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【読書感想】こんなにも切ない殺人者が、かつていただろうか。。。


1.『青の炎』貴志祐介

出版社:角川文庫
発行年:2002/10/23
文庫本:496ページ
カテゴリー:ミステリー、青春、学園

2000年、第21回吉川英治文学新人賞や第13回山本周五郎賞の候補作に選ばれた作品であり、二宮和也主演で蜷川幸雄が19年ぶりに映画演出をした作品として有名である。

ホラー、ミステリー、SFという幅広いジャンルを描く貴志祐介の代表作であり、「国内倒叙推理小説の最高峰」と称されるほどの根強い人気を持つ作品。

「インターネット」「ロードレーサー」「完全犯罪」という20年前ではまだ珍しいテーマを用いていることから非常に稀有な、価値のある作品だと言える。

評価:★★☆☆☆

・殺人を犯す決意をするまでが早すぎる
→主人公の殺人を犯すことへのハードルが低いと感じたので、共感しにくかった

・殺害方法の説明が長い
→シンプルにとばしてしまった

・主人公のいつまでも犯行を認めない姿勢がナンセンスに感じた
→主人公が早々に犯行を認めるのは物語として成立しないが、いつまでも嘘をつき中途半端な言い訳をしている様に少々嫌気が差した

・ロードレーサーや「山月記」、「罪と罰」との関連は物語の厚みを生み出していた

世間的評価が非常に高い作品であり、個人的に期待値が高かったからこそ、この評価になってしまった。

2.あらすじ

櫛森秀一は、湘南の高校に通う17歳。女手一つで家計を担う母と素直で明るい妹との三人暮らし。その平和な家庭を踏みにじる闖入者が現れた。母が10年前、再婚しすぐに別れた曾根だった。曾根は秀一の家に居座り、母の体のみならず妹にまで手を出そうとしていた。警察も法律も家族の幸せを取り返してはくれないことを知った秀一は決意する。自らの手で曾根を葬り去ることを…。完全犯罪に挑む少年の孤独な戦い。その哀切な心象風景を精妙な筆致で描き上げた、日本ミステリー史に残る感動の名作。

3.登場人物

櫛森秀一(くしもりしゅういち)
物語の主人公。由比ヶ浜高校に通う高校2年の優等生。17歳。

福原紀子
秀一のクラスメイト。秀一と心を通わせる存在。

櫛森友子
秀一の母。前夫(秀一の実父)は事故で亡くしている。

櫛森遥香
秀一の妹。中学2年生で、陸上部の所属。

曾根隆司(そねりゅうじ)
櫛森家から平穏な空気を奪う存在。
友子の元夫で櫛森家に強引に住み着き、傍若無人に振舞う。秀一とは血縁がない。

石岡拓也
秀一の幼馴染。
学校をよく休んでおり、バイクに乗るなどフラフラしている

4.特徴

本作の特徴について、以下の4つが挙げられる。

①倒叙推理小説
②17歳の殺人者
③青春小説的要素
④他作との関連

①倒叙推理小説

佐野洋が書いた本作の解説には「倒叙推理小説」についてこのように記されている。

倒叙もののミステリーでは、まず、前半で犯人が完全犯罪を計画する形であらかじめ手の内を明らかにする。その後、計画を実行し、それが成功したかに見えた時点で、今度は逆に警察や探偵の側が捜査を開始して、犯行を暴き、事件を解決する。つまり、ストーリーの展開の仕方が普通のミステリーとまったく逆なので、倒叙とか、倒叙推理小説というわけである。
                   解説より

・『容疑者Xの献身』東野圭吾
・『殺戮に至る病』我孫子武丸
・『扉は閉ざされたまま』石持浅海

など、国内には数多くの倒叙推理小説の作品が存在するが、本作はその中でもトップクラスの知名度を誇る名作である。

前半で、主人公の完全犯罪の計画を犯人視点で読者は知ることができ、一見完璧な計画のように思えるが、後半で、その計画には欠陥があることを警察側からの捜査で読者は知ることとなり、普通とは真逆に進む物語展開は本作の大きな特筆すべき点であると感じた。

②17歳の殺人者

完全犯罪を企む本作の主人公の年齢はなんと17歳であり、もちろん少年法が適用される。
そのことも犯行のインセンティブになっているわけだが、主人公はどちらかというと日本の少年法に懐疑的な立場をとっている。

