶどうゼリーの中に入る夢」に。ああ、ペットボトルの水に溺れたい。
 結局は、プールに行ってしまえというのもわかるけどなんだか違う気がする。プールの水、ではなく、ペットボトルの水という日常の代名詞のような存在が大事なのだ。これが今の私の心。 なんてカッコつけている中、スマホの検索履歴に黒くはっきりと浮かびあがる「プール ○○市」なんて文字列を、私はプールの天井、白く曇ったビニールように隠すことはできないだろう。


エッセー:ペットボトルの水に溺れたい
isshi@エッセー

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