少年法では、未成年の被疑者の顔写真や実名などを報道することを禁じているはずだった。だが、参加者全員が発信元になれるネット社会では、そうした規制は、ほとんど効力を持たない。──
秀一はこれまで、少年というだけの理由で、どんなに凶悪な事件を起こしても手厚くプライバシーを保護される日本の法律には、疑問を抱いていた。この少年の素顔にしても、あれだけのことをやった以上、広く世間に知らしめるのは当然だと思う。
だが、今は、全く逆の観点から、同じ写真を眺めていた。
これは警告だ。
失敗すれば、こうやって、さらし者にされる。
                 本文(p.75,76)

少年法には反対だが少年法の恩恵にあやかろうとする主人公の曖昧な考えがまさに未成年らしさが現れていると感じた。

しかし17歳が考えたとは思えない緻密なトリックや手際の良さ、行動力はその精神的な子どもっぽさとは裏腹に、青くて冷たい主人公の側面が現れているとも感じた。

また本作のひとつのポイントとして、主人公の殺人の準備段階では曾根を本当に「強制終了」させるかどうかの決心がはっきりとされていないことである。作中でも主人公がそのことについて懊悩する場面が多々描かれている。準備をしてしまったらもう元に戻れないこと、自らが殺人者へと近づいてることに気付いていない所にも未熟さが表出していた。

③青春小説的要素

本作の解説にも記されていたが、本作のカテゴリーをミステリーはもちろん、青春小説として捉える人も少なくない、らしい。

登場人物の一人である紀子は、秀一のクラスメイトであり、2人はいわゆる恋仲の関係にある。

紀子は中学時代、秀一に助けてもらったことがあり(秀一は面白がっていただけだが)、高校で再会してからも秀一に恋心を抱いていた。

秀一は薄々、紀子の気持ちに気付いていたが、殺人を犯そうとする自分と紀子を愛する自分の区別がつかなくなっていた。

家族を守るためには曾根を「強制終了」するしかない。が、殺人者である自分は紀子を愛する価値などない、という間で激しく揺れ動く純粋な一人の青年が残酷に、切なく描かれている。

④他作との関連

本作では、作中で中島敦著の短編小説である「山月記」やドストエフスキーの「罪と罰」などの他作品の引用や関連が多く見られる。

「山月記」の引用

作中では、「山月記」で李徴が成り代わった「虎」と、本作での「ロードレーサーに乗った秀一」は対応関係にある。

秀一は、闇の中を疾駆していた。
四つ足だった。どうやら、自分は、虎になっているらしい。
──人喰い虎は、いずれは、村人によって、逆に殺される運命にある。だが、本物の獣なら、そんなことは意識せず、最後の瞬間まで、絶望的な戦いを続けることだろう。
                  本文(p.364)

山月記での結末は、「虎」になった李徴が咆哮し、二度と人間の前に現れることはなかった、というものであったが、本作の秀一はどのような最後を遂げるのでしょうか。読んでみてのお楽しみである。

『罪と罰』との類似点

ドストエフスキーの「罪と罰」は、一人の青年が高利貸しのおばちゃんを殺害し、その妹(?)も殺してしまい、その罪の意識に長い間苛まれるという実に陰鬱な作品である。

作中ではこの「罪と罰」について、違った風土、異なる人種で描かれていることから、日本人には全く共感できるようなものでは無い、と痛烈に批判している。

しかし、本作は「罪と罰」のように、殺人を犯すという罪に苛まれ、罰に蝕まれていく様子が克明に描かれている。

日本人は、「罪と罰」のような強迫観念とは無縁だから、完全犯罪の殺人を行うには、適しているのではないか。そんな、馬鹿なことを考えたりしていた。
──呪いの金輪のように心を締め付けるのは、単なる事実だ。自分が人を殺したという記憶。どこへ行っても、その記憶からは、一生逃れることは出来ない。
                  本文(p.393)

どんな敵・相手であろうとも自分が「人を殺した」、この世からある特定の人物を抹消した、という圧倒的事実は消えるものでも薄れていくものでもないということを強く訴えていた。

5.最後に

「青」という色は、冷たい、寒い、冷静、思索、などという意味を併せ持つ色であるが、「青の炎」は赤い炎よりも強く燃焼する。

まさに本作の主人公である秀一は間違いなくこの「青の炎」を胸に宿し、ときおり激しく燃え上がらせながら、たった独りで世界と戦っていた。

その葛藤や苦悩が読者にダイレクトに伝わっていき、溢れんばかりの切なさを生じさせるのだと私は思う。

孤独に世界と戦う一人の青年の壮絶な最後に注目して、ぜひみなさんも読んでみてはいかがでしょうか。


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